ROOKIESとごくせん

 テレビで「ROOKIES」と「ごくせん」の視聴率が高いようだ。年末もテレビで特集していた。  子どもたちが、ぐいぐい引っ張ってくれる熱血先生(自分を顧みず、子どもたちを第一に考えて行動する先生)を求めているからなのだろうか。  古くは「金八先生」が始まりだろうか。
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大人は知らない「ネットいじめ」対処法

 心理療法カウンセリング講座に参加してきた。  テーマは「大人は知らない『ネットいじめ』対処法 いじめ、不登校、ひきこもり、問題を起こす子どもの具体的対処法」だ。「なりすましメール」「チェーンメール」「学校裏サイト」「プロフ」・・・、実際の事例に沿った分かりやすく説得力のある話だった。  文部科学省は「「ネット上のいじめ」に関する対応マニュアル・事例集(学校・教員向け)」を作ったが、本当に初心者向けだ。 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/11/08111701/001.pdf  教師や親の見えないところで「ネットいじめ」は起きている。良識のある大人はすぐに対処すべきだ。  その他、教育相談でも参考になる話が聞けた。 ・教室での相談は良くない。保健室、相談室などの狭い部屋で。 ・時間を設定する。(生徒が集中できるのは50分まで) ・メモをしながら聞かない。 ・被害者、加害者 両方とも不安定 ・ボールペンは置いて話を聞く。しかし、ボールペンを相手に向けて置かない。 ・距離が近すぎると不安定になる。正面に座らない。ちょっと斜めに距離をとる。相手の左耳に話しかけるとスムーズにいく。(右脳に話しかける。左利きの子は逆になる。)子どもが小さい声の場合、横に座る。 ・ふんざりかえったり、腕を組んだり、足を組んだりしない。前かがみで聞く。目をじ~っと見ると不安定になる。先生の方かr合間合間に下にそらす。(上はダメ) ・うなずきながら聞く。(1個1個大きくうなずく) ・赤マジック、紙を束ねたもの、ボールペンを用意。真黒に塗りつぶさせゴミ箱に捨てる。赤マジックはリストカットしたくなった所に印をつけさせる。 ・相談が終わったら、生徒と一緒にドアの所に送って行く。(話をしながら) ・名前を何回も言葉に出す。 ・相談をまとめておく ・被害者30分だったら、加害者も30分。まずは自分一人で聞く。 ・ヒステリーでは心は開かない。  「全国webカウンセリング協議会」では、学校裏サイトを集め、「学校裏サイトリンク集」を公開している。 「全国webカウンセリング協議会」 http://www.web-mind.jp/

「ハードウェア」「ソフトウェア」「ユースウェア」

 教材には「ハードウェア」「ソフトウェア」「ユースウェア」の3つの分野がある。  「紙の質」「カラーの使い方」「イラスト」などが「ハードウェア」だ。  教材の内容、組み立て、パズルなどが「ソフトウェア」だ。  教材としては「ソフトウェア」は大切だ。しかし、「紙の質」で教材を選ぶ教師は、いっぱいいる。  教材を「どのように使うか」が「ユースウェア」だ。  教材としての「教科書」は「ソフトウェア」だ。その教科書を使って「どのよう授業をするか」というのが「ユースウェア」だ。つまり、「ユースウェア」とは「授業のやり方」ということだ。当然「授業のやり方」こそ、最も大切だ。同じ教材でも、授業のやり方が違えば結果は全く違ったものになる。我流でやったら、効果は極めて薄い。ユースウェアこそ教材の生命である。 (教室ツーウェイ 2007年4月号)  今までの教材は「ハードウェア」(本のつくり)と「ソフトウェア」(教材の内容)の2つの概念しかなかった。  しかし、どれほどすぐれた「筆」を使っても「使い方」が上手でなければ、すぐれた文字は書けない。どれほどすぐれたバットを持っていても、使い方が上手でなければ、ホームランは打てない。  すぐれた教科書を使っても、教師によって結果が違ってくる。  「良い教材・教具」を使えばいいのではない。「良い教材・教具」の「すぐれた使い方」こそ大切なのである。「ハードウェア」「ソフトウェア」に「ユースウェア」が良くなければ駄目なのだ。  薬だって、ユースウェアがある。1日3回食後というのを、「同じことだから1日1回でまとめ飲み」にしたら、効果は激減する。  「ユースウェア」の習得には、少し時間がかかる。「自転車に乗れるようになるぐらいの練習が必要だ」と考えればいいだろう。 (教室ツーウェイ 2007年1月号)

