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アドラー心理学

 アドラー心理学って何?と思い、「日本アドラー心理学会」のホームページを調べてみた。  アドラー心理学は、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラー (A.Adler)が創始し、その後継者たちが発展させた心理学の理論、思想と治療技法の体系です。個人心理学(Individual Psychology)というのが正式名称ですが、個人心理学というと、個人を細かく分析したり個人のみに焦点を合わせるように誤解されやすいので、日本では、この名称はあまり使われません。  理論的な特徴としては、 人間を分割できない全体として把握し、理性と感情・意識と無意識などの対立を認めないこと(全体論)、 行動の原因でなく目的を理解しようとすること(目的論)、 客観事実よりも、客観事実に対する個人の主観的認知のシステムを重視すること(認知論)、 精神内界よりも個人とその相手役との対人関係を理解しようとすること(対人関係論)、 などをあげることができます。  思想的な特徴としては、 他者を支配しないで生きる決心をすること 他者に関心を持って相手を援助しようとすること があげられます。  治療技法としては、 現実的に達成可能な治療目標の一致をとること(目標の一致)、 クライエントの言うことの主として目的について推量をして、それをクライエントに確認をとる(解釈と推量)、 クライエント自身が自分の責任で解決しなければならない課題と、クライエントには責任がなく介入する権利がない課題とを区別する(課題の分離)、 目標達成のためのさまざまなアイディアを提供する(代替案の提示)などがあります。 などがあります。  アドラー心理学は、一般に理解されているように精神分析学の亜流や改変ではなく、むしろアンチテーゼといえ、さらに社会精神医学・自我心理学・人間学的心理学などの現代の心理学諸潮流の理論的先駆けであるともいわれています。 http://www.adler.cside.ne.jp/ http://homepage3.nifty.com/adlerian/  で、結局、アドラー心理学って何?よく分からない。Wikipediaで調べてみた。  個人心理学(こじんしんりがく)とは、アルフレート・アドラーによって創始された心理学理論。アドラー心理学、目的分析学とも呼ばれる。  人間の行動の根源を「権力への意志」であるとし、権力への意志が満たされないことで発生する劣等感が人間の様々な問題を引き起こすという。これは人間行動の根本動機をリビドーであるとしたフロイトの説に異を唱える形で提唱された。  行動の原因ではなく目的を分析する(過去の体験よりも未来への目的の置き方を重視する)。  人間を全体として捉え、理性と感情、意識と無意識を対立するものとしない。  人間を社会的存在として捉え、対人関係の分析に重きを置く。  客観的事実そのものより、客観的事実に対する主観的意味づけを重視する。  などの理論的特徴がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6  う~ん、分かったような分からなような・・・。「アドラー心理学」の原典って何だろう?
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「ICTで学力が向上」はホントの話

 ちょっと古いが「日経パソコン」の2007年3月26日号が出てきた。そこに野間俊彦先生の記事が出ていた。タイトルは「ICTで学力が向上」はホントの話。 <色:#0000ff> 今年1月24日教育再生会議が第一次報告を提言した。余談だが、公教育に携わる立場としては、教育再生会議が言う「公教育の再生」という言葉にはとても違和感がある。「再生」というのは、死んだものを生き返らせるという意味だ。だが、公教育は決して死んではいないと思っている。子どもたちの成長のためにがんばっている学校や先生たちを筆者はたくさん知っているからだ。  それはさておき、教育再生会議の報告では学力の向上が一つの柱になっている。ところが残念なことに、この報告の中には学力向上の方法としてICT(Information and Communication Technology)の活用が唱われていない。教育再生会議は法律さえも変えるというほどの勢いがあるので、ぜひICT活用を入れてほしかった。 「わかる授業」をつくるのだ  教育再生会議の報告と前後して、ICT活用で学力が上がると実証した研究が報告されたので紹介したい。今後のICT活用推進の根拠となる貴重な実証研究だ。  国が進める教育の情報化には、①子どもたちの情報活用能力の育成(情報教育)、②各教科などにおける先生や子どもたちのICT活用(ICT活用教育)、③校務の情報化、の3つの柱がある。この研究で取り上げているのは、②のICT活用教育である。ICT機器を使って教科などの指導目標の達成度をより高めることが狙いだ。授業の中で、先生がプロジェクターや大型テレビで小さなものや手元を大きく映したり、体験できないものをシミュレーション映像で疑似体験させたりする。子どもたちは、コンピューターやインターネットで調べたり、他の学校や専門家などと交流したりする。ICT機器を使って、「わかる授業」や「魅力ある授業」をつくるのだ。 テストの点も達成感もUP  その研究は、文部科学省の委託を受けて独立行政法人メディア教育開発センターが全国の小中高344件の授業において、ICTを活用した学級と活用しない学級の調査結果を比較して検証した(しない学級には後で使用してフォローしている)。  使用されているICT機器は、頻度の高い方からコンピューター、プロジェクター、インターネット、電子情報ボード、デジタルカメラ、実物投影機、スピーカー、CD、スキャナー、プリンターの順になっている。電子情報ボードとはタッチパネル式の大型テレビで、パソコンを接続すれば、画面をタッチして操作ができる。実物投影機は、台面に置いたものが画面に大きく映る機器だ。  ICT機器が活用された教科は、小学校では理科、算数、社会が多く、中学校では技術・家庭、理科、数学、高校では情報、数学が多い。これらの教科でICT活用の場面を設定しやすいということだろう。面白いことに、実践の数は小学校が圧倒的に多い。小学校では担任が多くの教科を持つので活用の場面が多いからだと思われる。  どの教科でも、ほとんどの授業でICTを活用した学級の方が活用しない学級よりテストの結果が上がっている。特に中位層と下位層に効果が高いことが注目される。ただ、なかには全く効果が上がらなかった場面もある。何でもかんでもICTを使えばいいのではなく、やはり向き不向き、適材適所があるということだ。  学習意欲や達成感については、どの授業でも活用した学級の方が高い数字が出ている。授業の導入部分での活用が1つのポイントになるだろう。  なお、本研究の報告書のPDFファイルは次のURLでダウンロードできる。 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/07/06071911/001/001.pdf 教える側の尻をたたけ  残念なことは、この研究結果のようにICTの活用で学力が向上すると数字を挙げて話しても、黒板とチョークだけで十分にいい授業ができると思い込んでいる先生は、やっぱり使わない。ICTを活用する授業というのは、自分の授業を改善しようという向上心がないと成立しないのである。向上心がない先生は、ICTだろうが何だろうか、なかなか動かない。そういう先生を刺激する意味でも、教育再生会議の報告でICT活用に一言触れてもらいたかったのである。

