郁文館夢学園、英検試験問題を事前に教える

 教育再生会議のメンバーであり、大手居酒屋チェーンの社長が理事長を務める都内の郁文館夢学園で英検試験問題を事前に教えるという事件があったようだ。  「テストの平均点がよくなるように」とか「資格が取れるように」としようとすると(効率をよくしようとすると)、不正が一番手っ取り早いのかな。そう言えば、以前に、都内の小学校の実力テストで間違えている所を「指差し」という問題もあったっけ。  実用英語技能検定(英検)の試験会場となっていた東京・文京区の中高一貫の郁文館夢学園で、少なくとも02年までの7年間に、英語教員の一部が事前に入手していた試験問題を生徒に教えていたことがわかった。  学校側の説明によると、郁文館夢学園は「郁文館」という法人名だった少なくとも95年から02年までに英検の試験会場になっていた。英検の会場となった学校には、試験問題が事前に送られてくるため、英語の教員らがそれを参考にして、受験する生徒の一部に試験問題を事前に教えていたという。  郁文館夢学園・堀切一徳校長は27日付で責任を取って辞任し、学校側は28日に緊急の保護者会を開き、この問題について説明を行うという。 http://www.news24.jp/130079.html
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悪質メール『経験』6割 中高生の携帯調査『自分が送信』も2割

 昨日の朝刊に、チェーンメールの調査結果が載っていた。  「不幸の手紙」の場合は、「郵便局に収入が増えたのかな・・・まさか郵便局の陰謀?」などと思ったが、チェーンメールって誰が何のために送るのでしょうね・・・まさか、パケット料を稼ぐためのケータイ電話屋の陰謀・・・!?  それにしても、ケータイを使うのは、「自室で一人の時」は、ちょっと危険だな。  携帯電話を持つ中二と高二の約六割が、「不幸の手紙」のような「チェーンメール」を受け取った経験があることが二十五日、文部科学省の携帯電話利用調査で分かった。三割は自分が迷惑メールを送り付けたり、悪口を書き込むなど問題行動をしていた。  調査は昨年十一-十二月に実施。全国の公立小中高校から抽出した小六、中二、高二の計約一万人から回答を得た。携帯電話の所有率は、小六24・7%、中二45・9%、高二95・9%だった。  一日の平均メール送受信件数が三十件以上だったのは、小六7・1%、中二33・4%、高二27・7%。送受信件数が多いほど就寝時間が遅い傾向があった。  トラブルについて「ない」と答えたのは、小六では約六割だったが、中二と高二は約三割にとどまった。チェーンメールを受信したことがあるのは、中二60・4%、高二57・1%に上る。「心当たりのない料金請求」は中二6・3%、高二14・8%、「ネット掲示板に悪口を書かれた」は中二6・0%、高二9・4%だった。  一方、チェーンメールを送信したことがあるのは、中二22・7%、高二24・0%。掲示板に他人の悪口を書き込んだ経験が、中二で4・0%、高二で4・9%あった。  携帯電話を使う場面は、全学年で「自室で一人の時」が最多だった。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009022602000069.html

