特別支援が必要な子どもへの対応がうまくできない

 明治図書より、メール。6月第3週号は、野中流!学級経営&授業術、研究会情報。
「野中流!新卒教師時代を生き抜く学級経営&授業術」初任者指導のエキスパート、野中信行先生が、新卒や若手教師のつまずきやすい事例や悩みを徹底解決!
特別支援が必要な子どもへの対応がうまくできない
 元横浜市初任者指導教員野中 信行
 1947年 佐賀県生まれ。1971年 佐賀大学教育学部卒業。37年間横浜市立小学校教諭として過ごし、その後3年間初任者指導の仕事をする。主な著書に『新卒教師時代を生き抜く心得術60』、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(単著)、新卒教師時代を生き抜く“2W”仕事術』(編)などがある。
【つまずき場面】
 特別支援が必要な子どもへの対応がうまくできません。どんな手立てがあるのでしょうか。
1 考えられるつまずきの原因
 さまざまな特別支援が必要な子供たちがいます。たとえば、発達障害の子供たちが教室には必ず何人かいます。そして多くの場合、発達障害だと気づいていないことが多いのです。その子たちは、教室でさまざまなトラブルを引き起こします。担任も発達障害についてきちんと理解しないままに対応してしまうためにトラブルがおさまらないのです。その子供たちは、担任の指示に対してすぐに「〇〇はどうするのですか?」と聞いてきます。指示がいくつも入らないので、すぐにオウム返しのように同じことを聞き返すのです。「今、言ったでしょう!」と叱っていけば二次障害へ進んでしまいます。
 発達障害については、これからさまざまに勉強をしなくてはいけないのですが、まず次のようなことを心がけて対応する必要があります。
2 対応法
その1 聞き返してきたことに丁寧に対応
 オウム返しに何度も反応してくる子供には、丁寧にもう一度同じことを繰り返してあげることです。
 学習障害児を担任したときに成功したのは、指示したときにはその子の机まで行って丁寧に教えてあげたことでした。面倒でも何度も繰り返してあげることが大切です。その子供たちは、先生の指示が分かればとても落ち着くのです。 
その2 「一時に一事の指示」を心がける
 たとえば、教師はよく次のような指示を出します。
「教科書の23ページの3番をノートにやります」
 この中には、3つの指示が同時に出されています。
 ①「教科書を出しなさい」
 ②「23ページを開けなさい」
 ③「3番をノートにやりなさい」
 発達障害の子供たちは、このような指示に対応できません。「先生、どこやるんですか?」と聞き返します。
 だから慣れてくるまで、丁寧に「一時に一事の指示」を心がける必要があります。
 「教科書を出しなさい」と指示をしたら、全員が教科書を出しているか確認し、発達障害の子供には「〇〇さん、教科書を出しなさい」ともう一度言ってあげればいいのです。そして、同じように「23ページを開けなさい」「3番をノートにやりなさい」と指示を出していけばいいのです。
3 今回のポイント
 特別支援の子供たちには、まず「指示の出し方」と「対応の仕方」に配慮が必要です。
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日本を滅ぼす教育論議


『日本を滅ぼす教育論議』岡本薫(講談社現代新書)756円
 すべての教職員、政治家、官僚に読んでもらいたい本です。

誰の責任なの?

 中学生が書いたらしきblogを見つけた。
 こんな風にリーダーが困っている風景って、いいのでしょうか???日本中、学生が指示が通らず、病んでいるのではないでしょうか?
 リーダーの指示が通り、活躍できるというのが、本当に健全な学生の活動なのではないでしょうか?
 教師の指示が通ない学校で、こんなことが起きているのではないでしょうか?!(というか、生徒が大人を・・・いないかい???)
 文部科学省は理想論ではなく、実際の現場にフィットしたことを言っているのでしょうか???
 これでは、日本は沈没するね!子どもたちの教育をしっかりしている国が伸びてくるでしょうね!!!!!