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迷惑メール受信拒否の設定方法

 もうすぐ新学期だ。携帯電話を買い与えようと考えている親御さんも多いだろう。  しかし、携帯電話には、メールやホームページ閲覧などで多くの問題点がある。自分の子どもは自分たちで守らなければいけない。  「全国Webカウンセリング協議会」が、携帯電話各社の「迷惑メール受信拒否の設定方法」「ネットのフィルタリング」の仕方をまとめている。 http://www.web-mind.jp/  その資料です。 http://n-h-m.hp.infoseek.co.jp/ref/cellphone.LZH

うつ病 薬頼み 再考論

 2009年12月26日の朝刊に「うつ病 薬頼み 再考論」という記事が出ていた。 <色:#0000ff>10年で2倍 患者100万人  厚生労働省の発表によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者数が初めて百万人を超えた。うつ病を「心の風邪」ととらえて完治を目指すと、治療は服用に偏り、長期化すれば薬漬けにもなりがちだ。そこで、患者らが集まって「完治ではなくて、うつ病と付き合っていこう」と発想の転換を図り、自身の病気へのかかわり方を見つめ直す試みが広がっている。 薬普及と患者増が比例
<色:#0000ff> 厚労省は今年初め、全国の病院や診療所を利用した患者の状況を調べる「患者調査」の結果を発表。3年に一度の全国調査だ。  この調査で気分障害の2008年患者数は百四万一千人で、初めて百万人を超えたことが分かった。気分障害にはうつ病、そううつ病、気分変調症などが含まれるが、ほとんどは、うつ病で、気分障害とうつ病の患者数はほほ同じという。  気分障害の患者数は、1996年には四十三万三千人、99年は四十四万一千人とほぼ横ばいだったが、2002年には七十一万一千人、05年には九十二万四千人に急増。この10年間では二倍以上に増えている。  その背景として、まず指摘されるのは長引く不況と、それによる雇用情勢の悪化だ。  昭和大医学部の岩波明准教授は「失業給付の期間が1年と短く、失職すれば社会的に救済されにくいわが国では、個人にとって雇用の重みが大きい。このため不況下の今、長時間労働を受け入れざるを得ず、働き過ぎてうつ病になる人が非常に多い」とみる。  横浜労災病院の江花昭一心療内科部長も「経済的な行き先不安や就職活動の失敗などから気分の落ち込みを訴え、来院する人が目立つ」と話す。  また、抗うつ薬の普及と患者増との関連を指摘する声もある。  患者調査で気分障害急増した分岐点は、99年から02年。96~99年に1%以下だった年間増加率は、99年以降は10%を上回る勢いだ。  「なぜうつ病の人が増えたのか」の著書があるパナソニック健康保険組合の冨高辰一郎メンタルヘルス科部長は、99年に日本で選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が抗うつ薬として発売されたことを重視する。「精神疾患の休職者も99年ごろを境に急増した。この薬が導入されると、うつ病の患者や休職者が爆発的に増える減少は、英米仏など欧米先進国でも共通して起きている」と指摘。 「心の風邪」と啓発活動進む  日本で発売されているSSRIは現在、「ルボックス」「パキシル」「デプロメール」「ジェイゾロフト」の四種。  冨高氏は「発売とともに製薬会社を中心に、うつ病啓発活動が進められる」という。啓発活動は①うつ病は風邪のように誰でもかかる②適切な治療で治る③早期受診が必要-と呼び掛ける。病院で受診すると、服薬を勧められ、受診者は、うつ病患者に数えられる。休養を勧められると、休職者も増えていくという構図だ。 「病気と暮らす」考え方  だが、薬に過度に頼りがちな現状に疑問の声も出始めている。現在、抗うつ薬として広く使われているSSRIは脳内の神経伝達物質セロトニンの安定を図るとされる。  「誤解だらけのうつ治療」などうつ病に関する著作が多いジャーナリストの上野玲氏は、「セロトニンなどが不安定化して起きるという、うつ病の発病メカニズムは仮説にすぎない。抗うつ薬が効かないとは言わないが、『万能薬』ではなく、薬さえ飲めば治るものではない」と指摘する。  さらに「電子カルテに向かい、患者の顔も見ずに『薬を出しておきましょう』という医師もいる」と、投薬に偏りがちな現状を批判する。  現在のうつ病治療は服薬と休養が基本で、それで回復する患者も多い。日本では軽い症状の段階から薬が投与されるのが一般的だが、欧米では軽症者に対して薬を積極的には勧めていないという。  冨高氏は「軽症うつ病の人には、まず本人の話を聞き、休養を勧め、自己療養の仕方を説明し、不眠などがあれば少量の睡眠薬などで治療を始めるのがいい。精神的に健康度が高い人がストレスの重なりで、うつ病になった場合は無理のない生活に戻すだけで自然回復する確率は高い」と話す。  また、上野氏は「セロトニン仮説が本当だとしても、お金に困っているとか、職場でパワーハラスメントを受けるなどの環境要因が加わった時にうつ病を発症する。個人の生活環境を改善しなくてはならない」と、環境要因にも目を向ける必要性を説く。  こうした中、同氏は、患者が自らを見つめて、改善策に気付く場をつくる試みに取り組んでいる。「うつ病コミュニティ」を組織して秋田県と東京都、愛知県、京都府、大阪府で患者の会を開催。会は自由参加で月一度開き、自らのうつ病体験などを語り合う。 生活環境改善 患者同士学ぶ  今月5日には、松山市で初めて開催。20代から40代までの男女10人が参加し、「自分と同じ苦しみを抱える人に会い、孤独感から開放された」という安心感や、「ウォーキングで体力を回復している」対処法などについて語り合った。  仲間同士で話すことで、患者は共感や安心感を得るとともに、うつに向き合うヒントを見いだす。「医者と薬に頼るばかりでなく、他人や仕事との距離や生活の仕方を自ら変えようと気付いていく」と上野氏。「長期化や再発も多い。うつ病を心の風邪ととらえて回復を目指すより、うつ病と付き合い、暮らしていく考えが必要」と発想の転換を説く。  また、沖縄協同病院の蟻塚亮二心理内科部長は回復の方向性について「中には10年も、うつ病を抱える人や再発する人もいる。うつ病の回復に対する見解は精神科医の間でも分かれるか、症状をゼロにするのではなく、発病時と同じストレス状況に置かれても、対処できる能力を身に付けることではないか」と指摘。  「ストレス対処力を付けるには、かつての価値観と距離を置き、物事を違うものさしでみることが大事。今までと違う人生の軌道に乗り換えるのは患者自身であり、薬よりも患者が治療の主人公にならないと、うつ病は治らない」として提言する。「うつ病になって、いろいろ思い悩むのは一生懸命に生きている状態ともいえる。患者も周囲も肯定的にとらえて、うつ病と付き合ってほしい」