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暗唱指導の方法 最初の一歩を大切に

 教室ツーウェイより、向山洋一先生の記事。  暗唱指導って大切なことだと思う。暗記することは悪だという風潮で、暗唱をさせなくなっていると思う。暗記することにより脳が鍛えられると思う。  暗唱指導も我流ではだめだ。正しい指導法だと子どもたちのきちんと覚えられる。  私の暗唱体験は、5才頃に始まる。  母親が毎晩「読み聞かせ」てくれた絵本を暗唱してしまい、叔母の家で聞かせたら、ものすごくほめられたのが始まりだ。  小学校1年生の5月、遠足に行った洗足池で、担任の渡辺先生が「向山君、覚えているお話しをしてごらん」と言われたのが次に強烈な思い出だ。 「こんなことで、ほめられるのかな」と、チラッと思った。どうして渡辺先生は、そんなことを知っているのかとも思った。  まもなく、母親は「小倉百人一首」を買ってくれた。  母親と私、二人の対戦だ。妹、弟はまだ乳幼児で加われなかった。  母親が大好きな札は「久方の光のどけき春の日に・・・」で、それがどれだけ好きなのか、語ってくれた。娘時代のエピソードを、あれこれ話してくれるので、私も「得意札」を、一枚覚えることにした。 「一枚覚える」のが大変だった。 「和歌」の「型」が、分からないためである。  一枚を苦労して覚えた。  すると、次はあまり苦労しなかった。  覚えるほどに、簡単になった。  ちなみに、私の五色百人一首の読み方は、母の読み方である。関東地方の小都市で、市長などを出した旧家の読み方である。 「暗唱する」ことは「最初の一歩」が、ものすごく大変であり、そこを通過すれば楽になることを体験したことになる。  私は、子どもに「詩」を暗唱させるとき、最初から「全部」を覚えさせることはしない。  各自、練習させたあと「全員起立、題と作者名を言ったらすわりなさい」と言う。  例えば「小諸なる古城のほとり、島崎藤村作」と言えば、すわっていいのだ。  簡単だから、すぐ、全員ができる。  そして、次のように言う。 「全員起立、題名、作者名、最初から二行を覚えたらすわりなさい」  このようにすると、子ども達は、次々に覚えるのである。 「全部覚えた人、先生がテストをします」 と言うのは、それから後のことである。  このテストの時は「一字間違えたり」「つまったり」しても不合格である。  私のテストでは、一番きびしい。これが大切なのである。  そして、合格した子を(三人~五人)ぐらい「テスト係り」として採用する。  こうすると、テストをあちらこちらで受けられることになる。  合格した子は、名簿毎に、赤丸を記入していくのである。  小学校高学年の時、同居した母の一番下の妹は、名文・詩文が大好きだった。 「ああ、ついに新しき詩歌の時は来りぬ」という『若菜集』の序文を、全文暗唱してくれた。その美しい調べに、魅了された。  小学校の時に、私は三十近い名文、詩文を暗唱できるようになっていた。

先手 後手 徒手

 教室ツーウェイより、吉永順一先生の記事。 ▲上農は、草を見ずに、草をとる。 ▲中農は、草を見て、草をとる。 ▲下農は、草を見ても、草をとらず。  この言葉は、教頭時代に薫陶を受けた上司がよく使っておられた。 ▲立派な農民は、はじめから草など生やさない。 ▲普通の農民は、草が生えたらそれを取る。 ▲本気でない農民は、草が生えても放っておく。  このような意味かと思う。  農を借りて、わたしたちの生き方を戒めとしてつくられた言葉であろう。この言葉は、混乱を極める今の社会の状況に、ぴったりの言葉ではないだろうか。広島県の中学校教諭だった八ツ塚実先生は、この言葉を教育界用に次のようにつくり変えておられる。(文献「現代教育直語」光雲社) ▲上教は、平凡な日々に、全力をつくす。 ▲中教は、事が起こって、あわてふためく。 ▲下教は、事が起こっても、何もできない。  教育の仕事には、その内容の良否を判定する評価はあまり問われることはなかった。あるとすれば、入試の合格率と目立った問題行動であった。  現在は、問題行動(学級崩壊、いじめ、不登校、暴力等)により、学校の在り方が厳しく問われている。また教職員による不祥事により学校信頼がゆらいでいる。さらには学力低下の問題が社会問題となっている。  問われているのは何か。  教育の質、教育の量、教育の型。  このどれか?  新指導要領では、ゆとり教育批判から授業時間が増えることになった。これは「量」の問題である。  量が増えると問題が解決するほどことは簡単ではない。  学力の問題では教育の「質」が問われることになった。学校教育法に「習得」の二文字が加わった。年間計画を消化すればよしとする時代は終わった。どの子にも基礎基本を習得させることが求められるようになったのである。  当然、学校は、このような時代の変化に対応しなければならない。  わたしたちの対応は、次の手のどれかになる。 ▲先手  起こり得ると予想させるすべてのことを視野にいれて、着実に手を打つ。 ▲後手  事が起こって、はじめて対処療法的な対策をたてる。 ▲徒手  大変な事態に突入しつつあることにも気付かない。事が起こっても様子を見ると称して適切な対応ができない。  むろん「先手」である。  ここで教育の「型」が大事になってくる。先達が築いてきた実効性のある指導方法の共有、授業の腕を磨く修行が不可欠となる。  学校は本来、先手を打つためにつくられた所のはずである。

