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松下政経塾「子どもの可能性を引き出す学びの在り方」

 松下政経塾の教育フォーラム「子どもの可能性を引き出す学びの在り方」に行ってきた。なかなか興味深いものだった。参加者もいろいろな県から来ていた。松下政経塾の卒塾生の現・大臣から祝電も来ていた。  まず、松下幸之助氏がなぜ松下政経塾を作ったのか、ビデオを見た。  その中で、「今の政治家は、政治は勉強したかもしれないが、経済のことを知らない」というようなことが心に残った。「みんなで食扶持を出すから、世話役をやってくれ」というのが政治の始まりらしい。  塾長の挨拶。  松下政経塾は「自修自得」である。  そして、塾生の発表。  「型の習得を通じて、人を知り己を知る」 1 あいさつできる 2 節(始め、中、終わり)節目をおさえる 3 美(整理整頓、身の回りを整える) 4 見る 5 聞く  松下政経塾のホームページを見ると「塾是」「塾訓」「五誓」などが載っている。納得する内容である。 http://www.mskj.or.jp/ <色:#0000ff>塾是  真に国家と国民を愛し  新しい人間観に基づく  政治・経営の理念を探求し  人類の繁栄幸福と  世界の平和に貢献しよう 塾訓  素直な心で衆知を集め  自修自得で事の本質を究め  日に新たな生成発展の  道を求めよう 五誓 一、素志貫徹の事  常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。 一、自主自立の事  他を頼り人をあてにしていては事は進まない。自らの力で、自らの足で歩いてこそ他の共鳴も得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。 一、万事研修の事  見るもの聞くことすべてに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心して見れば、万物ことごとく我が師となる。 一、先駆開拓の事  既成にとらわれず、たえず創造し開拓していく姿に、日本と世界の未来がある。時代に先がけて進む者こそ、新たな歴史の扉を開くものである。 一、感謝協力の事  いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。  さすがに、大企業を作った人は、すごい!  ここで、松下電器(ナショナル、パナソニック)のことも調べてみた。 <色:#0000ff> パナソニックには、連綿と続いてきた習慣がある。それが朝会と夕会だ。  朝会では毎朝、社歌を斉唱。その日の当番が巻物を開き、「松下電器の遵奉すべき精神」(通称7精神)を唱和。所感を分間で述べる。夕会は行進曲を斉唱してから終業する(残業はこの後から)。  この7精神とは、1933年に創業者の松下幸之助氏が掲げたもの。会社が拡大する中で、易きに流れることなく、社員全員が一致団結して新たな躍進を期するためだった。当初は5精神だったが、1937年に7精神に拡大された。  なお、7精神とは別に経営理念を示す「要領・信条」もある。こちらは1929年に制定。時代を経て一部改訂されながら、現在も続く。 松下電器の遵奉すへき精神 一、産業報國の精神  産業報國は當社要領に示す處にして我等産業人たるものは本精神を第一義とせさるへからす 一、公明正大の精神  公明正大は人間處世の大本にして如何に學識才能を有するも此精神なきものは以て範とするに足らず 一、和親一致の精神  和親一致は既に當社信条に掲くる處個々に如何なる優秀の人材を聚むるも此の精神に?くるあらば所謂烏合の衆にして何等の力なし 一、力闘向上の精神  我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして眞の平和も向上も此の精神なくては?ち得られさるへし 一、?節謙譲の精神  人にして?節を紊り謙譲の心なくんは社會の秩序は整はざるへし正しき?儀と謙譲の德の存する處社會を情操的に美化せしめ以て潤ひある人生を現出し得るものなり 一、順應同化の精神  進歩發達は自然の攝理に順應同化するにあらされば得難し社會の大勢に即せず人爲に偏する如きにては決して成功は望み得さるへし 一、感謝報恩の精神  感謝報恩の念は吾人に無限の悦ひと活力を與ふるものにして此の念深き處如何なる艱難をも克服するを得眞の幸福を招來する根源となるものなり http://panasonic.co.jp/company/philosophy/conduct/03.html (昔の文字が一部文字化けして?になっています。)  ちなみに、松下幸之助氏は、1946(昭和21年)11月、PHP研究所を創設したらしい。
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「好奇心をくすぐる話し方 ~話術のコツ」「最先端企業のクレーム対応から学ぶ、保護者の応対方」