 今日は前も書いたかもしれないが、また掃除で嫌な事があった……。なんだか、嫌な事ばっかりだなぁ…、この頃。疲れた
 清掃リーダーとして、しっかり掃除をするように、と呼びかけているだけなのに、こっちが攻められる…。こんなの理不尽だと思いません?確かに僕も言い方が悪いときとかもあると思うよ…。でもね、掃除の時間は掃除をするのが正しいんじゃないの?
  こんなことだったらさ、清掃リーダーになんかなりたくなかったし…。責任ばっかり押し付けやがって…!!
http://ameblo.jp/takuyuriya/

できない子ができるようになった26の事実

 「教室ツーウェイ」2012年7月号よりの引用。詳しくは、本誌をお読みください。
トッププロが作った基本の指導(型)を学び、使いこなせるようにすることで、できない子もできるようになる
(1)
 子ども達が勉強ができるようになるには、教師の指導力が大切だ。志と知識と技能が必要だ。
 自動車の運転免許で例えてみる。運転免許をとるには「運転ができるようになりたい」という志が必要だ。そして、運転に必要な知識が必要だし、運転する方法も学ぶことが大切だ。
 しかし、それだけでは、運転はできない。「実際に運転してみて、指導をうける」ことが必要になる。「他人が運転しているをの見ている」だけでは、できるようにならない。「自分が運転してみて」「その場で指導者から学ぶ」ことが必要となる。
 文化、スポーツなどはすべてそうだ。ピアノでも、踊りでも、習字でも、サッカーでも、武道でも、「自分がやってみて」「その場で上級者の指導を受ける」ことが必要となる。
 教師で「すごい教師だ」と思わせる授業をする人は、みんなこの道を通っている。
 しかし、そんな人は教育界に1パーセントもいない。みんな「演習なし」で教師をやっているのだ。だから、教師の世界には、ひどいことがうまれてくる。実力のない人が、管理する立場になると、「どうでもいいこと」を、「さも大切なように」指導する。例えば「本時のめあて」を、黒板に書くことだ。私は32年間の教師生活で一度もしたことがない。研究集団調布大塚小は立派な教師がたくさんいたが、誰一人そんなことをした人はいない。模造紙のお化けのようなものを教室に貼り出す人がいる。実力のない教師が「模造紙お化け」で、ごまかしているのだ。もちろん、私はやってことがない。授業時間をのばすこと。これも、だらしなく未熟な教師の証明だ。熱心なわけじゃない。授業が下手なだけだ。私はもちろん、授業時間の延長など、ほとんどしたことがない。(子ども達が勝手にやっていることはあったが・・・)
 では「演習」で、何を学ぶのか。
 第一は「国語」「算数」などの「授業の基本的な型」を学ぶのである。「型」つまり「定石」は、その道の「トップ・プロ」、歴史に残るような先人が作ったものである。本も何十冊も出し、何千人もの授業参観者が訪れ、全国各地で何百回も何千回も実演、講演をしたような「トップ・プロ」だけが作り出したものである。「トップ・プロ」同士は、強い個性があるが「基本」は、共通している所が多い。それを、学ぶのだ。
 どれくらいの努力と真剣さが必要だろうか。
 野球、テニス、ピアノなどで、地区大会で優勝して県大会に出場した人の努力ぐらいが必要である。TOSSは、全国大会で優勝、入賞した人がたくさんいる。民謡全国一位、テニス日本チャンピオン、女子空手団体出場、剣道日本一、マウンテンバイク日本チャンピオン、甲子園出場、少林寺高段者、習字全国大会入賞、ギター県大会優勝等々、書き出せばきりがない。こういう人は「上達とは何か」「修業とは何か」「実力をつけるにはどうするのか」などを、身につけてきたのである。だから、教師の技量の上達への道も素直に受け入れる。
(2)
 北海道の馬場先生は、算数指導の上級者だ。向山型算数の指導法も学んできた。そんな先生でも、初めて見た私の算数指導の映像では、びっくりしたらしい。
□向山型算数と出会いは10年以上前、4年生小数の授業CDである。衝撃を受けた。
 一つは「こんなにリズム・テンポ良く進む授業があるのか!」という衝撃。
 一つは「ここまで教科書どおりなのか!」という衝撃。
 一つは「なにも教えていないのに子どもが出来るようになっている!」という衝撃。
 どれも大きな衝撃であった。しかし、最大の衝撃は他にあった。それは「こんなに授業中に褒めるのか!」という衝撃である。
「9.小数と書きなさい」
 お勉強の題名を書くだけで早い子は賢い」「頭がいい」「ハイ、よし、偉い!」
 「よーし」「えらい」「かしこい」「よし」・・・これだけの褒め言葉が連発されている。私はその時まで題を書くだけで褒めたこと等なかった。すさまじい衝撃だった。このCDを聞いてから、子ども達の行為にいくらでも褒める価値があることに気づいた。教科書を出しているだけでもすごいではないか。ノートを開いて待っていたなんて、もうすごすぎることだ。それを出来て当たり前と思っていた。いや出来ることすら気にとめていなかった。授業に対する思想、子どもに対する哲学からして、全く及びもしない境地がそこにあった。少しでも近づきたいと思った。