男の子はなぜ元気がないか

 教室ツーウェイ2009年3月号の明石要一先生の記事より。 <色:#0000ff>1 男の子の元気のなさの現象  先般千葉県の中学校の講演に出かけた。それは生徒会とPTAの合同主催であった。会の進行と挨拶は生徒会が仕切っていた。  その中学校の生徒会長は女性である。堂々とした挨拶である。  今、小中学校の児童会、生徒会の会長は女性の進出が見られる。  これだけではない。小学校の運動会の花形は応援団長である。その団長にも女の子が登場している。中学生の兄の学ランを着用して堂々と指揮を執っている。  また、中学校の文化祭の実行委員のメンバーの大半は女生徒が占める。さらに、合唱コンクールの指揮や英語コンテストのスピーチでも女生徒の独壇場である。  まだある。青少年健全育成の一環として中学生による「少年の主張」がある。約80万人近くが参加している。原稿用紙5枚程度に自分の主張をまとめ47都道府県から各1名選出される。  私は3年間選考委員をした経験がある。その間、県代表として登場する性別比率は女生徒が40名、男生徒が7名ほどである。大半が女生徒が占めている。  テープ審査をし13名ほどに絞り、11月に宮様のご臨席をいただき実際の主張をしてもらう。そして、内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞などを選ぶ。その結果、なぜか女生徒が賞の大半をさらう、という事実がある。  弁論大会や選挙の立会演説などは男の子の独壇場であった。それがなぜか今や男の子の姿が見えなくなりつつある。  女の子の登場は喜ばしいものである。しかし、男の子の衰退はどこに原因があるのだろうか。 2 男の子はなぜ元気を失ったか  男の子が元気を失った理由は何か。多くの原因がある。私はその中で男の子の集団行動が消滅した、ことを指摘する。  子どもたちの放課後が消えてしまった。その影響を直接に受けたのが男の子たちである。彼らの群れ遊びが崩壊してしまったのである。  群れ遊びを思い出してほしい。集団のメンバー6から8名である。そこで遊びのルールや取り決めを自分たちで決める。  集団のサイズが大きいので、子どもが意見を言う場合必ず主語と述語を使ったメッセージを出す。だから、論理的な思考が身につく。  それが、集団が小さいと主語と述語の省略が可能である。「ねえ、ねえ、聞いて」という井戸端会議的な会話が主流となる。そこでは論理より感性が優先する。  忙しい子どもの出現で放課後の群れ遊びが崩壊し、独りぼっちの男の子が登場し始めている。友達と関われない男の子が増えている。大勢の前で自己表現をすることが苦手となっている。  子どもたちを集団の中で鍛えるシステムを再構築しなけば、海外で活躍する男の子がみられなくなる可能性が高い。

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子どもが将来自立できるぎりぎりの学力を保障するのが教師の重い責任である