ベテランの挫折増加 孤立深める<公立校教員>

 今日の毎日新聞に「公立校教員:過去最多4995人うつ病などで休職」という記事が出ていた。  「これまでも指導が通用しない」のなら、これまでとは違う効果的な指導をするしかない。権威に頼り、社会の変化への対応と自分を向上させることを怠ってきたツケが回ってきたのだと思う。今まで通りの指導で満足するのではなく、教師修業をしていく必要を感じた。自分も常に勉強し続けようと思った。  文科省によると(1)従来の指導方法が通用しなくなり自信を失う(2)保護者との関係が変化し説明を受け止めてもらえず悩む(3)業務の多忙化や複雑化(4)家庭の事情--など複数の要因が絡んだケースが目立つ。 http://mainichi.jp/select/science/news/20081226k0000m040055000c.html  心を病む先生が増え続けている。精神疾患で休職する教員数が過去最高となった文部科学省の調査結果(25日)。ベテランの先生でも手のかかる児童生徒に立ち往生し、多忙の中、孤立を深めている。  「最近多いのは、40代後半から50代のベテラン教員の挫折」と話すのは、北九州市教育委員会内の保健室で教員の相談にのる保健師だ。「立って騒ぐ子に注意しても、これまでの指導が通用しない。授業が成立せず、保護者のクレームが入り始めると対処が難しい。夜間の家庭訪問や保護者説明など時間外の仕事も続き、精神的な病に陥る例がある」  最長期限の3年休職して復職したものの、辞めていく教員もいる。休職期間が長いほど復帰は難しい。 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081226k0000m040119000c.html

代理によるミュンヒハウゼン症候群

 京大病院で、入院中の五女の点滴に腐敗した水を混入したという事件が発生した。  代理ミュンヒハウゼン症候群は、虐待に関するものを調べると、出てくる事件だ。  ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみた。 <色:#0000ff> ミュンヒハウゼン症候群(ミュンヒハウゼンしょうこうぐん 英:Munchausen syndrome)は自分に周囲の関心を引き寄せるために虚偽の話をしたり、自らの体を傷付けたり、病気を装ったりする症例の事。ビュルガーの著作から「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族・ミュンヒハウゼン男爵(実在)の名前から付けられている。1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され命名された。  自分以外を傷つけ、周囲の関心を引き寄せるのは代理ミュンヒハウゼン症候群。  代理ミュンヒハウゼン症候群(だいりミュンヒハウゼンしょうこうぐん、Munchausen Syndrome by Proxy, MSbP)とはミュンヒハウゼン症候群の一形態であって、傷害の対象が自分自身ではなく何か代理のものであるような精神疾患である。  多くの場合傷害対象は自らの子どもであるため、児童虐待と同列に挙げられることも多い。しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく、手段として傷害行為に及ぶことで、自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである。子どもが患者の傷害の対象である症例では、患者は傷害を目的として行っているわけではないとはいえ、行為が反復・継続し、重篤な傷害を負わされる危険があるので、早急に対策を行う必要がある。傷害の対象と患者を隔離すれば、直ちに「傷害」は改善する。

高校新学習指導要領 改訂

 今日の朝刊に「高校新学習指導要領 改訂案」が載っていた。  総則に「義務教育段階の学習内容を確実に定着させるため、必要に応じて定着を目標とする科目を設け、必須科目の前に履修させるなどの工夫をする。」と出ている。  これは、学習の遅れている生徒には、義務教育段階の内容をあらためて指導するように求めていることになる。  小中学校の学習指導要領には「基礎的・基本的なこと・・・を習得させる」と載っているはずである。そうすると、生徒に、基礎・基本が習得させなくても卒業させてよいのかという疑問が生じる。  それと同時に、文部科学省は「定着」と「習得」という言葉をどう使い分けているのかという疑問も生じる。  高校新学習指導要領の総則に「『生きる力』をはぐくむことを目指し、基礎知識の確実な習得と、それを活用する力を育成する」とも出ている。

声に出して読みたい日本語

 斎藤孝先生の講演会に行ってきた。会場は満席。人数が多くてもワークショップもある。  内容的には今までの著書に書いてあることの集大成みたいなものだったが、すっと頭に入ってくる話だった。  あっという間に時間が過ぎてしまった。もっと聞きたい話だった。 ・今までの教育は暗記は悪だとされてきたが、暗記することは大切なことである。暗記して正確に再生できることが創造力につながる。子どもたちが、知識を的確に再生できるということは、教師が徹底して覚悟を決めないとできない。 ・学力は基本的に客観的なもの。話す・聞くの精度を高めるには、読む・書く力がないとできない。 ・小中学校は「これについてどう思うか」という演劇的授業が多い。しかし、知識を与えることによって考える力がつく。知識がないと考えられない。 ・考える=メモする。紙の上で考えるしか、考えることはできない。 ・小1から、速く・正確に字を書けるようにさせる。小1の4月~7月に全ての根源がある。小1からメモをとる練習をさせる。→記憶させる→発表させる。こうすると、授業の効率も格段に上がる。 ・日本はきっちりと訓練することを嫌った30年間だった。技なくて自由や個性はない。きっちり練習することが自由につながるという確信がない。 ・「すごいよ!シート」驚きを伝える伝驚力 なんでもポイントは3つの方式 ・「段取りシート」  生で聞くと、本を読むより説得力がある。  ホームページもあります。 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~saito/