 「教育トークライン」の向山先生の巻頭を引用する。
 効果があるのは「漢字・計算の練習」ではなく、その時の教師の語りなのである。努力したこと、向上したこと、満点だったこと、このような結果に対する教師の語りは、明らかに効果がある。それは「セルフエスティーム」(自己肯定感)を高めるからである。
 私はこれを読んで再び衝撃を受けた。そうなのだ。これこそ現場の実感である。このように文章にされると改めて納得する。努力、向上したこと、満点だったことを褒める、語る。私が最初に衝撃をうけたこれこそ向山型算数ではないか!
 向山型算数はわかりやすい。向山型算数はリズム・テンポがいい。しかし向山型算数授業最大の効果は「結果を褒め語る」ことによってセルフエスティームが高まることなのである。褒めるための結果も当然付いてくるのが向山型算数である。
 「褒めて褒めて褒めまくっているか」私は今日、再びこの原点に帰った。手ごたえのある授業になった。□
(3)
 宿題で実力はつかない。宿題を出す教師の9割はひどい教師だと私は思う。実力は、授業でつくのである。静岡の手塚美和先生の報告である。
□たった1ヶ月で激変
 30点の子が、100点になった
 漢字スキル新出漢字10のテスト。2分間でテストした。びっくり!あんなにゆっくり書いていたKちゃんの手が動く、動く、動く。なんと1分10秒で書き終えた。本当に、びっくりした!
 ほんの1ヶ月前まで、1文字1文字を書くのがゆっくりで、なかなか新出漢字を覚えられなかったのだ。
 スキルテスト4 30点
 スキルテスト5 30点
 いつの日か、100点とれる日がくるといいなあと思いながら、○をつけた。でも、そのいつの日は、遠い日だと思っていた。
 Kちゃんは、真面目に指書きをする子だった。最初の頃は、覚えていなくてもなぞり書きをしてしまうので、ちゃんとスラスラ書けるようになるまでがんばろうねと声をかけた。そんな言葉だけで、真面目に指書きができる子だった。
 みんなより遅くなっても、覚えるまで、真面目に指書きをすることができた。でも、こんなに真面目に頑張っているのに・・・30点。
 彼女が激変しはじめた理由は、ハッキリわかっている。指書きのスピードだ。6月11日の教師力向上セミナーで、向山先生の漢字指導を受けた。空書きの時のスピードがすごく速かった。驚いた。最初は、大人だから、こんなに速いのかと思った。でも、向山先生は、何もおっしゃらない。この「速さ」で空書きをするのか・・・。
 2分間でテストをするという話もされた。2分間でテストをするということは、これまでのも聞いたことがあった。でも、目の前で、丁寧に思い出しながら書いている子を見ると、2分があまりにも短く感じた。だから、これまで、4分くらうは、やっていたと思う。
 指書きの速度を速くした。テスト時間を2分間にした。Kちゃんの点数は、ぐんぐん上昇しはじめた。
 スキルテスト8 70点
 スキルテスト9 90点
 「覚える」というのは、こういうことだったのだ。ようやく、向山先生の「覚えていれば2分で書ける」ということの意味がわかってきた。これまでにも、何度か、そのことを教えてくれていたのに。
 覚えて入れば、漢字の形は、高速スピードで、脳のネットワークを走るのだ。脳のネットワークがつながれば、漢字の形は、高速で脳から指先に伝わるのだ。それが、「覚えた」ということなんだ。「えっと、えっと」と考え考え書いている状態は、まだ、覚えているとは言えないのだ。スラスラ書けるとは、こういうことなのだ。このスピードで、スラスラ書けて「覚えた」というのだ。
 私の頭の中でも、「空書きの速さ」と、「2分間のテストの意味」がようやくつながった。
 新出漢字テストの日。
 Kちゃんは、テストを前にニコニコしていた。「100点とろうね」というと、「うん」と張り切って答えた。漢字テストが始まるとKちゃんは、すごい勢いで書き出した。その速さに驚いて、私は、自分の時計で、時間を計っていたのだ。Kちゃんは、すごい速さで鉛筆を動かした。そして100点をとった。
 たった1ヶ月で、Kちゃんは、激変した。この1ヶ月、Kちゃんは、漢字のお勉強を自主的にお家でたくさんやってくるようになった。きっと嬉しくてたまらないのだ。可能性が見えてくることで、意欲がむくむくと湧いてくるのだ。
 漢字ができるようになるのは、素晴らしい。でも、もっと素晴らしいのは、自分には可能性がある。そのことを子ども達に実感させることなのだと思った。□
(向山)自己流我流の指導は、よほどの天才でもない限り、無駄な指導なのだ。教師の工夫は必要だ。しかし、それは、ほんの一歩の前進でさえ、山ほどの努力をした後に、成果がもたらされるのだ。