 「メンタルヘルス『子ども』理解セミナー」に行ってきた。このセミナーは、とても勉強になる。  午前は、「好奇心をくすぐる話し方 ~話術のコツ 好奇心の起こりにくい授業 ・ぶる授業  先生ぶる・・・見下す、自分はいつも正しい  芸人ぶる・・・内容がない、自分がない ・もどき授業  ノンバーバルがない、ライブ感がない、意味がない、わからない ・放電授業  セリグマンの犬・・・学習性無気力の法則(無気力は後天的に作られる) ・プレゼン上手  3H(Head 内容、Heart 熱意、Hand 手法)  手法は4M(Machine 道具、Material 資料、Man 持ち味、Method 方法・話術) ・支点、開く、謙虚、遊び心、正しさ  午後は、「最先端企業のクレーム対応から学ぶ、保護者の応対方・Kodoする(行動、考動)  クレーム対応には正解がない  開いて気づく心   正解、不正解は後回し   「なぜ?」と思いながら聞く   受容できる柔らかい気持ち http://www.skk-jp.com/

教員更新制について思う。

 教員免許更新制について、文部科学省の説明があったようだ。参加した先生が管理職なのでこちらの疑問点を何も聞いてくれない。(なんせ、管理職は講習を受けなくていいのだから、あまり真剣に聞かなかったのだろう。) H14は「実施しない」ということになった。 ・目的の中に指導力不足教員の排除があった。しかし、指導力不足教員は毎年10人いるかいないかである。 ・指導力不足教員への指導改善研修の実施と10年研修の義務化を行った。 H18に「実施する」こととなった。 ・専門性の向上を主目的とし、最新の知識と技能を身に付けてほしい。 <教員の資質適性は大学では判断できない> ※なぜ教員だけ免許更新が行われるのか。  ・大学では単位を取得すれば教員免許がもらえる。が、医師や弁護士は国家試験を受ける。  ・医師や弁護士は選ぶことができるが、児童生徒は先生を選ぶことができない。  ・医科大学では医師が教える。弁護士も。  免除対象者は、優秀教員表彰者、校長、教頭、指導主事などである。最低かつ最新の知識技能を身に付けているはずだからだ。  「なぜ教員だけ免許更新が行われるのか」ということにたいする疑問がある。  1つめ:現場の教員は免許があるだけではない。教員も採用試験というものがある。採用試験に合格しないと働けない。  2つめ:確かにそうだ。しかし、医師や弁護士の少ないところは選ぶことはできない。  3つめ:これは変だ。医師も弁護士も大学で現場の人が教えているという。教師は現場を知らない大学の先生が教えているという。それなら、なぜその現場を知らない人が教えている大学で更新の講習を受けるのだろう?矛盾している!自己矛盾だ。それなら、更新の講習会は、教育委員会など現場を知っている人が行ったらいいのではないだろうか?  免除対象者も変な話だ。最低かつ最新の知識技能を身に付けているとは思えない人もいると思う。  35歳、45歳、45歳、55歳で免許更新ののための講習を自費で受けなければならない。55歳で辞めさせるための「肩たたき」のテイのいい手段としか思えない。  10年もすると、教員免許を持っている人が正規に採用されている教員しかいなくなる。すると、急に病気で講師が必要となったとき、講師がいないことになる。10年も経つと、現場は、講師不足で困ることになるだろう。

