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新学習指導要領 量と質、二兎を追えるか

 2017年2月15日の朝刊の社説欄より、「新学習指導要領 量と質、二兎を追えるか」の引用。結局、現場に丸投げですか!!!????金は出さないけど、口は出すってやつ???
 学びの量と質。その二兎(にと)を追うという。文部科学省が公表した小中学校の次期学習指導要領の改定案だ。高度な理念にはうなずけるが、先生の裁量を狭め、創意工夫の余地を奪うようでは困る。
 昨年十二月の中央教育審議会答申に基づき、文科省が改定案づくりを進めていた。新指導要領は二〇二〇年度から順次実施される。
 学校が編成するカリキュラムの基準となる。現行要領までは、学ぶべき知識や技能を中心に定めてきた。それを転換して、身につけるべき資質や能力に主眼を置いた構造に見直す。
 何を学ぶかに加え、何ができるようになるかという到達目標をより明確にし、自ら学びに向かう力や態度を養うという。「個性重視の原則」を打ち出した一九八〇年代の臨時教育審議会答申の集大成と評価する向きもある。
 知識の詰め込みか、ゆとりかと教育論争を繰り広げる間に、人工知能が人間に取って代わる社会が到来した。インターネットは大量の知識を蓄えている。もはや「知っている」だけでは、人生を切り開くのは難しいかもしれない。
 いわば教科書のない世界とどう向き合うか。問われるのは、多面的に見たり、柔軟に考えたりできる力、豊かな感性だろう。それを言葉で伝える表現力も大切だ。
 そうした力や態度を育てるために、新指導要領案は「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善を求める。世間で「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる能動的な学び方を意味する。
 例えば、集団で調べたり、討論したりして結果を発表する。子どもの参加意識を高め、やる気を引き出すのに効果的という。
 日本の子どもは、自尊心が低く、受動的とよくいわれる。教育風土や学校文化が影響しているなら、その改善にも結びつけたい。
 心配なのは、先生の多忙を解消できるかだ。事務を削り、部活動の縛りを緩めなくては、授業の準備や研究に専念できない。ただでさえ、授業時間が満杯なのに、英語やプログラミング教育などを押し込んで消化できるか。
 教え方や評価の仕方まで細かく押しつけては、子ども不在の形式ばかりの授業が広がりかねない。現場の積み重ねを尊重し、先生にも学ぶ時間を与えたい。
 小中学校の教育理念を高校へつなげ、その成果を問うための大学入試へ、と改革が同時に進んでいる。旗を振る文科省は財政面、人材面でしっかりと支えるべきだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017021502000138.html
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新学習指導要領 欲張り過ぎていないか

 2016年8月23日の朝刊の社説欄より、「新学習指導要領 欲張り過ぎていないか」の引用。
 次の学習指導要領で、小学校で英語が教科になる。結局、高学年の現行35時間に、さらに35時間を時間割に組み込むことができずに、「現場でなんとかしなさい」ということのようです。カリキュラム・マネジメントという言葉を使ってはいますが、時数を確保することだけがカリキュラム・マネジメントではないですし、管理職、教務が各校の教育課程を相当変更しないと実現はできません。短時間学習なんていうのも言っているようですが、当然、子どもたちの負担増です。
 子どもは楽しいと感じたらほっておいても夢中になる。だが、そううまくはいかないのが学校教育だろう。次の学習指導要領は転機となる可能性を持つが、欲張り過ぎては理念倒れになりかねない。
 小中高校では二〇二〇年度から順次、新しい指導要領が実施される段取りだ。中央教育審議会が公表した青写真には、戦後の工業化社会を支えてきた学校教育を大きく転換するねらいが示された。
 グローバル化や情報化、少子高齢化が進み、社会の将来予測は難しい。与えられた課題を効率良くこなす力よりも、新たな価値を創り出す力の育成に主眼を置くということだろう。
 人工知能やインターネットに象徴されるように、現代社会の諸相は、もはや教科書の枠組みには収まりきらない。移り変わる世の中との結びつきを常に意識させ、教科に横ぐしを刺して考えさせる。その改革の方向は理解できる。
 そのために新指導要領では、何を学ぶかに加えて、何ができるようになるかという成果主義の考え方を重視した。そして、学力保障の手段として、授業の柱に「アクティブ・ラーニング」を据えるよう促したのが最大の特徴だ。
 先生が一方的に教えるのではなく、子どもたちが主役となって議論したり、調べたりして協力しながら考え、学ぶ方法を指す。
 さまざまな見方や発想と触れ合えば、参加意識が高まり、やる気に火がつく子が増えるかもしれない。他者を思いやり、個性を認め合うという成長も期待できよう。
 もっとも、先生に相応の指導力があればの話である。
 異質の技量を問われ、授業準備や教材づくりのあり方も見直しを迫られる。控えめな子や自信のない子、障害のある子への目配りを欠いては、学力格差を生みかねない。一朝一夕には実践できまい。
 しかも、新指導要領では、かつての“ゆとり教育”との決別を鮮明にし、学ぶ量は減らさない。
 国際化に対応すべく、小学五年から英語を教科にする。情報化をにらみ、小中高校のプログラミング教育を充実する。大学入試改革に伴い、高校の国語や地理歴史などの主要科目を再編する。
 新指導要領には、日本を没落させまいとする焦燥感さえ漂う。だが、先生の過重労働を改善し、創意工夫のための裁量を担保せねば、現場は疲弊するに違いない。
 何より主役は子どもたち一人ひとりだ。国の教育戦略によって人生を翻弄(ほんろう)することは許されない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082302000132.html