パワーカード

POWER CARDS
POWER CARDS
 アスペルガー症候群や自閉症の子どもの意欲を高める視覚的支援法

学校は幸せになるための場所である

 明治図書より、メール。(2012年6月第1週号)

アランの『幸福論』
 先日、書店に立ち寄ったところ、1冊の文庫に目がとまった。アランの『幸福論』である。カバーのイラストはライトノベルを思わせる絵柄と色彩だった。
 「近代文学の名作の文庫カバーを若い世代向けに合わせたものに変えたところ、よく売れるようになった」という話を耳にしたことがある。そうした効果を期待してのことなのだろうと思ったのだが、一方で「なぜアランなのか」といささか不思議な気がした。その文庫は新訳ではなく、2011年に新装版として復刊されたものだった。
 帰宅してから『幸福論』をネットで検索しているうちに、NHKの「100分de名著」という番組で2011年の秋に取り上げられたことがわかった。番組自体は何度か見たことがあるのだが、『幸福論』が取り上げられたことは知らなかった。

幸福となる方法
 アランの『幸福論』をぱらぱらとめくる。子どもたちに幸福となる方法をしっかり教えるべきだという意味の一節に目がとまる。「幸福となる方法」の冒頭の部分である。100年ほど前に書かれたこの言葉は、現代でも色あせていない。
 現代は価値観が多様化しているという人がいる。そのとおりだと思う。不透明なことが多く、どれが正しく、どれが重要でないかということがわかりにくいという人もいる。そのとおりだとも思う。わたくし自身、自信をもって断言する人は信用していない。それは単なるはったり屋である。思慮深い人、謙虚な人の物言いは、控えめで配慮に満ちている。
 しかし、子どもたちには、教えるべきことはきちんと教えなければならないとも考えている。価値観が多様化していることや不透明なことが多いことは、教えないことの理由にはならない。
 「教師の価値観を押し付けてはいけない」ともいわれる。確かに、誤ったことを教え込むのは許されることではない。しかし、価値観の押し付けを恐れるあまり、教師が教えるべきことを教えないのも同じように罪深い。教育は文化の教授という一面をもつ。大切なことを教師が教えないで、いったい誰が教えるのだろうか。