「村を捨ててしまう学力」が正常であるはずがない

 『教室ツーウェイ』(明治図書)3月号の巻頭は、向山洋一先生の「子ども達と「生きがいのある」社会を創造していくために」だ。詳しくは本誌をお読みください。 <色:#0000ff>(1)  「まちづくり」には、強烈な原体験がある。今から20年くらい昔、私は秋田県の市、町、村長、30名くらいの方に招かれ、講演に出かけたことがある。  幹事役は、秋田県のへき地、蜂浜村の村長さんだった。やる気とアイデアに満ちた方で、村の活性化のために「たぬき村の村おこし」を考え、国から予算をいただいたという。その中に「たぬきの童話」コンクールがあり、全国から二千作もの応募があった。 「向山先生。うちの村から二人も応募していたのです。こんな奥深い村にも、童話を書く人がいたんです」蜂浜村の村長さんは感動していた。そして、大切な話を切り出した。 「向山先生は、小学校の先生でしょう。うちの村にも、小学校、中学校があります。いい子たちです。大切に育てています」 「高校になると、隣の大きな町に行きます。でも、毎日、家に帰ってきます。高校を卒業して、進学したり、就職したりして、遠くの大都会に出ていきます」  そして、村長は私を見つめて言った。 「村を出て行った青年は、再び村に帰ってきません。後には、子どもを育てた両親が残されます。やがて年をとって、ジジ、ババになっていきます。このジジ、ババを誰がめんどうを見るのですか。成績が良かった子ほど、戻っては来ないのです」  私には、全くなかった視点だ。教師が、子どもを立派に育てれば、育てるほど、村を離れ、村には戻らない。そんなことがあっていいはずがない。 「村を捨ててしまう学力」が正常であるはずがない。  村のことをよく理解する教育。村のことを、誇りをもって他人に語れる教育。村の伝統や文化を身につけさせる教育。村や家族や友人をいつまでも大切にする教育。時々は、村に帰れるようなしくみ。いつまでもいつまでもふるさとを大切にする教育。そのような「まちづくり学習」を、私はしていこうと心に決めたのである。 (2)  村のことを理解し、誇りを持てるようになり、他の人にも語れるような教育として「観光立国教育」を開始した。 (中略)  世の中の動き方は「平和の時代」と「戦争の時代」では異なる。戦争の時代は、物資が激しく消耗され、もの不足となり、物価は上がり、賃金もあがる。インフレの時代となる。平和の時代は、ものがあまり、物価は下がり、賃金も下がる。粗く言えば、そういう流れになる。  戦争の時代は「豊かさ」を求めるが、平和の時代は「生きがい」を求めるようになる。  「大戦」「冷戦」という「戦争の時代」から、「社会主義陣営の崩壊」を経て「平和の時代」に突入した。残る戦争は「テロとの戦い」といく部分的なものである。  日本は「物価が下がる」が「賃金も下がる」という苦悩をかかえている。こうした社会で「生きがい」のある社会をどう創っていくのか、それは教師の大切な仕事である。 (3)  子ども達が、自分の育った地域を「好きになる」教育が必要だ。  第1には「すべての子どもの基礎学力を保障する」ことだ。  第2には、「発達障害の子、境界知能子」(子どものおよそ四分の一)の子を自立できるように育てることだ。その基本は、「教えて、教えて、ほめる」ことである。どなる教育、教えないで考えさせる教育などは最悪だ。多くの子どもと家庭を不幸のどん底におとしいれてしまう。  第3に、自分の住んでいる地域を理解して、誇りを持てるような学習をすることが大切だ。  第4に、地域の良さをアピールしていく「発進能力」「ネットワーク作成能力」を育てることが大切だ。  しかし、まだ不足だ。福留先生達が20年間推進してきた「子ほめ条例」を広げていくことも必要だ。入学してから卒業までに、一人残らず全員に「賞状を出す」という条例だ。  更に、小学校4年の「二分の一成人式」、中学2年の「立志の式」なども広げたい。教師だけができる活動だ。以下、長崎県の若い教師の報告である。  教職に就き、6年目。初めて4年生担任になった。「盛大な2分の1成人式をしよう」と決意した。以前から、やってみたかった実践である。実践した結果は、これまで経験したことのないものとなった。  2分の1成人式の中で最も感動を呼んだのは、学級でもやんちゃなS君の決意表明の時である。自分の生きてきた10年間を振り返り、親への感謝の言葉を述べているときである。言葉がつまり始めた。目には大粒の涙が溢れていた。涙で言葉が出ない。参観していた多くの保護者も涙。教室はシーンと静まりかえり、ただS君の嗚咽と保護者や子どもたちのすすり泣きの声だけが響いていた。S君は教室の中でもかなりのやんちゃ者。1,2年生の頃は周りの子への乱暴や絶えないケンカでよく問題になっていた子である。保護者たちはそのことをよく知っていた。そんなS君が目の前で泣きながら母親への感謝の言葉を述べているのである。  式が終わった次の日。S君は私にこう言った。「どうしてなのかわからないけど、ないてしまいました」たくさんの保護者に囲まれた中での厳かな雰囲気。初めて迎える人生の節目。決意表明の原稿を作成する過程で湧き上がった親への感情。それら全ての結果が彼の心を強く揺さぶった。  その後のS君は明らかに変わった。友達とのトラブルが激減した。悪いことをしても素直に反省の言葉が出せるようになった。落し物を拾って、持ち主に届けるようになった。数え上げればきりがない。  2分の1成人式での体験が彼を変えた。