ADHDを疑似体験 装置を医療機関に

 今日の夕刊に、ADHDを疑似体験できる装置の記事が出ていた。教育関係者、小児科医をはじめ、発達障害に関わる全ての人が体験できたら・・・と思った。  注意欠陥多動性障害(ADHD)がある子どもの日常生活を疑似体験する装置をヤンセンファーマ社が開発、全国の医療機関に無償で提供する啓蒙活動を始めた。装置は25台あり、当面、全国の精神科や小児科の医師、看護師、臨床心理士らに貸し出すという。  この装置は、パソコンと、頭を動かすことで360度の全周映像が見られる「フェイスマウントディスプレー」、自然なサラウンド音響を体感できる特殊マイクから成る。ディスプレーとマイクを使い、教室にいても授業以外の映像や音でなかなか授業に集中できないADHD特有の症状などを体験、現場での治療や診断に生かしてもらう。
 詳しくは、「ヤンセンファーマ社」のホームページに載っています。 http://www.janssen.co.jp/inforest/public/home/

Hサイトからのコメント

 8月21日の「一般目標と行動目標」というブログに対してばかり、やたらと、Hサイトからのコメントが付くんですけど、どうしてでしょう? http://edublog.jp/fmv/archive/336

子どもがあいさつができるかどうか

 教室ツーウェイからの一部抜粋。  よく「この学校の子どもはあいさつをしない」という教師がいる。それは、その教師が悪い。自分が悪いのに他人の責任にしている。  大勢の子どもがいれば、いろいろな性格がある。積極的な子どもばかりとは限らない。まるで目立たないおとなしい子もいる。そういう子どもに「あの子はあいさつもできない」と言ってもしょうがない。教師の方からあいさつをすればよい。二度、三度としているうちに子どもの方からあいさつをするようになる。二度、三度としてもあいさつをしない子どもには十度でも二十度でも教師が声をかければいい。それが教師の仕事なのである。  同僚にあいさつをするのも当然だろう。私は毎年、年末・年始には給食室、主事室、事務室へあいさつにいく。1年間、お世話になったことのお礼である。教師になって17年間、ずっと続けている。 「向山先生だけは、いつもきちんとあいさつに来るわよ」と、主事さんに言われたことがある。このようなことは、私の実践記録には登場してこない。が、実は、このようなささいなことが、私の教室での仕事を支えていくための力になっている。  これは、母の影響だろう。母は、通りすがりに近所の子ども達に会うと自分の方からあいさつをしていた。一緒に歩いている私は少なからず恥ずかしく思い「あんな事を止めればいいのに」と思ったものだ。近所の子どもが大きくなって、中学生、高校生になると母が声をかけても、相手はあいさつをしなくなる。そんな相手にも、私の母は声をかけて通りすぎた。  母が何回か次のように言っていたのを覚えている。 「はずかしい年ごろだから声が出なくなるのよ。でも、大人の方からあいさつをしていると必ず相手もあいさつをするようになるわよ」  こちらからあいさつをしているうちに相手もするようになる・・・教育はこれでいいのだと思う。「この地域の子どもはあいさつをしない」などとおこる前に、自分からあいさつをすればいいのである。  教師の仕事とは「教える」ことだけではうまくいかない。相手を包み込むようなことも大切なのである。あいさつは第一歩の心の交流なのである。これが作れないようでは教育は始まらない。  ある学校の職員室で「この学校の子どもは、子どものほうからあいさつもしない」と声高に話す教師がいた。その教師は、子どもを平気で呼び捨てにし、怒鳴ることもよくあった。 「だったら、教師から最高の笑顔であいさつをすればいい」  私は単純にそう思ったものだ。なぜなら、私からあいさつをすれば、返してくれるからである。  学級にあいさつの声が小さい子がいた。笑顔も少ない子だった。私が話しかけてもにこりともしなかった。先生の中には、「表情が暗いわね」と話してくれる方もいた。私は、「表情が暗いのではなく、たくさんの笑顔で話しかけられていないのだ」と思った。  十回話しかけてにこりともしないのなら二十回話しかければいい。それでもだめなら三十回話しかければいい。教師がだめだと思わないことだと思っていた。  1ヵ月、2ヵ月たっても、その子は笑顔を見せなかった。  それは、確か4ヵ月ほどたったときであった。授業中に私がその子に話しかけたとき、「ふっ」と一瞬笑顔を見せた。そして次の瞬間には元の表情に戻っていた。  しかし、子どもたちは、その子のかすかな笑顔を見逃さなかった。子どもたちが授業後に私のところに来て、「今、笑ったよね」と話したのだ。私は「そうだね」と笑顔で言った。 「いろいろな子どもたちがいるからクラスは楽しいしドラマが起こるんだよ。もし、みんな同じだったら」と私が話すと、子どもたちは笑顔で口々に言う、「気持ちわるいー」。  教師からあいさつをしたり笑顔を見せたりすることだ。そうすれば、自然に子どもたちもあいさつをし、笑顔に変っていくものものなのだ。そして、クラスが明るくなっていくのである。  子どもと交流を始めるには、相手の心をつかまえなくてはならない。おおげさなことではない。相手の心の「とって」をつかまえればいい。 「心のとって」は2つある。  1つは相手の名前を覚えること。私は担任になったらすぐに名前を覚え、始業式のその日に、全員の名前を言いなさいと言ってある。驚くほどの効果がある。  もう1つは、あいさつをすることである。もちろん教師の方からするのだ。どんな頑固な子でも、明るくあいさつする教師には、やがて返事をするようになる。  担任して、初対面までに名前を覚えている、教師からあいさつをする、この2つができなければ、それは教師のレベルが極めて低いというのこなのだ。子どもの心のとってさえつかめないということなのである。