学校は幸せになるための場所である
 2年前にも「学校は幸せになるための場所である」という題の文章を書いたことがある(『教育科学 国語教育』2010年5月号)。「学校は幸せになるための場所である」という言葉は、「なぜ学校に行くのか」あるいは「学校とはどのような場所であるべきなのか」という問いに対するわたくしの1つの答えである。
 現実の学校は天国ではないかもしれない。人間が集まれば、そこにはなにがしかの苦痛がともない、ある程度の忍耐が必要となるものである。だからといって、学校が苦行の場でしかないとすれば、それは不幸なことである。
 「学校は幸せになるための場所である」という前提のもとに、指導者が努力を重ねていく。21世紀の日本の学校教育を改善していくためには、そうしたことが不可欠であるとわたくしは考えている。
 「幸せになるための場所」には、2つの意味がこめられている。1つは「今日、行って楽しいと思える場所」であるということ。そしてもう1つは「卒業後充実した人生を過ごせるように力をつける場所」であるということ。つまり、在学している現在も卒業後の未来も、人は幸せであるべきであり、その実現のために学校は存在しているのである。この2つが満たされて、学校はその機能を十全に果たしているといえる。

雨の日に明るい顔をすること
 「幸せであるかどうか」ということは、客観的に判断するような性質のものではない。その人自身の感覚によるものである。換言すれば、幸福を感じ取る能力の差によって、幸せかどうかが決定されるということである。不足しているものを数えてばかりいたのでは幸せにはなれない。
 人間の幸福にはさまざまな形がある。その中の1つに、職業を通して社会貢献をする喜びがある。そして、職業を通して自己実現をする喜びがある。そのような幸福は簡単に手に入るものではない。長きにわたる努力が必要である。楽なことばかりではないが、人生の充実はそうした部分に支えられている。
 まずは正業につくこと。一人前の社会人として活動していくこと。そのこと自体がすばらしいことであり、幸福なことである。
 こうしたことをきちんと伝えていかなければ、子どもたちにはわからないのである。学習することを時間の無駄のようにとらえたり、まじめに働くことを軽んじたりする子どもは多い。さまざまな情報の中から、子どもたちは無意識のうちに自分に都合のよい論理を選択する。それは近視眼的に楽な道を選択する考え方である。遠くのことはまったく見ていない。遠くを見据えて道を示すのが、大人の重要な役割である。
 何のために学習するのか。それが理解できない子は、いつか意欲を失ってしまう。「他者からの評価」や「勝利の喜び」は、学習の契機ともなり、意欲を持続させる薬ともなるが、それにばかり依存していたのでは、ゆがんだ世界観に支配されたまま、多くの者が虚無感や敗北感をかかえることになる。
 一人一人が幸福になることにも、社会全体が幸福になることにも、根本の部分で学校教育は大きなかかわりをもっている。教員の仕事はきわめて重要なものである。
 ただし、現場にいれば、楽しさを実感できる日ばかりではない。先の「幸福となる方法」は、天気の悪いときでもいい顔をすることを勧めている。アランは高等学校の教師だった。彼もまた楽しい毎日ばかりを過ごしたわけではないだろう。アランの言に従い、好ましくないことがあっても、明るい顔で子どもたちと向き合っていきたい。

岩﨑 淳(いわさき じゅん)
学習院中等科教諭。学習院大学・早稲田大学講師。
早稲田大学教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士後期課程満期退学。国語科教科書編集委員(教育出版)。
【主な著書】
 『言葉の力を育む』、『古典に親しむ』、『授業改善をめざす』(以上明治図書、2010年)、『「新しい国語科教育」基本指導の提案 伝統的な言語文化の指導を中心に』(さくら社)

「板書見ながら“算数作文”」で算数と国語の学びが変わる

 明治図書より、2012年5月第4週号のメールマガジンの紹介♪
 今号(5月第4週号)は、著者インタビュー、書籍の新刊情報をお届けします!「板書見ながら“算数作文”」で算数と国語の学びが変わる!
 今回は田中博史先生・尾﨑正彦先生・小松信哉先生・熊谷純先生に、新刊『学びが定着!板書見ながら“算数作文”』低学年・中学年・高学年について伺いました。