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素読はセロトニンが出て脳を活性化する

 『教室ツーウェイ』3月号より、松藤司先生(皇學館大學)の記事。詳しくは本誌をお読みください。 (そういえば、齋藤孝先生(明治大学)も、音読や呼吸法について本に書いていたと思う。)  私の経験からいっても、声に出して読むって、とても大切なことだと思う。英語を指導していて、大きな声で読めるクラスは、英語ができるようになる。(怒鳴るような大声ではない。力強い大きな声だ・・・子どもたちは知らず知らずのうちに腹式呼吸で音読しているのだろう。) (引用) <色:#0000ff>  ずいずい ずっころばし   ごまみそ ずい  1年生の教室から音読をする元気な声が聞こえてくる。校舎に響き渡る1年生の声は1日の活力を教師にも与えてくれる。TOSSが開発した音声言語教材『話す・聞くスキル』を使っている。毎朝、授業が始まる前に唱えているのだ。 「意味、わかってるのかしら」  職員室で隣の先生がつぶやいた。 「意味を考えて唱えちゃだめなんですよ。考えない方が脳にいいんです」 「えっ、藤松先生、どういうことですか」  私は次のような話をした。 □ 脳科学を研究している有田秀穂さんはこう書いています。  子どもたちに大きな声で音読させるのも効果があります。読んで調子がいい文章がいいのです。意味はわからなくてもいいので、万葉集など、難しいものでもいいのです。(有田秀穂著『歩けば脳が活性化する』WAC)  意味を考えないで音読をする(すなわち素読)と脳からセロトニンが出ます。セロトニンは心を安定させ脳を活性化させる脳内伝達物質です。やる気が出て元気になります。  反対にセロトニンが少なくなると、うつ傾向になったり、キレやすくなります。感情のコントロールができなくなるのです。  今、うちの学校で使っている『話す・聞くスキル』には、1年から6年までの教材が載っています。名文、名詩、リズムのある言葉や文が多いので、音読には最適な教材なんです。  音読する場合に、お経などのように、意味がわからないものがいいのです。もちろん新聞や本を音読しても呼吸法にはなりますが、その内容にとらわれると言語脳が動いてしまい、セロトニン神経活性化の効果が薄いのです。(前掲載P187)  はっきりした声で音読すると自然に腹式呼吸になります。腹式呼吸はセロトニン神経を活性化させます。  音読は朝一番にするのがいいんですよ。これから学習や仕事をするのですから、活力がないといけません。朝の音読は1日の活力のもとを作ってくれます。  お遍路さん、知ってるでしょう。お遍路さんはただ歩いているだけではありません。空海の教えである御真言を唱えながら歩いているのです。御真言の意味は考えずにただひたすら唱えています。御真言を唱えながら歩くとセロトニン神経を活性化させ、悩みが消え、若返りますよ。□ 「松藤先生は何でもよく知ってますね」 □ お遍路さんみたいでなくてもいいから、友達とおしゃべりしながら15分から30分歩くといいですよ。セロトニンが出ます。若返ります。もちろん、先生は今のままでも十分若くておきれいですがね。□ 「あら、藤松先生ったら」   パイポ パイポ   パイポの シューリガン  音読は「寿限無」に変わったようだ。 (引用終わり)