千葉女児殺害棄事件に思う

 今日の朝刊に「千葉・女児遺棄勝木容疑者 配慮必要な取り調べ 知的障害 慎重に捜査」という記事が出ていた。  千葉県東金市の道路脇で九月、保育園児成田幸満ちゃん=当時(5つ)=の遺体が見つかった事件で、遺棄現場近くに住む勝木諒容疑者(21)が死体遺棄容疑で逮捕されてから十三日で一週間。東金署捜査本部は、幸満ちゃんの死に関与した疑いを視野に入れ、逮捕容疑の細部を詰めている。勝木容疑者には軽い知的障害があり、取り調べの検証方法などをめぐり捜査側と弁護側の攻防も始まっている。  捜査本部によると、勝木容疑者は容疑を認め「女の子を部屋から抱えて外に持って行って置いた」「(衣類や靴の入ったレジ袋は自宅の)窓から捨てた」などと供述しているという。捜査本部は、勝木容疑者の自宅の捜索で押収した物から幸満ちゃんの指紋や毛髪を捜すなど、裏付け作業を進めている。  勝木容疑者は二〇〇一年、軽度の精神発達遅滞と診断された。供述には一貫性があり興奮することもないが、事件当時の詳しい状況を尋ねると、腕を組んで黙り込んだり、「思い出せない」と話したりするという。  このため取調官は、難しい言葉を分かりやすく言い換えるなどして、慎重に調べを進めているという。  接見した副島洋明弁護士は、勝木容疑者の精神年齢は「小学生高学年か、もう少し低いレベル」と指摘。自らに掛けられている容疑についても「正確に認識・理解できず、自己防御能力が不十分だ」と主張する。  副島弁護士は「取り調べが適切であることを検証できなければならない」として、全面的なビデオ撮影による「可視化」や一問一答形式による供述調書の作成、知的障害に詳しい専門家の関与-などを県警に要請した。  これに対し、捜査幹部は「現行の法制度にのっとりやっている」と述べるにとどめ、県警が九月から試行している取り調べの一部録音・録画の導入に消極的な姿勢だ。副島弁護士は十一日、県警に対し可視化を促すよう求めた要請書を千葉地裁に提出している。  http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008121402000089.html  「勝木容疑者は2001年、軽度の精神発達遅滞と診断された」という部分がある。年齢から推測すると、診断されたのは14歳(中学2年か3年)ということになる。とすると、それまで普通クラスで9年近く授業を受けていたということだろうか。授業の内容も分からずに毎日6時間座っていなけらばならなかったというのは苦痛だったことだろう。  小さい時から、適切な療育を受けてこなかったのではないだろうか。  「うちの子は普通の子です!」と特殊学級(特学)に入れたがらない親御さんも多いと聞く。特学というと差別の目で見られている気がする。(「普通学級に在席=普通」とは限らないだろうに。)  しかし、施設に入所してくる子を見ると小さい時から適切な療育を受けてこれば、このような状態になることはなかったろうにという子ばかりだ。(勉強が分からずに、学校に行くことがいやになる。そして、同じような境遇の子どもたちや先輩とつるみ、非行に走る。親がお手上げ状態になり、子どもたちが施設や少年院に送られるということになる。)大人の見栄で子どもたちが適切な療育を受けられないのでは、子どもたちが不幸だ。  早期(就学前)に、発見して、早期に対応することが必要だ。  親が子どもの面倒を見てあげられるなら、つまり、就学前から適切な指導(適切なお手伝い、適切な躾、童話の読み聞かせなど)ができているのなら、普通学級でもやっていける。(そもそも、そういったものはレディネスがあれば、子どもたちが自然に習得するものだ。)  「うちの子は勉強があまりできないのですが・・・。」という保護者の相談に、教師の「他にいいところもありますから。」という返事も、子どもたちに適切な指導・支援を妨げている要因のような気がする。  実は、現状は、特殊学級から特別支援学級と名前を変えただけに終わっているようなところもあるのではないだろうか、という疑問も感じている。