田中 博史(たなか ひろし)
 筑波大学附属小学校教諭。基幹学力研究会算数側代表。主な著書に、『「板書見ながら」算数作文 話すだけの授業からの脱却』(明治図書)、『田中博史の算数授業のつくり方』(東洋館出版社)、『田中博史のおいしい算数授業レシピ』(文溪堂)など。
尾﨑 正彦(おざき まさひこ)
 関西大学初等部教諭。基幹学力研究会幹事。主な著書に、『“考える算数”のノート指導』(明治図書)、『「書くっておもしろい!」表現力を鍛える算数授業のススメ』(東洋館出版社)など。
小松 真哉(こまつ しんや)
 福島県教育庁義務教育課指導主事。基幹学力研究会幹事。主な著書に、『子どもが「やさしくなる」算数の「話す」「聞く」「書く」活動』(明治図書)、『算数の本質を貫く 話し合い活動を創るポイント』(東洋館出版社)など。
熊谷 純(くまがい じゅん)
 青森県七戸町立天間西小学校教諭。基幹学力研究会幹事。主な著書に、『算数指導にカウンセリング』『(明治図書)、『算数授業を変える教師の力』(東洋館出版社)など。

―まずは、この「板書見ながら“算数作文”」とはどのような実践なのか教えてください。
田中先生:簡単に説明すると、盛り上がった算数の授業のあと、そのまま板書を残しておいて、それを見ながら国語の時間に算数授業追想記を書かせる試みです。算数の授業そのものを作文の題材とするわけです。授業の終わり5分程度の算数日記ではなく、しっかりと45分間使って書き浸らせます。その具体的なノウハウと子どもの変容の事実が、本シリーズにはたくさん詰まっています。

―尾﨑先生は、低学年編の中で、子どもたちが作文に再現したくなるような算数授業をつくることの重要性を指摘されています。授業づくりにおいて、具体的にどのような点を工夫すればよいのでしょうか。
尾﨑先生:子どもが問題を解きたくて解きたくてたまらなくなるしかけを授業のどこかにつくることが大切です。そのために意識していることは、“ズレが生まれる”展開づくりです。例えば、自分の考えとは違う考えに出会うと、子どもは急に不安になります。これは「友だちの考えとのズレ」です。このズレを、クラス全員に意識させます。ズレを意識した子どもは、本当の答えを知りたくなり、放っておいても動き出します。このように、ズレ(友だちの考えとのズレ、予想とのズレ、感覚とのズレ、既習とのズレ)が生まれるしかけをつくることで、子どもたちが作文に再現したくなるような授業が構成できます。

―中学年編で重点が置かれている、数学的な見方・考え方の定着という観点からみて、「板書見ながら“算数作文”」は、どのような点で優れているのでしょうか。
小松先生:算数の授業では、数学的な見方・考え方をはぐくむことが重視されています。子どもの数学的な見方・考え方は、問題を解決する過程で表出、表現されます。教師は授業の中で子どもの表現等を見とり、最大限に称賛することで、数学的な見方・考え方の定着を図ります。しかし、そういった教師の意図にもかかわらず、子どもたちにはまったく定着していないことも多くあります。“算数作文”では、このような数学的な見方・考え方を子どもたちが本当に自分の内面に落とし込んでいるかどうかを見とることができます。また、“算数作文”は授業のねらいとリンクしたものなので、教師自身の授業評価にもなります。

―熊谷先生は、高学年編の中で、作文の足がかりとなる板書自体にも工夫が必要と述べられています。「板書見ながら“算数作文”」を実践する際の板書のポイントを教えてください。
熊谷先生:“算数作文”を始めた初期の段階では、黒板全体を大きく3つに区切り、
①左の部分には「本時の問題」それにかかわる「めあて」や「見通し」
②中央部分には「子どもの考えた解き方の例」
③右の部分には「本時のまとめ」や「練習問題」
を配置すると、作文が書きやすくなります。しかし慣れてくると、一番左の「本時の問題」や「めあて」、一番右の「まとめ」を見るだけで、授業の大まかな構成がわかってしまうという弊害が出てきます。
 そこで、わざと大切な部分を板書に残さないという実践を行ってみます。すると、黒板に書かれないことも自主的にメモする必要感が生まれ、それと同時に友だちの発言を集中して聴くなど、新しい授業の雰囲気が醸成され始めます。