親が変わらなければ、子どもは変わらない⑫

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2010年3月号より、長田百合子先生の記事。詳しくは本誌をお読みください。  長田先生は、一般社団法人・日本家庭教育再生機構・理事長。30年以上にわたり、問題を持たない子どもを対象に愛知県の各所に280軒以上の補習学習塾を開設。その一方で問題で苦しむ家庭まで自ら出向いて行き、2000組以上の親子の問題を解決した。著書に『親が変われば子どももかわる』講談社・『母さんの親ごころ・父さんの底ぢから』新潮社・など多数。テレビ出演多数。 http://www.mental-care.org/ http://www.nihonkateikyoikusaiseikiko.com/index.htm  だいぶ昔の登校拒否は、学校の先生が迎えに行くと、先生に連れられて登校した。(教師の威厳があったのかもしれない。)  ちょっと前は、学校の先生が迎えに行くと、部屋から出てこなくなった。(強制的に学校に連れて行かれるのを嫌がったのかもしれない。)  今の不登校(名前が登校拒否から不登校という言い方に変わった)は、学校の先生が家に行くと、出てくるが、学校に行こうとしない。(無理やり連れて行こうとすると、体罰だとか、人権だとか言うのかもしれない。)  これは、時代の変遷かな。 <色:#0000ff>メンタルケアの現場より  10年ほど遡って考えますと、その頃の問題を持つ子どもは人並みのことができない自分に引け目を感じて、親や兄弟は然ることながら周囲も気を遣い、小さくなって生活していたものでした。その様は大人から見たら実に痛々しいものがあって、嫌でも親心が沸いてくる子どもらしい姿でした。ですから、私のメンタルケアには「2時間メンタル」と言って、2時間で子どもの問題にピリオドを打つメンタルケアがありました。メンタルケアの翌日から、遅刻、早退、欠席、保健室登校一切なしで、確実に不登校が直ってしまうといった特別な私だけの手法です。対象となる子どもは中学生なら半年以内の不登校の問題で、小学生の不登校なら全ての問題が当てが嵌まりました。まずメンタルケア当日の午前中には必ず学校訪問をして、担任を含む二人以上の教師(校長や教頭)に面会を依頼しました。  ①親の報告を鵜呑みにせず、的確な家族の問題を把握してより良いメンタルケアを実施するため。②翌日から登校したら、決して特別扱いはしないでほしいと協力を求めるため。この二点を学校側より協力を戴けるとクリアしたら、いよいよ不登校生の居る場所へと直行します。ここで面白い事は、不登校のすべての子どもが私を確認もしないうちからギャーギャー泣き喚き、私の前に決して座れないということ。平均30分以上、長くて1時間程かかって親子でバトルを繰り返し、ようやく私の前に正座する幼稚性には呆気に取られて驚くばかりでした。ただ、この親子間のバトルによって、問題の子どもは「両親は今日一つになって問題解決をするという決断をしている」という意志が伝わるという効果があり、座った時点で全ての子どもが静粛な態度になっていた事も確かです。  子どもが正座して座った時、私は開口一番「学校は好きですか?」と聞きますが、大方「嫌いです」と返ってきたものでした。「それなら私の寮にお出で」と親と密着していた子をにこやかに誘います。①電気も水道もない(不便と暗い事を嫌う)②みんなで糞尿を使って野菜作り(不潔を毛嫌い)③風呂は順番に入ってシャワーなどない(不潔を毛嫌い)④夏は部屋の中で昆虫採集ができる(虫が恐い)私の経営する長田寮は地下鉄5分の大学が建ち並ぶ名古屋市の八事地区にある3階建てのビルです。無論シャワーや電気水道など完備ですが、問題を持つ子どもの苦手な共通点( )内を衝いている訳です。  これだけで不登校は驚くほど直っていましたが、五年ほど前よりこの手法を完全に廃止しました。心理学によって、子どもも親も問題解決に関してすっかりひ弱に陥って危険だったからです。社会の大人の協力は無くなり「そこに人権はあるのか」など潰されて帰る事も年々多くなって来たのは残念なところです。問題の家族には当たり障りなく無難な対応は、どうやら一般化されてしましました。  しかし、長田寮とメンタルケアにピリオドを打つ決意だった私も、友人や助けた親達から「あなたがやらねば誰がやる。逃げるな」と活を入れられ、死ぬまで昔ながらの子育てで問題の子どもを社会や学校へ戻そうと決意致しました。  長男もやる気で、現場のメンタルケアの経験に心理学を入れたら恐いものナシと夜は寮、昼は現在寮からすぐの大学の心理学部に通っています。  部屋で塞ぎ込んでいた私の生徒は、人も羨む国立や私立の大学に合格していきました。社長になったヤンキーも数知れません。先日は遂に、牧場で立ち直った不登校生徒の調教した馬が、阪神競馬場のGIで優勝しました。この実話を、次の東京ビッグサイトでお話したいと思っています。

おバカタレントがブーム!

 だいぶ前に、学校で習ったはずのことが分からない女子高校生を取り上げていたテレビ番組があった。常識的なことを質問して、それが分からないことみんなで笑っているというようなことを放送内容だったと思う。勉強が分からないのは、ほんの一部の生徒のことだと思うが、それを面白おかしく取り上げ、すべての女子高校生が、おバカかのように放映しているマスコミ。  その番組に対して、以前から勤めていた児童自立支援施設の職員が怒っていた。「それが普通だと思ってしまい、子どもたちが、勉強しなくても高校に入れると思ってしまう。」  確かにそうだ。学校で学習したはずのことが分からずに、どうして高校生になっているのか?  現行の学習指導要領では「基礎・基本を定着させる」といっている。(次の学習指導要領では「基礎・基本を習得させる」といっている。)(定着と習得の違いは何???)  テレビを見ていると、現状では、基礎・基本ができなくても義務教育を卒業できるということになる。(そうすると学習指導要領で言っていることは、絵に描いた餅???) (ちなみに、そういう勉強をしない高校生のためにも、民主党は授業料無料化をしているの?)  最近では、あるテレビ番組から「おバカタレント」がブームになった。おバカであることを売り物にしている。おバカであることを売り物にしているタレントが続々と出現している。  日本の将来が危惧される。

日本電気社歌

 パナソニックを調べていたら、日本電気(NEC)の社歌を見つけた。  社歌はただの歌ではない。会社設立の精神を表す決意の歌だ。それを象徴するのがNECの社歌。作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰。童謡「待ちぼうけ」などで知られるゴールデンコンビである。  NECによると、北原白秋が書き上げた歌詞には当初、3行目と4行目の間に「NEC、NEC」というフレーズが挿入されていた。だが、当時は準戦時非常体制下。外来語の挿入は不適切とされ、やむなく削除した。  現在もこの歌は、入社式や創立記念日、就業時間前に流れている。 日本電気株式会社社歌(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)   1.黎明声あり世紀の電流、   放てよ捉えよ空飛ぶ翼を。   雲間にそびゆる無線の鉄塔、   行くべし有線、地平は涯なし。   通信文化ぞ我等が標識、   日本、日本、日本電気。 2.精密技あり斯界の新人、   窮めよ尽くせよ理法の真を。   神速すなわち響きて徹らば、   見るべし栄光、福祉は涯なし。   通信技術ぞ我等が天職、   日本、日本、日本電気。 3.靄々和気あり不断の勤労、   勢へよ励めよ大同一つに。   電波に結ばん世界の国々、   為すべしこの秋、理想は涯なし。   通信報国我等が信念、   日本、日本、日本電気。 http://www.nec.co.jp/