ゆとり教育のせい?それとも原因は他に?

 昨日、FMラジオで「陰山英男のヒューマン・ラボ」というのをやっていた。  「ゆとり教育」で学んだ子どもたちが、教師として教壇に立ち始めている。特に地理の力に劣っている。新任教師はフィンランドに位置を知らない。富士山の位置も分からない。(会社の人事担当者は、採用試験で地理の問題を出すと、いい人材が採れるようになるだろう。)  その原因として、ゆとり教育により、日本地理も世界地理も学ぶことが少なくなった。高校では地理が選択になり履修しなくてもよくなったことを挙げていた。 http://www.tfm.co.jp/podcasts/human/  しかし、根源は、それより、「暗記すること」を悪の根源のようにしたことにあると思う。昔は、県名や国名とその所在地を懸命に覚えさせた。しかし、今は「暗記することはいけない、考えさせる力をつけることが必要だ」というスローガンのもと、暗記をさせずに「考えさせる授業」というのを展開しているように思う。基礎的なこと・基本的なことは暗記することが必要だと思う。その基礎・基本があるから、それをもとにして考えることができるのだと思う。  考えさせる授業が大切だというスローガンのもと、ダラダラとした時間の使い方の授業が展開されてきた。その時間の使い方をしっかりすれば(ダラダラとした授業をやめれば)、県名や国名を暗記させることは、ゆとり教育の時間でもできたはずだ。  新しい学習指導要領では、県名や国名が復活するらしい。  しかし、それを学ばなかった子どもたちが社会に出ている。その子どもたちはこれからどうするのだろう?国が言っていることがふらふら変わっている。国の政策ももう少し考えてほしいものだ。

高校新学習指導要領 改訂

 今日の朝刊に「高校新学習指導要領 改訂案」が載っていた。  総則に「義務教育段階の学習内容を確実に定着させるため、必要に応じて定着を目標とする科目を設け、必須科目の前に履修させるなどの工夫をする。」と出ている。  これは、学習の遅れている生徒には、義務教育段階の内容をあらためて指導するように求めていることになる。  小中学校の学習指導要領には「基礎的・基本的なこと・・・を習得させる」と載っているはずである。そうすると、生徒に、基礎・基本が習得させなくても卒業させてよいのかという疑問が生じる。  それと同時に、文部科学省は「定着」と「習得」という言葉をどう使い分けているのかという疑問も生じる。  高校新学習指導要領の総則に「『生きる力』をはぐくむことを目指し、基礎知識の確実な習得と、それを活用する力を育成する」とも出ている。

二番手

 「内外教育」2008年9月16日(火)第5853号に国立教育政策研究所の葉養正明氏の記事が載っていた。話題は北京オリンピックから始まる。 (前略)  自由競争が過熱するといきおい「一番手」に視線は集まる。渦中の者は、ただ一本のレールの上を人よりも早く、前に前に進むことを自己目的化するようになる。しかし、しょせん、「一番手」はただ一人であり、少差の二番手であろうと、負けは負けである。だが、圧倒的多数者は「二番手」「三番手」のものであり、「一番手」「金メダル」こそ勝者の証し、という価値観の下では、「二番手」以降は凡庸な群集として退けられることになる。 (中略)  「一番手」は「二番手」以降の多数者の中から生まれる。「二番手」「三番手」に固有の価値を認め、そこに到達した努力に報い、称賛するという発想こそ大事ではないか。  何年くらい前だろう。「順位を付けることはいけない」とか言って、「運動会でみんなで手をつないでゴール、みんな1着!」、「順位をつけるのはよくない、業者テスト廃止」とか言っていた。  それが、今度は「二番手、三番手に価値を認めなさい」とか「全国学力・学習状況調査」とか言い出している。  振り回されるのは現場・子どもたちである。
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