教師が困った時に救われる教材 優れた教材・教具を見分ける6条件

 教室ツーウェイより一部引用。  教育実習生に対する指導は、大森先生と向山先生はよく似ていた。それは「教材研究、授業準備」をきちんとさせるということである。このことを、分かりやすくいうと「教材研究、授業準備とは、ものを用意すること」である。「ものを用意する」のが、「授業準備」なのである。  どんな「もの」があったのか。その中で「どれ」を使おうと思ったのか。それを「どのように」使うのか。れが、教育実習生に、まず教えることである。  プロは、必ず、使うものを吟味する。絵を描く人、書を書く人、踊る人、寿司を握る人。それぞれに「使う道具」は吟味されている。  かつて「いこい寿司」の主人が慶応大学法学部の学生に話をするように依頼された。主人はどうしらたいいか分からなかった。「ご主人の使っている道具、例えば、まな板、包丁、皿、そういったものを持ち込みなさい。ネタもできたら持ち込んだらいい」とアドバイスした。これら1つ1つには、プロの寿司職人の思い入れがある。ご主人は、慶応大学の教師に持ち込んだ。「もの」があれば「大切なこと」「伝えたいこと」「教えたいこと」が次々と出てくる。学生の心もひきつける。かくして、いこい寿司のご主人の大学での講義は大好評のうちに終わった。  厚生省看護中央研修所でのこと。四十代のヴェテラン看護婦さんが100名ほどを相手に「看護学校」の先生になる。看護婦としてはプロでも、「教えること」は、アマチュアだ。「授業にものを持っていきなさい」とアドバイスした。注射器1つでも、カテーテル1つでも、「もの」があれば、それについての体験、ドラマがたくさんあったはずである。婦長さんになる優秀な方なら、良質のドラマもあったはずである。  このように「授業とは」、まず「もの」を準備することである。駄目な人は「口だけ」で教えようとする。相手が首をかしげると、話は長くなる。それでも分からないと、話は延々と続く。これが、授業の下手な人、学級が荒れる人の実態なのである。しかも「話が下手」ときている。  話し方には「説く」と「語る」の2種類がある。「説く」とは「説教」のことであり「語る」とは「描写」のことである。優れた教師は「描写」がうまい。下手な教師は「描写」が、できない。「説く」ことだけで「語る」ことができないのである。  「語る」ことができる教師は、100人のうち2,3人ぐらいと思われる。「説く」ことしかできない教師は8割いるだろう。教師は「語り方」の勉強をすべきだ。それは「教師」の「必須」の「能力」なのである。良質の「エピソード」を「次から次へ」と、とめどなく語れるように修業すべきだ。  夏休みの後、教師の「旅行の話」を楽しく聞いた人は多いだろう。それは「描写」だからなのである。その時に、旅行地の「おかし」などがあったりすると、みんなで幸せな気持ちになったりするものだ。  口だけの説明では駄目だ。とりわけ、「語り」ができない人の「説教」はクラスを荒らすもとだと述べてきた。プロなら「もの」を用意しなくてはならない。教師なら「すぐれた教材・教具」を用意することが大切だ。すぐれた「教材・教具」は、誰でも分かる。  第1は「集中する」ことである。子ども達が「シーン」となって、集中するのである。  第2は「もっとやりたい」「家でやってもいいか」というように「持続する」ということである。  第3は「くり返し」「くり返し」やりたくなるということである。あきないのだ。  第4は「充実感」「達成感」を味わうことができると言うことである。  第5は「五色百人一首コール」のように、「全員コール」が生まれることだ。「スキル、大スキール」などと大合唱が生まれることだ。  第6は「今まで、授業中うるさかった子が、のめり込むようになる」ということだ。  以上のような現象がクラスで生まれるなら、優れた教材だ。クラスを立て直すこともできる。  このためには、次の2つが必要だ。 (1)すぐれた教材・教具を用意する。 (2)正しいユースウェア(使い方)でやる。  すぐれた教材・教具ほど「ユースウェア」が、きちんとしている。ユースウェアを身につけるには、それを使っている人やサークルで、3回ほどの研修が必要だ。我流、自己流でやると効果は半減する。授業が上手な人が使えば、効果も抜群なのである。  日本中に「五色百人一首」「五色名句かるた」「名文・名詩かるた」が広がっているが、これは「荒れたクラスを立て直せる」特効薬だからである。何千人もの教師が、学級崩壊を「五色百人一首」などで、立て直していった。新しい学習指導要領の国語では「伝統文化」の名詩、名文、和歌、俳句などが極めて重視されている。  発達障害の子も熱中する教材・教具こそ本物なのである。