―最後に、本書を読んで、ご自身の教室でもこの「板書見ながら“算数作文”」を実践してみようとお考えの先生方にメッセージをお願いします。
田中先生:まずは、盛り上がる算数の授業を実現することが必要です。楽しくない算数授業では子どもも書くことが浮かびません。その上で、時間をしっかりとって書き浸らせるのですが、思考力を育成する“算数作文”では、考えた結果を書くことよりも、「書きながら考える」「書きながら考えが変わっていく」ことが大事であるということを子どもたちに教えてあげてください。また、段落構成などの形式に最初から入り込まないことです。話型指導の問題点と同じで、形式の約束が多いほど子どもは表現しにくくなります。

クラスでよくケンカが起こり、子供たちがお互いに汚い言葉で罵り合う

 明治図書よりのメールの引用。
 2012年5月第3週号は、野中流!学級経営&授業術、研究会情報をお届けします!
野中流!新卒教師時代を生き抜く学級経営&授業術 初任者指導のエキスパート、野中信行先生が、新卒や若手教師のつまずきやすい事例や悩みを徹底解決!

つまずき場面
クラスでよくケンカが起こります。どのように解決していったらいいですか?

1 考えられるつまずきの原因
 学期最初に、クラスの様子を見ていた子供たちがさまざまに動き始めているのです。 「群れ」のままのクラスは、ルールが生きていないので始終もめごとが起こります。これは教室の様子に慣れてきた5月頃に、どこのクラスでも起こってくる現象です。
 学級づくりの失敗ということではありません。でも、このままにしているとクラスのまとまりがなくなります。「群れ」の状態を「集団」にしていく手立てを打っていく必要があるのです。「集団」になるというのは、子供たちが自分たちで自分たちを動かしていく「自治」が機能していく状態を言います。

2 対応法
その1 「ちょこちょこ学級会」の導入
 指導していた4年生の初任のクラスでも、最初にこの現象が起きました。子供たちがお互いに汚い言葉を使って罵り合い、もめごとが起こっていたのです。
 すぐ「学級会を開き、『幸福言葉』と『不幸言葉』の話し合いをしたらいい」と助言しました。ケンカになる「不幸言葉」がどういう言葉で、お互いが快くなる「幸福言葉」がどういう言葉か、気づかせるためにクラスで話し合いをしたのです。
 それからこのクラスは、何かもめごとがあると、そのままにせずに、すぐにこの「ちょこちょこ学級会」(短い時間で話し合いをする)を開いてクラスの問題を解決するようになりました。 

その2 「目標達成法」の実施
 そのクラスはそれだけで終わりにしませんでした。「目標達成法」を使って、「不幸言葉のないクラスをつくろう」という目標を掲げて取り組みを始めました。
 学級会で自分たちで話し合いをしているのです。この効果は絶大でした。見事に短期間で、しょっちゅうケンカが起こる状態をぴたりと終息させたのです。
 この目標は、あっという間に達成されていきました。
 ここがこのクラスの岐路だったのです。
 そのクラスは1年間この「目標達成法」に取り組み、最後は24個の目標を達成することができました。みごとに「集団」となったクラスに成長しておりました。(この4年生の実践については『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』にくわしく書いています。参考にしてください。)

3 教師力アップのポイント
 クラスの「群れ」の状態を「集団」化していく手立てを取っていくこと。「ちょこちょこ学級会」「目標達成法」はその手立ての1つです。

野中 信行(のなか のぶゆき)
1947年 佐賀県生まれ。
1971年 佐賀大学教育学部卒業。
37年間横浜市立小学校教諭として過ごし、その後3年間初任者指導の仕事をする。
主な著書に『新卒教師時代を生き抜く心得術60』、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(単著)、『新卒教師時代を生き抜く“2W”仕事術』(編)などがある。

「学びのしかけ」で対話あふれる教室&授業をつくろう!