松下政経塾「子どもの可能性を引き出す学びの在り方」

 松下政経塾の教育フォーラム「子どもの可能性を引き出す学びの在り方」に行ってきた。なかなか興味深いものだった。参加者もいろいろな県から来ていた。松下政経塾の卒塾生の現・大臣から祝電も来ていた。  まず、松下幸之助氏がなぜ松下政経塾を作ったのか、ビデオを見た。  その中で、「今の政治家は、政治は勉強したかもしれないが、経済のことを知らない」というようなことが心に残った。「みんなで食扶持を出すから、世話役をやってくれ」というのが政治の始まりらしい。  塾長の挨拶。  松下政経塾は「自修自得」である。  そして、塾生の発表。  「型の習得を通じて、人を知り己を知る」 1 あいさつできる 2 節(始め、中、終わり)節目をおさえる 3 美(整理整頓、身の回りを整える) 4 見る 5 聞く  松下政経塾のホームページを見ると「塾是」「塾訓」「五誓」などが載っている。納得する内容である。 http://www.mskj.or.jp/ <色:#0000ff>塾是  真に国家と国民を愛し  新しい人間観に基づく  政治・経営の理念を探求し  人類の繁栄幸福と  世界の平和に貢献しよう 塾訓  素直な心で衆知を集め  自修自得で事の本質を究め  日に新たな生成発展の  道を求めよう 五誓 一、素志貫徹の事  常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。 一、自主自立の事  他を頼り人をあてにしていては事は進まない。自らの力で、自らの足で歩いてこそ他の共鳴も得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。 一、万事研修の事  見るもの聞くことすべてに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心して見れば、万物ことごとく我が師となる。 一、先駆開拓の事  既成にとらわれず、たえず創造し開拓していく姿に、日本と世界の未来がある。時代に先がけて進む者こそ、新たな歴史の扉を開くものである。 一、感謝協力の事  いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。  さすがに、大企業を作った人は、すごい!  ここで、松下電器(ナショナル、パナソニック)のことも調べてみた。 <色:#0000ff> パナソニックには、連綿と続いてきた習慣がある。それが朝会と夕会だ。  朝会では毎朝、社歌を斉唱。その日の当番が巻物を開き、「松下電器の遵奉すべき精神」(通称7精神)を唱和。所感を分間で述べる。夕会は行進曲を斉唱してから終業する(残業はこの後から)。  この7精神とは、1933年に創業者の松下幸之助氏が掲げたもの。会社が拡大する中で、易きに流れることなく、社員全員が一致団結して新たな躍進を期するためだった。当初は5精神だったが、1937年に7精神に拡大された。  なお、7精神とは別に経営理念を示す「要領・信条」もある。こちらは1929年に制定。時代を経て一部改訂されながら、現在も続く。 松下電器の遵奉すへき精神 一、産業報國の精神  産業報國は當社要領に示す處にして我等産業人たるものは本精神を第一義とせさるへからす 一、公明正大の精神  公明正大は人間處世の大本にして如何に學識才能を有するも此精神なきものは以て範とするに足らず 一、和親一致の精神  和親一致は既に當社信条に掲くる處個々に如何なる優秀の人材を聚むるも此の精神に?くるあらば所謂烏合の衆にして何等の力なし 一、力闘向上の精神  我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして眞の平和も向上も此の精神なくては?ち得られさるへし 一、?節謙譲の精神  人にして?節を紊り謙譲の心なくんは社會の秩序は整はざるへし正しき?儀と謙譲の德の存する處社會を情操的に美化せしめ以て潤ひある人生を現出し得るものなり 一、順應同化の精神  進歩發達は自然の攝理に順應同化するにあらされば得難し社會の大勢に即せず人爲に偏する如きにては決して成功は望み得さるへし 一、感謝報恩の精神  感謝報恩の念は吾人に無限の悦ひと活力を與ふるものにして此の念深き處如何なる艱難をも克服するを得眞の幸福を招來する根源となるものなり http://panasonic.co.jp/company/philosophy/conduct/03.html (昔の文字が一部文字化けして?になっています。)  ちなみに、松下幸之助氏は、1946(昭和21年)11月、PHP研究所を創設したらしい。