どうしても身につけておかなければならない専門性

 教室ツーウェイの1月号が届いてしまった。まだ、12月号の気になる記事がすべて紹介し終えていない。  以下のものは、自分なりの要約なので、本文が気になる方は本誌の方をお読みください。  新卒で赴任する時、誰でも夢を抱く。いい先生になろうと思う。そして、わずか1ヵ月で、その夢は崩れていく。子どもが天使の如くかわいらしかったのは、最初の1週間だけ。その後の教室は毎日毎日乱雑になっていく。おしゃべりが始まり、不規則発言、ヤジが授業を支配する。  そして気付く。自分は、授業のやり方を習っていなかった。授業のやり方の訓練もうけていなかった。何となく、大丈夫と思っていただけだ。  教師は、どうしても身につけておかなければならない専門性がある。  第1に、ADHDなど1割の発達傷害のある子への、理解と、対応する授業技術。「叱る」と大混乱になる。「無視」は最悪の対応だ。専門医の見解である。  第2に、およそ15%いる、境界知能の学習能力を伸ばし、学力をつける授業。  以上2つは特に重要で、学び、修業しないと学級騒乱、学級崩壊となる。自動車の運転免許をとるぐらいの時間と真剣さの修業が不可欠だ。それをしないと四十代、五十代のヴェテランでもクラスは崩壊する。  第3に、「成功体験」「やった!」という喜びを体験させる授業。  第4は、算数、国語の基礎学力は、全員の子に保障する授業。算数の市販テストでクラス平均点以上が目安だ。  第5は、「調べる」「追求する」「実験する」などの「追求力」を育てる授業。  第6は、新しい学習テーマとしての「英会話」「伝統的文化」「地球環境」「ボランティア」「観光立国」などの授業。  このような技量がないと、必ず「困った場面」に出会う。毎日毎日である。

世代論 ~その時々の仕事がある

 教室ツーウェイ12月号より、吉永順一先生の記事の一部引用。(全体を読みたい方は、雑誌を買ってください。)  年相応の仕事の仕方があるのですね。反省・・・。  三十代というのは一般にどういう世代なのだろうか。作家の沢木耕太郎は『地図を燃やす』(文春文庫)で、指揮者小沢征爾の言葉を紹介している・ 「三十までは何でもできると思っている。ところが三十すぎると自分に可能なことが、地図のようにはっきり見えてくるんですよ」  小沢の発言をどのように受けとめるべきなのか。地図が見える未来がやってくるなどということを若者に信じろというのは夢のない話のようにも思える。ただ、三十代は学級のことだけをやって許される時期はとうに過ぎている。教師として一人前の仕事ができて当然だし、組織の中堅としての自覚が求められる年齢なのだ。  四十代に言及したのは作家の村上春樹。見てみよう。 「四十と言う分水嶺を越えることによって、それまでできなかったことができるようになるかもしれない。(中略)でもその新しい獲得物とは引き換えに、それまで比較的に簡単にできると思ってやってきたことができなくなるかもしれない」  つまり、四十代はさらに大きな転換点であって、それは何かを取り、何かを置いていくことなのだ。もはややり直しはできない年齢であり、そのことを視野に入れて、20代、30代を過ごす必要があるということであろう。  教師の仕事としては、実践してきたことを論理づけ、自分なりの思想として確立できるのが四十代だと私は思っている。考えようでは、最も輝く年代とも言える。  このような見通しをもったとき、二十代をどのように過ごしたらよいか。向山洋一氏の『斎藤喜博を追って』に次のように書いてある。 「どのような仕事の分担であれ、自分の持ち場の仕事に全力を尽くし、一歩でも半歩でも前進させること。その半歩のために想像する百倍もの労力が必要なのだけれそ、やる抜くこと」  簡単ではないが、幸いなことに二十代には、自分だけに使える時間がある。体力もある。  文豪夏目漱石は、若者の生き方として「牛になって人間を押せ」と言った。「あせっては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出なさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません」(『漱石書簡集』岩波文庫)  二十代は汗をかき、身体で学ぶ。そのことで周囲の信頼を得る。これに尽きる。

成績の規準・基準

 成績の季節になった。  「評価規準」などと言って、あいまいに成績を付けているのだろうか?それとも、「評価基準」をきちんと示しているのだろうか?  でも、思う。テストはどうやって作成しているのだろうか?  テストは「妥当性」、「信頼性」、「実行性」の3つの要素が適切にバランスがとれている必要があると言われている。  妥当性、信頼性があるテストを作成しているだろうか?ちょっと難しすぎたと言って、基準を下げたりはしていないだろうか?簡単すぎたと言って、基準をあげたりしてはいないだろうか?そういった段階で、評価評定がぶれているよ。  trade-off(両立{りょうりつ}しないものの間の妥協(点){だきょう(てん)}、見返り{みかえり}、代償{だいしょう})