 教室ツーウェイ(明治図書)2009年3月の巻頭記事より。詳しくは本誌をお読みください。 <色:#0000ff> すべての「教育の場」は、「その教育を必要としない人」に育てることを目的としている。  自動車学校は、「もう自動車学校へ来なくてもいい」という「知識」「技術」を身につけさせ「運転する能力」を身につけさせる。自立をさせることである。料理学校でも、美容師学校でも同じである。  小学校も同じである。学校教育法では「目標」を明確に定めてある。全部で八項目。算数の項目は次のようになっている。 『日常生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する能力を養うこと。』  「処理する能力まで」「習得」させなけらばならない。これに反する行為は、違法行為となる。  なぜ、このことが必要なのだろう。  この能力を身につけなければ、将来の自立は極めて困難だからだ。このことを、厳しく指摘したのは医師たちである。 『小学校4年程度の学力を身につけなければ、将来の自立した生活は極めて困難である。つまり、就職して結婚して、社会生活をしていくことが極めてむずかしい。』  ある大学病院の医師は、「私の経験では例外がない」という。  小学校4年程度の「読み書き等」の能力を習得させる責任は、誰にあるのだろう。その責任は、まず、「小学校の教師」にある。大人になって「自立できなかった教え子」の責任は、教師にある。小学校六年間、すべての担任の責任である。  ここで対象になるのは、約1割の発達障害の子と約14パーセントの境界知能の子である。合計24パーセントである。その子たちの将来が、担任の教育にかかっている。とりわけ大切なのは、算数と国語だ。その学年の市販テストで「70点」は、とれる実力をつけさせたい。70点は「正しい指導法」でやれば、どの教師でも可能な目標である。1年から6年までの、すべての担任が、責任を持てば、小学校卒業の時に「4年生までの読み書き等を習得させる」のは、十分に可能である。  ところが「算数の問題解決学習」では、これができない。24パーセントの発達障害の子、境界知能の子を、ドサッと落ちこぼしている。1時間の授業で1問しか解かず、教科書の復習問題などを宿題にしているのだから当然である。「教科書を使うな」と強要する管理職もいる。日本教育技術学会「中学校入学時の学力調査」を毎年実施しているが、「整数の四則計算もできない子」が、小学校を卒業してくる。  算数の問題解決学習の教師は「市販テスト」「ペーパーテスト」では「本当の学力は分からない」という。冗談ではない。世界中の国々は、ペーパーテストで、学力を評定している。更に、医学の世界では、明確に「小学校4年生の読み書き算」という指標を示している。  何万人何十万人という子ども達の「基礎学力」に責任を持たない、算数の問題解決学習の教師たち。そうした子の多くは、多重債務者になる。就職できない。ヘルプ、サポートが必要となる。本来、自立していける子どもを、スポイルしているのである。裁判にかけられないのが不思議である。  何も特別のことではない。「教科書を、きちんと教える」ことをすればいいのである。  さて「教科書をきちんと教える」とは、時間内に、すべての子が満足するような授業を展開することだ。算数のクラス平均が90点を超えることだ。  それができるためには「技能」を身につけなくてはならない。運転免許をとった時と同じくらいの時間と真剣さが必要である。クラス平均90点以上を実現している教師に教えてもらうのがいい。  これだけでも駄目だ。「発達障害の子が、熱中する学習」をしていかなけらばならない。「ペーパーチャレラン」は、慶応大学医学部の精神神経科学教室が「統合失調症」の「訓練プログラム」として研究し、東大、京大など40大学が参加する医学研究会で最優秀になった。やる気、持久力などを育てるのである。例えば、「ペーパーチャレラン」は、クラスをまとめ、熱中させるのに絶大な効果がある。  子どもの中には「負ける」のを病的に嫌がる子がいる。パニックに陥るのである。こうなると「ルールを守る」「みんなとやる」などの行動ができない。「がまんする」こともできない。効果があるのは「五色百人一首」「五色名句かるた」である。1日5分、3ヶ月ぐらいで効果が出る。五色百人一首、五色名句かるたで、学級崩壊をたて直した教師は何千人もいる。  但し「使えばいい」というものではない。「正しい使い方」(ユースウェア)がぜひ必要である。「薬」でも「パソコン」でも「正しい使い方」をしなければ効果はないのである。  私は30歳の時、6年1組の学級経営案に「小学校教育の基本」として14項目を書いた。そのうち5項目を紹介する。今も変わらぬ私の考え方である。 ○無数にある教育機関の中で、いわゆる学校教育は、他と区別さるべき明確な特徴を持っている。それは、被教育者を丸ごと見ているという点である。  いうまでもなく教科指導は、学校教育の基本的指導項目である。しかし、学校教育においては、教科指導に止まることなく、社会生活・集団生活をしていく上でのルール、行動様式、生命保全の訓練、歯のみがき方から時には手の洗い方、トイレの使い方まで教える。  一人の子どもが、やがて生きていくに必要なすべての面にわたる教育をする。これが、他のいかなる教育的組織ともちがう、学校教育の特徴である。 ○したがって、学校教育はすべての子の、すべての面にわたる教育をするという全面性に貫かれている。どれほどすぐれた塾の教育も、決して学校教育の代用にはなりえない。  (顔を洗う。歯をみがく。持ち物に名前をつける。近所の人にあいさつをする)こうした日常生活の行動様式は、普通は家庭で教えられる。  こうしたことを家庭教育できちんとしていれば、学校教育ではとりたてて教えなくてもよいこととなり、他の教育的活動にその時間をまわせる。しかし、こうしてことができていないと、学校教育で取り上げざるをえなくなる。それは、やらないですむことではなく、放置してよいことではない。学校教育は、時として家庭教育の補完をしなけらばならい。 ○生きていくに必要な手だてを教えるということは、ひとり人間だけにとどまらず他の動物でも見られることである。  人間の教育が他の動物と違うのは、それを社会的・組織的に行っていることである。それは人間社会が多様で複雑で、親の手に余るからである。人間社会が単純で原始的な時代は、当然のことながら学校教育を必要としなかった。多様化・専門化・分業化するにつれて必要度を増していったのである。 ○人間が人間として人間社会の中で、現在および将来にわたって生きていくに必要な手だてを、態度や知識や技能や身体を、育て教えていくのが学校教育である、小学校はその中で最も初歩的基本内容を受け持つ。 ○小学校教育は次のようでなければならない。  それは生きてゆく力を育てる。  それはあらゆる分野を含む。  それは成長の始発点を受け持つ。  それは人間社会(集団)の中で育てられる。  それは一人ひとりのちがいをふまえられている。  それは態度・技術・知識を教え育てる。  それは計画的に系統的に連続的に育てられる。