討論の授業のための3つの基礎体力

 『教室ツーウェイ」(明治図書)2010年2月号より、向山洋一先生の記事。「PISA型」とか「全国学力・学習状況調査のB問題」とか、表現力の低下が言われているが、表現力をつけるには、やはり子どもたちに基礎の力をしっかりつけないといけないでしょう、と思ってしまう。  詳しくは本誌をお読みください。 <色:#0000ff>1 基礎の知識と問題解決の関係 2 子どもの頭の中をノートに表現する 3 授業でコード「解釈規則」をふやす  教師は、討論の授業にあこがれる。知的で、教養ある雰囲気が漂うからだ。  似ているが、ディベートとは違う。ディベートについて、最初に本に紹介されたのは、40年近く昔、『知的生産の技術』の本の中であった。それを読んで、すぐに「討論」とは違うと思った。何というか、日本酒とウイスキーの違いみたいだ。日本酒は、上質の水がなければ作れない。世界で最も上質な自然水は日本にあるのである。  あれから15年もたって、ディベートは教育の世界で、とりあげられるようになった。  討論とディベートの違いを考えると「討論の本質」が見えてくるが、それは次の機会に。  討論の授業は、高段の芸でありむずかしい。上質な討論の授業はめったにない。私は、大森修先生の討論の授業しかしらない。京浜教育サークルでは、一度も見たことがない。むずかしいが、それだけ挑戦する価値はある。  討論の授業をする教師の基礎体力について述べてみよう。次のような技量が必要だということだ。かつて、述べたことだが、追加して紹介しよう。 1 基礎の知識と問題解決の関係 □私が新卒の頃、組合の「社会科部会」で注目すべき論争があった。ある人が「地域の現実こそ教えるべきだ」と主張し、「学区内を通っている中央線はベトナムに武器を運んでいる」と発表した。これは一見、もっともに思える。しかし、私および、この意見に批判的な人は次のように反論した。 「先生は、ベトナム戦争のこと、日本が武器庫になっていることを何も知らなくて、中央線のことを考えていて、今のように思ったのですか。それとも、先生はベトナムのこと武器のことなどを知っていて、近くに立川、横田の基地があるから、そのような考えに達したのですか」  その先生は絶句した。  その先生に、前もって知識があったからこそ、学区内を走る中央線の貨物車の中に、ベトナム行きの武器を見つけられたのである。「基本の学習」と「問題解決の学習」は、このような関係にある。「基本」を学ぶからこそ「問題」にとり組めるのである。計算ができない子には文章題は解けない。文字、漢字の書けない子には作文は書けない。  そもそも何も考えないで「自由にさせる」などふざけた話である。自転車に乗れない子を公園の真ん中に連れて行って「自由に乗りなさい」と言ったって、困惑するだけである。泳げない子を、プールの真ん中に連れて行って「自由に泳ぎなさい」などとやったらその子は、恐がるだけである。  しかし、このようなことは、けっこう多い。絵の描き方を教えないで「自由」に絵を描かせる。子どもはとまどうだけだ。始末が悪いことに「それが良い」と思い込んでいる教師がいる。  私のつくった「ザ・作文」という「作文教材」が、塾で使われている。これが、実に評判がいい。子どもや親には、塾の教師は「学校の教師のあるがまま」を話す。「何も考えていない」「まるで教えていない」それで、作文を書かせているのだ。子どもはとまどい、聞かれたら親もとまどう。  何度も言うが「基本」は、きちんと教えることなのである。□  基本の学習がされていなければ「討論の授業」などできるわけがない。教えないで「工夫しなさい」など、話のほかなのである。  そのクラスの討論のレベルは、担任の知性と教養を反映する。 2 子どもの頭の中をノートに表現する □子どもに「ノート」づくりの指導をする。「理科」「社会」のノートをつくれるように指導したい。「立派なノートをつくれる」ということは、そこに、さまざまな要素が含まれている。「要点をとらえる」「まとめる」「図解する」「自分の考えを示す」「資料をさがす」・・・さまざまな能力の開発と表裏をなしているのである。  私のクラスの子どものノート(教科-社会科)の特徴を言えと言われたら、次の2つをあげることができる。  ① 全員のノートが違う。(少し違うというのではなく、全く違う)  ② それぞれ、美しくまとめられている。  私のクラスのノートは、全員が違う。当然ながら、黒板に書いた教師の板書を書きうつすというノートではない。自分でまとめるノートである。しかも、それぞれ立派である。このようなノートづくりをさせるためには、ポイントがある。  ① 1単元を見開き2ページでまとめさせる(見開き2ページに限定する)。  ② 教科書・資料のまるうつしは認めない。  ③ イラスト・図解をすすめる。  ④ ノートづくりの時間を与える。  ここまでが、前半である。後半は評価だ。評価があるから、子どもはやる気が出てくるのである。  ⑤ 見開き2ページごとに評価する。評価は「合格」のみ。ランクはつけない。不合格は「修正する」「やり直す」ようにすすめる。  ⑥ 特に立派なノートは全員に紹介する。  これだけでよい。半年もたてば、すばらしいノートがつくれるようになる。ポイントは「⑤」である。この場合評定は「合格」が「不合格」かの2つである。これは「A、B、C、D、E」などとランク評価をすると、うまくいかない。むろん、口では、どのくらいのランクか言ってやることは大切だが(例「おしい!もうちょっとなのに」「字が乱雑。まるで問題になりません」)、評定は「合格」か「不合格」かである。  この「向山式ノートづくり」は、きっと、子どもに大好評となると思う。  1つだけ留意点をいえば(始めの頃はともかく)、合格の基準をゆるめないことである。「合格の基準」、それをそこにするかは、教師の力量でもある。  このような、1つ1つの方法・技術をぜひ身につけていくことである。  若い教師は「誠実さ」「思い入れ」というすばらしい教育観がありながら、「技術・技量の未熟さ」に泣くことがある。(いや、それが普通だ)しかし、誠実に、先人に学べば、必ずむくわれるのである。□ 3 授業でコード「解釈規則」をふやす □「観察-再現」と「調査-分析」の2つの学習方法が存在する。前者が初級向きであり、後者が上級向きである。「観察」より「調査」の方がむずかしい。  なぜ、むずかしいのか。「観察」は「商店」にしろ「工場」にしろ、すでに「情報収集の対象」が限定されている。これは「見学場所」を「教師が指定」しているためである。  ところが、本などで「調査」する場合、「観察」ほどに「調査対象」が指定されていない。手あたり次第に「調べる」ことが行われる。どれが価値のある情報でありどれが不用な情報か分からない。つまり「情報範囲が広く」、かつ「選択の視点が分からない」ための困難さである。しかし、逆に考えれば、この点こそが「学習すべき内容」なのである。  「どのような情報をさがし出すのか」ということは「見る目」があることが前提である。さがす方に、「見る目」がなければ「あれども見えず」の状態になる。  「校舎内にある安全・災害用の施設をすべて調べよ」という観察をさせたとする。「災害・安全施設は、赤、緑の色が使われている」という「見方」があれば、とりあえず、校舎内の「赤の表示、緑の表示をさがそう」ということになる。  ところが、体育倉庫などにある「災害用毛布」などは、色表示がない。「毛布がある」ことは分かっても「災害用」と結びつかない。そのため、子どもたちは、「災害用毛布」を見のがしてしまう。  つまり、子どもがあることを発見するのは、子どもの側に「見方」があるためである。コード(解釈規則)という。コードが多いほど、さまざまな発見ができる。私は、(多分)読者の方々より「授業」についてのコードが多い。そのため、同じ授業を見ても、多くのことを見つけることができる。  授業というのは「知識」を伝達するとともに、このような見方「解釈規則」をふやすことを目的としてる。向山的授業とは「知識」の増加、「コード」の増加、それを使いこなす技量の上達を意味する。  ところで、「コード」を増やすには、授業する側に「コード」がなければならない。教える側に多くのコードがあるから、教えられる側も「なるほど」と思うのだ。  教える側に多くのコードがない場合、「思いつきバラバラ勝手発言」の授業になる。思いついたことを言って終わりである。多くの国語の授業がこのタイプである。「思いつきバラバラ勝手発言」の国語の授業なぞ、いくらやっても子どもの力はつかない。□  日頃の授業で、以上の3つを意識していれば、討論の授業は、ぐっと身近なものになる。討論の授業は知的である。ということは、子どもが知的に育てられていなければならないのである。  多くの知的な人々の頭をくぐりぬけてきたコード(解釈規則)を、身につけるだけで、子どもの考え方は幅が広がり、深く追求するようになる。  「討論」とは「知識」「考え」が、もとになっていることが分かれば、思いつき発言は激減する。  討論の前に「ノート」にまとめることが身につけば、家に帰ってからでも、ノートをとるようになる。  このような基礎体力を養成しつつ、「討論の授業」に、ぜひ挑戦してほしいと思う。