キレずにトラブル解決 子どもの対人関係力養成 セカンドステップ

 2008年11月27日の朝刊にセカンドステップの記事が出ていた。  自分の感情をコントロールする、相手に自分の気持ちを伝え、円滑なコミュニケーションを取るための具体的手法や知恵を身に付ける米国生まれのプログラム「セカンドステップ」が保育園や小学校などで広がっている。キレずにトラブルを解決できる力として注目されている。  給食も終わった十月の午後、浜松市内の瑞雲保育園の一室で、十六人の年長さんが、いすを半円にならべて座り、中根芳浩先生(30)に注目した。二十回目のセカンドステップの授業では、砂場で遊ぶ男の子たちから少し離れて立つルイスちゃんの写真から、彼ができることを考えた。  「話し掛ける」「一緒に遊ぼうと言う」「スコップを持ってくる」などの園児の意見に、中根先生が「いばって『入れろ!』という」などを加えて十ほどが挙げられた。次にそれを実行したらどうなるかを考える。必ず使う物差し、「その行動を取るのは▽安全?▽自分と相手の気持ちは?▽フェア?▽解決できそう?」に合わせて考える。  「一緒に遊ぼうと言う」のは安全? 内容はフェア?と一つ一つ園児たちと確認する。「じゃあいばって入れろ!は、安全?」「だめー」「気持ちは?」「バツー」「解決できなさそう」。大きな声が上がる。  同園は二〇〇一年からセカンドステップを保育に取り入れた。年長児クラスが年間二十八回の“授業”を受けている。それまでトラブルがあると園児がすぐに先生に訴えてくるのを、大人が解決していた。「でも本人たちが納得していないと、陰でつねっていたり、またけんかになったり」と梶浦由喜子園長。  セカンドステップは、米国シアトルで「子どもが加害者にならないためのプログラム」として開発された。日本では〇一年に設立されたNPO法人「日本こどものための委員会」(東京)が研修、指導員養成など実施。現在千七百五十人が研修を受け、小学校、保育園、児童相談所など全国二百カ所でプログラムが実施されている。  特徴は、一方的に「人を傷つけてはいけない」「暴力をふるってはいけない」と抑え付けるのではなく「怒ってもいいんだよ」と感情の動きを否定しない。その上で「五、四、三、二、一と数えて怒りを落ち着けよう」「『わざとじゃないんだ、ごめんね』と一言付け加えるといいね」など具体的な手法を、子どもと一緒に考えていく。  授業を受けるうちに同園の園児たちは、けんかが起きても「先生は向こうで見てて」と自分たちで気持ちを伝え合うように。周囲の子も冷静に見守り、一方的にやり込めたり、やり込められたりすることがなくなった。  指導の先生はどんな意見も評価せず「そういう意見なんだね」と受け止めることで、自分の意見を言える子が増え、「君が割り込んできたから僕は嫌だった」などと気持ちを表現できるようになったという。アイデアを出し合うことから、一つの解決策が駄目でも次を考えようと柔軟に。  「トラブルがないのがいいとされていたが、今ではトラブルがあっても解決していく力を付ければいいのだと、保育士たちも受け止められる」と梶浦園長は評価する。  東京都品川区教委は、〇六年度から、小学一、二年生にセカンドステップを実施している。同NPOと学校の授業時間に合わせたプログラムを練り、現在三十校で実施。来年度には区内全三十八校で実施する予定。保護者への理解を進めたり、幼稚園保育園と連携も目指すという。  同NPOの渡辺俊一理事長は「これですべてが解決、ではないが、幼いうちから良い人間関係をつくる言葉や知恵を身に付ければ、大人になっても乱暴でない問題解決ができていけるのでは」と話している。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2008112702000110.html

セカンドステップ

 「セカンドステップ」プログラムは、米国ワシントン州にあるNPO法人Committee for Children (1979年設立)によって、「子どもが加害者にならないためのプログラム」として開発されました。  「キレない子どもを育てよう」を合言葉に、子どもが幼児期に集団の中で社会的スキルを身につけ、さまざま場面で自分の感情を言葉で表現し、対人関係や問題を解決する能力と怒りや衝動をコントロールできるようレッスンが計画されています。  アメリカでは数年間にわたり幾度もプログラム調査が行われ、以下の結果が理解されました。  「セカンドステップ」を学んだ子どもは、言動に攻撃性が減少し、より良い人間関係を持つようになった。  「セカンドステップ」を学んでいない子どもは、時がたつにつれて言動の攻撃性がさらに増加し、社会的行動にも進歩がみられなかった。  また、全米百数十の防止教育プログラムの中から、「もっとも効果的なプログラム」として米国教育省(日本では文部科学省にあたる)より表彰を受けています。 「NPO法人 日本こどものための委員会」 http://www.cfc-j.org/