「きょうの料理」(NHK)少子化で材料の目安2人分に

 社会構造が変化しているんですね。  核家族化に、教育も対応していく必要を感じます。  NHK教育テレビの料理番組「きょうの料理」で紹介する料理の食材の量が、これまでの4人分から2人分に変更される。3月30日放送分からで、見直しは44年ぶり。  NHKによると1957年の番組開始当初は5人分だったが、核家族化の進行で65年から4人分に減ったという。その後も実態に合わないとの理由で、何度か見直しが議論されたが、一家だんらんのイメージが損なわれるとの意見が根強く、見送られていた。今後は2人分を基本にしながら、料理に応じて柔軟に対応する。  1世帯の平均人数は05年の国勢調査で2.6。同番組の湯川英俊プロデューサーは「少子化で世帯人数が減少傾向にあることに加え、廃棄される食べ物が増える状況で食物を大切にする姿勢を示した。テキストの読者アンケートでも2人分を望む声が増えていた」と説明している。 http://mainichi.jp/select/today/news/20090219k0000m040067000c.html

5つの「人間の生き方の原理原則」

 「内外教育」2009年2月10日(火)第5887号に「『心を育む5つの提案』公表-『日本の良さ』復活へ・塩谷文科相」という記事が出ていた。 <色:#0000ff> 道徳教育の充実に重点を置く小・中学校の新学習指導要領が4月から先行実施されるのの伴い、塩谷立文部科学相は3日んの閣議後記者会見で、「心を育(はぐく)むための五つの提案」を公表した。情報化社会の急速な進展で、「日本の良さが失われてつつある」として、家族や地域ぐるみでの教育力向上を目指すとしている。  提案は①読み書きそろばん・外遊びを推進する②校訓を見詰め直し実践する③先人の生き方や本物の文化・芸術から学ぶ④家庭で生活の基本的ルールをつくる⑤地域の力で教育を支える-の五本柱。今後、具体的な推進方法を検討するという。  家庭でのルールづくりでは、「親と子の約束」として、「手伝いをしよう」「いじめるな」「人に迷惑を掛けるな」といった六項目を掲げた。  ある民間の教育団体では、だいぶ前から「道徳教育の指針」として、次の5つを人間の生き方の原理原則とし、実践してきた。国の対応や地教委の対応は後手後手にまわていると思う。民間の任意の教育団体の方が先端であるし、子どもたちのためになる教育をきちんと考えている。  1 相手のことを心から考えよう  2 弱いものをかばおう  3 世のため人のためになることをしよう  4 まず自分にできることをしよう  5 先人に学ぼう

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伝統的な行事(年中行事)がしつけの一部だったのでは?