神は底部に宿り給ふ

 教室ツーウェイ11月号より。  教育は、きれいごとやスローガンを言っているだけでは子どもたちを伸ばすことはできませんよね。研究発表会も子どもの事実で語ってほしいものです。  38年前、新卒教師の私は、1冊の本を保護者から渡された。「石の地蔵さん」、重度養護施設の近江学園の実践記録だった。  ベッドに寝たきりの重度の知恵遅れの障害児。言葉は全部で3つしかない。「アー」と「イー」と「ウー」だ。それぞれに「痛い」など意味がある。  教師たちは、そのような子にも教育を続け、1年かかって成果をあげる。1つの言葉「えー」を習得させたのだ。そう、1年かかってたた1つの言葉である。それが、誠実で有能な教師がやった仕事だ。  新卒の私は、腹の底までズシーンとくる感動をうけ、涙がとまらなかった。  「石の地蔵さん」は「石に咲く花」田村一二のことである。  20代のころ参加した研究会で、小文字のaが書けない子に対する指導の報告がされた。司会の校長先生は、その実践を全く扱わず「豊かな」「自ら」と言ったスローガンを掲げる県内の有名研究校の実践だけを扱おうとした。私は、この時に、勇気を出して「進行に疑問があります」と発言をした。研究校の研究主任から、「あなたは子どもの自ら伸びる力を信じていない」と否定された。  小さな小さな小さな子どもの事実を見逃さないこと、目の前の小さな事実に問題の本質がかくれていることが多いこと、そして、その小さな事実と向きあい前進の努力をするとき、しばしば、目もくらむような努力が必要となること、このことを、新卒の私は学んだのである。それを西洋では、次のように言っていた。  「神は底部に(細部に)宿り給ふ」  教育界は「きれいな言葉」「通俗的な言いまわし」で、ことの本質と対峙してこなかった。各学校の研究は、どう見てもガラクタが多かった。私は、学校でも「本物の研究」をしたかった。それが「大四小の児活」「調布大塚の理科」「分析批判」「社会科雪小モデル」「池雪小向山型算数」なのであった。

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「やっただけ」学習から「身につけさせる」学習へ

 「教室ツーウェイ」(明治図書)の11月号の特集は、「『やっただけ』(履修)学習から『身つけさせる』(習得)学習へ」である。  編集前記に次のように載っていた。  自動車学校に入って、二百時間も講義を受けて、免許はとれず、「右折、左折」もできなかったとしたら、生徒は怒るだろう。「学費を返せ」と言われるだろう。  ところが、公立小中学校では、一年間で千時間の授業時間がありながら「習得すべき漢字がほとんどできず」「身につけるべき簡単な計算」さえできなき子がいる。どの学級にも、一割近くいるだろう。クラスによっては、半分近くの子がそうだという所もある。  およそ、ほとんどの「教育の場」は「習得システム」によって運営される。あるステップが習得できれば進級できる。だから、教師は「習得させる」ための努力を必死でする。  ところが、公立小中学校では、「習得させる」ことに本気の学校は少ない。かつての東京都調布大塚小学校、熊本県海浦小学校他、十指に満たない。そこでは「到達させるべき学習内容」を明確にして、そのための研究を本気でやり、保護者にも公開してきた。本にもなった。  ところがほとんどの学校では「その学年で到達させるべき、ぎりぎりの教育内容」さえ、保障されていない。教師、担任の責任を明確にしていない。  そのため親から「子どもを六年間毎日学校に通わせて、なんで漢字がほとんど書けないのですか」というクレームが出るようになった。  「習得しなくても」「出席さえして履修していれば」進級させる。いわゆる「履修システム」のために、日本中の学校が「無責任体制」になっているのである。  新しい学習指導要領で「習得させる」ことが、強調されているのは、このような「無責任な教育システム」を、改善しようとする意志を示したものである。  教師も「学力形成」の責任を、それなりに問われるようになったのである。  我流、自己流の指導法では無理だ。不勉強のつけは、40才近くになるとはっきりしてくる。子どもが反乱するようになる。  授業が分かりにくく、つまらないからだ。楽しく、素敵な教師人生を歩むには教師の技量・授業力と統率力をみがくことだ。  10月18日の朝刊に、指導力不足教員の記事が出ていた。「指導力不足とされた371人では、40代が46%、50代が37%と大半を占めた」と書かれていた。  我流で授業をしてきて、自己研鑽をしなかったつけが出てきたのだろう。会社でも企業努力しないところは潰れていく。  雑誌と新聞の2つの記事を読んで、自分も謙虚に勉強を続けていこうと思った。

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