「でっちあげ」その後

 2007年02月11日のブログで「でっちあげ」という本の紹介をした。 http://edublog.jp/fmv/archive/93  「内外教育」2008年12月2日 第5871号に高裁の判決が出ていた。報道の仕方で事件の解釈の仕方が変わるものだと思う。 <色:#0000ff>担任教諭の児童いじめ、二審も認定-慰謝料を増額・福岡高裁  福岡市立小学校の4年生だった当時、担任教諭からいじめや体罰を受けたとして、中学3年の少年(14)と両親が福岡市に計約5,400万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁は11月25日、一審判決を変更して110万円増額し、330万円の支払いを命じた。  石井宏治裁判長は一審と同様、いじめと体罰を認定。心的外傷後ストレス障害(PTSD)になったという生徒側の主張は退けたが、心因性の症状が続き、通院治療の必要があったとして、慰謝料を増額した。  判決によると、担任の男性教諭は2003年5月ごろ、十を数える間に片づけができなかったことを理由に、少年のほおを数回にわたって引っ張る「アンパンマン」と称する体罰を行うなどしたほか、「アメリカ人」と言ったり、ランドセルをごみ箱に入れたりした。  原告側の大谷辰雄弁護士は「PTSDの主張が認められず残念だが、いじめ行為について一審よりきちんと判断している」と話した。  判決について福岡市教委は「賠償額は引き上げられたが、おおむね市の主張が認められた」としている。 「でっちあげ」事件、その後 http://www.shinchosha.co.jp/book/303671/

生徒らが校長復帰を嘆願 服装、態度で不合格の県立高・神奈川県

 ちょっと前(10月頃だろうか)に、神奈川県の高校で、「見た目」で22人が不合格となった。そして、校長先生が非難の的になって、異動したというニュースがあった。  「内外教育」2008年11月28日(金) 第5870号に「生徒らが校長復帰を嘆願 服装、態度で不合格の県立高・神奈川県」という記事を見つけた。  神奈川県立神田高校(平塚市)が、服装や態度を理由に受験生を不合格にした問題で、同校の生徒ら7人が17日、研長を訪れ、基準外の選考を指示したとして更迭された渕野辰雄前校長の復帰を求める請願書を提出した。  請願書には在校生341人中234人と、元PTA役員らが街頭などで集めた3,100人以上の署名が寄せられ、「課題校と呼ばれていた高校が渕野先生の(同校への)赴任を機に改善されつつある」などと更迭撤回を求めた。県教委にもメールや電話で約1,200件の意見が寄せられ、うち9割は前校長に同情的という。  これに対し山本正人県教育長は、人事異動を撤回する考えはないとの談話を発表した。  前校長は「まじめな子を取りたい」と、入試の願書提出時や試験日の茶髪、まゆそりなど、公表していない基準での選考を指示。県教委は前校長を1日付で県立総合教育センター専任主幹に異動させている。

ボールの来る所に動く

 サッカー観戦のブログの続き。  サッカーは素人なので、間違ったことを書くかもしれない。  プロのサッカーを見ていて、強いチームと弱いチームの違いを考えてみた。弱いチームは、パスが自分の所に来るのを待っている。それに対して、強いチームは、パスが出しやすい所に動き、ボールをパスしてもらっている。・・・ような気がした。  我々の仕事でも、同じようなことが言えるのではないだろうか。仕事のできない人は言われたことしかやらない。(ひょっとしたら、言われたことすらやらない人もいるかも。)  仕事のできる人は、周りをよく観察し、気付き、周りの人が仕事をしやすいように仕事をしている。相手の立場に立って仕事をしている。当然、自分の仕事もきちんとしている。

しっかりやれ!

 サッカー(Jリーグ)の試合を見に行ってきた。優勝争い、J1残留争いが熾烈である。最終戦にまで持ち越された。  試合中、観衆の中に野次を飛ばしている人がいた。自分のひいきのチームに「しっかりやれ!」「まじめにやれ!」。見ていて、見苦しい。一生懸命プレーしている選手に「しっかりやれ」とか「まじめにやれ」はないでしょう。  その時、ふと思った。一生懸命やっている子どもたちに「ちゃんとやりなさい!」とか「しっかりやりなさい」と叱咤していることはないだろうか?  特に、発達障害の子の場合、やることがしっかりと分かっているだろうか?(大人の指示がしっかり通っているだろうか?)一生懸命やっているのだが、微細運動が苦手でうまくできないということはないだろうか?  ふと自分の行動を反省した1日だった。
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