 今日は、節分。でも、最近は、伝統的な行事が廃れてきているような気がする。  しかし、その行事が子どものしつけに大きな役割を果たしてきたように思う。  節分の行事ではないが、秋田の「なまはげ」は、「泣く子はいないか」「親の言いつけを守らぬ子はいないか」「怠け者はいないか」と子供を戒めている。  小さい頃から、親の言いつけを守らないといけないと刷り込まれてきていたと思う。  子どもが親を手にかけるという事件も発生している。もう一度、躾のあり方を考えてみる必要がある。  なまはげ:秋田県男鹿(おが)半島の村々の小(こ)正月行事。  なまはげが入口で「うおーうおー」と奇声をあげると、家の主人は羽織袴(はかま)で迎え入れ、酒や餅(もち)でもてなす。その間なまはげは、「泣く子はいないか」「親の言いつけを守らぬ子はいないか」「怠け者はいないか」などとわめき散らし、子供を震え上がらせる。親が子供にかわって謝ってやったりする。  なまはげが小正月に訪れ来ること、仮面や蓑をつけた神人の姿をとっていること、家に入ってまず神棚を拝み足を踏み鳴らすこと、家の主人が正装で迎えてもてなすことなどをみても、単なる即興的な行事でないことは明らかである。  同類の行事は青森県から沖縄に至る各地にあって、年の境に遠来の神が人間に祝福を与えるために来臨する形を示すものである。  ただ多くの地方では祝福のことばと引き換えに、餅や銭をもらい歩く物もらいのような形に零落した例が多いだけである。  なまはげの呼称については、青森県でシカタハギ、岩手県でナモミタクリ、ヒカタタクリ、ナゴミタクリ、スネカタクリ、ヒガタタクリ、秋田県でヒガタタクリ、ナモミハギ、ナマハギ、石川県でアマミハギ、アマメハギなどという。炉端で火にあたってばかりいるとできる皮膚の火斑(ひだこ)をナモミ、アマメなどとよんだもので、怠け者を戒めるために鬼がくるのだと説明している。西のほうではホトホト、コトコトなど訪問の物音をこの行事の名称にしたものが多い。 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%81%92/  滋賀県東近江市内には、「悪いことをするとガオが来るぞ-」と怖がらせて親が子をしつけたという正体不明の妖怪「ガオ」伝説がある。「親の言うことを守るか」などと子どもたちと約束し、お札を置いていく。  しかし、最近、ガオをしつけの切り札に使う親はほとんどなく、先人が子育てに使ったガオを見直そう-と八日市商工会議所の会員有志は復活を計画。 http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090117/CK2009011702000005.html

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他人の失敗を喜ぶ子

 人の失敗や落ち度を大人に報告する子、人が失敗しているのを喜ぶ子、教師から叱られているのを喜んでみている子・・・。  努力して自分を高めようとせず、他の人を引き下げようとする・・・そんな子が増えた気がする。  努力することの大切さを教えたい。努力して自分を高めようとすることの大切さを教えたい。

面倒くさいことを嫌がる子

 面倒くさいことを嫌がる子が増えている気がする。面倒くさいことはやらない。嫌なことはやらない。  「ダリー」とか言って、ダラーっと座っている子もそうかもしれない。  これも、個性、自主性を尊重するとかいう教育のツケのような気がする。わがまま尊重の教育になってはいないか?  「嫌なことでもやらなければならないことがある」「努力することは大切である」という教育を進めたいものである。
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ニャン太郎

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