親が変わらなければ、子どもは変わらない 11

 『教室ツーウエイ」(明治図書)2010年2月号の長田小百合先生の記事より引用。詳しくは本誌をお読みください。 (長田小百合先生のホームページを見ると、先生はとても興味深い活動をされている。)  特にじっくりと考えず、皆が動く方に動いていくのが無難で賢い考え方だと思う人が、日本人には実に多いのです。こういった習性が旨く機能すると、国民が一丸となって良い方向に動いて行くのでしょうが、ここ10年以上はむしろ悪い方向へ拍車をかける原因となっているような気がします。特に心の業界に至っては重症で、現場に足しげく通って問題の家族と触れ合った経験すらないのに「子どもの問題は心の病気だ」と一絡げにして対応している専門家自体、私は余程病的であると思っております。  およその子どもの問題は、問題ある母親の子育てが起因しています。それは「子育てが下手」ということではなく、足らない何かがあったから問題をもってしまったということ。その足りない何かを子育てに補えば、子どもの問題は解決できるのです。  子どもが不登校になってしまった母親の苦しみは、言葉で表現できないほど過酷なようです。過管理、過干渉、過保護の子育ての下で、多くの子どもは精神年齢が著しく遅れています。親の放任から起こるケースは減少傾向にあり、むしろ中流家庭で母親から溺愛されたケースが問題の多くを占めるようになりました。子どもがある日から突然学校へ行かなくなり、周りから「手をかけ過ぎた」「愛し過ぎた」「傍らに居過ぎた」「口を挟み過ぎた」などと言われると、愛し続けていれば良い子に育つと固く信じていた母親は、自らの人格や子育て全般を我が子から否定されたような状態になって一挙に自信を失ってしまいます。どうやって子育てを変えたらいいのかお手上げ状態の母親が、一番子どもの近くに居た担任に相談すれば、様々な心の専門家を紹介してくれるでしょう。  児童相談所へ親子で行けば「ゆっくり見守って、好きなようにさせて、全てを受け入れて、刺激をかけるな」と、例によって四大法則を言われます。  1日でも早く問題を直さないと他の子どもに遅れを取ると焦って訪ねたのに、専門家は「ゆっくり待て」「問題を受け入れよ」と言うのです。そこには解決策などありません。いよいよ不安になった親子は、他の専門家を訪ねて回りますが、何処へ行っても同じことを繰り返し言われます。そうするうちに【13日の金曜日と仏滅が嫌いで、クリスマスを祝って数日後に神社に行って拍手を打つ風習に何もなく流されている】のと同様で、心の業界の四大法則につっかり安心して親子共々妙な落ち着きを得て行きます。不登校はよくあることでゆっくり待てばいいという、大きな錯覚に陥って行きます。逐にこの国の子どもの問題は、医学と科学と心理学といった学問一色で対処される方向で歩き始めました。  自らの意見は絶対に言わず、問題を持つ相手の意見を聞くのが鉄則のカウンセリング。そこで「大丈夫。大丈夫」と連発していれば、専門かも親子も【大丈夫】になってしまう言霊思考。-冗談じゃない。  学問が効かないとは決して言わないけど、傷ついた子どもの心に一番効くのは、親や大人の【思いやり】【熱意】【応援】そして、苦しみを分かち合いながら共に【行動する】温かい姿勢ではなかったか。自ら拘わりを持って近づいていく、大人たちの【親心】ではなかったのか。このまま学問一色から来る麻痺と錯覚を教育界が受け続ければ、この国の親子は今にエライことになってしまいます。責任や義務を果たさず、ルールを守れない子どもに権利や自由を与えれば、子どもの問題など直らないと分かっているからです。 長田百合子  一般社団法人・日本家庭教育再生機構・理事長。30年以上にわたり、問題を持たない子どもを対象に愛知県の各所に280軒以上の補習学習塾を開設。その一方で問題で苦しむ家庭まで自ら出向いて行き、2000組以上の親子の問題を解決した。著書に『親が変われば子どももかわる』講談社・『母さんの親ごころ・父さんの底ぢから』新潮社・など多数。テレビ出演多数。 http://www.mental-care.org/ http://www.nihonkateikyoikusaiseikiko.com/index.htm
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