 明治図書より、2012年4月第4週号のメールマガジンが届いた♪
 今回は石川 晋先生に、新刊『「対話」がクラスにあふれる! 国語授業・言語活動アイデア42』について伺いました。
石川 晋(いしかわ しん)
 北海道河東郡上士幌町立上士幌中学校教諭。1967年生まれ(北海道旭川市出身)、1989年北海道教育大学旭川校卒業。2003年同修士課程修了。2009年河東郡上士幌町立上士幌中学校赴任。
 主な著書に、『中1ギャップ―中学校生活になじむ指導のポイント』『クラスに安心感が生まれるペア・グループ学習』(いずれも学事出版)、『中学校学級担任のためのポジティブコミュニケーションカード』(民衆社)、『中学校国語科学習ゲーム―授業づくりの活性化につながる体験的な学び(DVD)』(ジャパンライム)などがある。

―本書には、「対話」を取り入れた国語授業の実践が、たくさん紹介されています。このような授業には、いったいどのような効果があるのでしょうか?
 今、教室には、発達のアンバランスな生徒、生活に困窮している生徒、民族や文化の違う生徒、強いアレルギーのある生徒などなど、とにかく多種多様な人たちがいます。文化や価値観が違う人たちがたくさん集まって教室が構成されているわけです。でもこれって、大なり小なり日本じゅうに起こっている現象ですよね? そこでは、従来の均質で一様な価値観をみんなで「共有」するというやり方がうまくいかなくなっているのです。異質なもの同士が、時には対立を恐れずに「対話」していくことが新しい価値の創造のために重要です。でも、「対話」は繰り返し体験しなければ力になりません。国語の授業はもとより、学級経営の様々な場面で、日常的に「対話」のある実践が必要になるわけです。その考え方と方法とを示したのが、本書です。

―「合法的立ち歩き」「シャベリ力トーク」など、ネーミングも楽しい石川メソッドですが(笑)、活動をする際に先生が一番大切にしているのは、どのようなことですか?
 一番大切にしていることですか?(笑) 昔は「楽しさ」と言っていました。今は、東北福祉大学の上條晴夫さんの言葉をお借りすると学び手の「学びやすさ」を一番大切にしたいということになります。教師が一様な価値観で染めようとしたり、「集団掌握」を優先したりする「教えやすさ」優先を、みんなで抜け出したいですね。学び手一人ひとりが自分にあった「学び方」や「学ぶ場」を「選択」というのが理想です。「合法的立ち歩き」は、生徒が「立ち歩いている」様子を観察する中から生まれました(笑)。

―石川先生は「学びやすさ」を一番大切にしているということですが、若手教師が増える中、「教えやすさ」を優先する傾向を感じることもあります。このことについて先生はどのように感じますか?
 うーん、教科書の中身を教える事も大切で、それを合理的な方法で行っていくための学びも必要がないとは思いません。でも、結局学校は人と向き合っていく場所だから、「これで全て解決」なんていうものがあるわけがない。集団に合理的に教えることを優先するあまり、一人ひとりの生徒と関わり、そこから授業を構想していくという基本を、一番大切な時期に学んでいないとしたら厳しいなあと思います。若手の成長を待てない職場、若手に寛容でない地域・保護者、いろんな問題が重なっていると思いますけれど。

―先生は絵本の読み聞かせをずっと行っているそうですが、中学生への読み聞かせにオススメの「本日の絵本ベスト3」を教えてください!
 明日になったら違う絵本の名前を上げると思うのですが(笑)。
・長谷川集平『トリゴラス 』(ぽっぽライブラリ みるみる絵本) 文研出版
・荒井良二『そのつもり』 講談社
・シャーロット・ゾロトフ&アーノルド・ローベル(矢川澄子訳)『いつかはきっと』 ほるぷ出版

―全国で国語を教える先生方へ一言メッセージをお願いいたします!
 ぼくは初任者の時に国語の授業もめちゃくちゃに荒れました。全道国語大会の授業者として授業した時に、生徒が最初から最後まで机に突っ伏して寝ていました(苦笑)。そういう厳しいところから、ずうっと考え続け、悩み続けて歩いてきたことが、今回の本のベースになっています。今は確かに厳しいけれど、それは教育の世界に限ったことじゃない、ありとあらゆる領域に及んでいるわけです。これまでのやり方ではダメらしい、とみんな気付き始めているわけでしょ? 本気で新しい国語教育を作って行こうという気概を持って、一緒に取り組んでいきたいですね。本書は、きっと、そのための力になれると思っています。
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