「叱る、どなる」指導は、常識的なことなのか それとも、それこそ非常識なことなのか 西洋人達の日本の子育てへの証言

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2012年8月号より、向山洋一先生の記事の引用。詳しくは本誌をお読みください。
 小学館の「総合教育技術」誌、6月号が次の特集をしている。
 「叱って育てる」教育の復権 このままでいいのか? 蔓延する「ほめよ、叱るな」教育
 この特集名は、次のことを主張している。
1.かつての日本は「叱って育てる」教育が中心であった。
2.「叱って育てる教育」は、すばらしいものであり、復権させなければならない。
3.「叱って育てる」というすばらしい日本の教育をこわしたのは「ほめよ、叱るな」教育の広がりである。
 日本の歴史は長い。二千年以上の歴史が残されている。
 当然、そこには「子育て」があった。
 幾百、幾千年を経て、作られ、育てられてきた日本の伝統的な教育方法である。
 日本人には、その教育方法が、いかなる特徴があるのかは、分からない。
 親から子へ、子から孫へと、どの家でも伝えられてきた、当たり前の方法だったからである。
 日本の子育ての特徴は、外国人の目によって、初めて、明らかにされた。
 明治維新の前後、多くの西洋人が日本を訪れた。
 日本の見聞記を多くの人が書き残している。
 その中で、西洋人が一番びっくりして、感動したのが「日本人の子育て」である。
 およそ、百人に近い西洋人が、日本の子育てのすばらしさを書き残している。
 西洋人は、日本の子育ての「どのような場面」に感動したのだろうか。
 『世界一幸せな子ども達』より、二人の文を紹介する。
 日本の子ども達は「世界一、幸せだ」というのである。
 一人は大森貝塚を発見したあの、モースである。
□「いろいろな事柄の中で外国人の著者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。
 この国の子供達は親切に取り扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。
 赤坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐずいわれることもない。
 日本の子供が受ける恩恵と特典とから考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかも世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること日本の子供にしくものはない。
 なんじの父と母を尊敬せよ・・・これは日本人に深くしみ込んだ特性である。□
□ここでまた私は、日本が子供の天国であることを、くりかえさざるを得ない。
 世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意がはらわれる国はない。
 ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。(中略)
 日本人は確かに児童問題を解決している。日本人の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。□
『日本その日その日』(著者)エドワード・シルヴェスター・モース
 1838年~1925年。アメリカの動物学者。1877年(明治10年)来日。ダーウィンの進化論を日本に紹介し、大森貝塚を発見。1879年帰国。82年再び来日。
 (向山)モースは「外国人の筆者達が、一人残らず一致している」と書いている。「日本の子どもは、他のいずれの国の子ども達よりも多くの自由を持っている」という。
 更には「刑罰もなく、とがめられることもなく、うるさくぐずぐずいわれることもなく」と紹介する。
 これこそが「日本の伝統的子育て」なのである。
 もう一人の文を紹介しよう。
□日本の子どもが、怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆくのは、見ていてほんとうに気持ちのよいものです。彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。□
『英国公使夫人の見た明治日本』(著者)メアリー・クロファード・フレイザー
 1851年~1922年。イギリス人女性。1888年(明治21年)来日。1894年まで滞日。1906年再び訪日。
 (向山)ほらね。イギリス人女性も「日本の子どもは、どなられたり、罰を受けたり、くどくど小言を言われたりすることなく育てられている」と紹介している。
 日本の伝統的教育は「ていねいに教えて、ほめる」教育だったのである。
 だから、現在の教育現場を「伝統的子育て」の方法に、復権させるべきなのだ。
 最近、注目すべき研究結果が、報告されている。
 一歳の時、自閉症と診断された「発達デコボコ」のある子が、伝統的日本の子育て法で育てたところ、1年で、12名中、11名が、著しく改善されたという。
 親子の愛着形成がうまくいったことも大きな要因だと思う。
 このような子育ての情報、支援などの国としてのしくみを作るため、超党派の議員連盟が作られた。
 会長は、安倍晋三総理である。
 私も招かれ、衆議員会館で、150名の国会議員、全国団体の代表の前で、話をさせていただいた。
 元文科大臣などの国会議員の方々が、何人も力強いTOSS支援の発言をして下さった。
 元文部省の教科書調査官のまとめ役だった山極先生は「免許更新の講座はTOSSがやればいいんだ」と、何度も発言されていたが、国会議員の方々も、同じようなことを発言されていた。
 シングルマザー、病気、貧困などで苦しむ保護者を支援するシステムを作るために、国会議員の方々や多くの方々とTOSSは、全力をあげて、努力をしている。
 その中の1つのテーマが、「日本の伝統的子育て」の復権なのである。
 日本の親は、子どもを、どなったり、叱ったりしなかったのである。
 西洋人がびっくりするくらい、みんなが、そうだったのだ。
 そうした子育ての力は「明治維新」の「近代化」を支える、日本人の力となっていった。
 では「どなる」「叱る」教育は、いつごろからうまれて、広がったのだろうか。
 私は戦争の時期に「兵隊」を指導する方法として「ビンタ」「体罰」「どなり」などの方法が作られ、それが、メチャクチャに進化したものだと思う。
 ここで「兵」といったのは「学校」は違うように思えるからだ。
 私の出た高校は、昔「東京、府立第八中学校」といった。
 江田島にある、海軍兵学校への入学者が全国一位だった学校だ。
 軍隊式のどなり声を想像されるだろうか、そんなことはなかった。
 教師は、生徒のことを「くん、さん」づけでよんでいた。
 どなり声など、聞いたことはない。
 紳士として育てられた。
 自由な学校であった。
 将校を育てる学校では、兵を育てるような下品で乱暴な指導などはなかったのである。
 教育の中で「叱る」ことも、まれにある。例えば、生命にかかわることだ。
 それでも「教える」ことが先である。「注意する」ことをもって「教えている」と錯覚している教師が、多くいる。
 「まじめにやりなさい」「きちんとやりなさい」「なんでやらないんだ」というのは「教えていない」のである。
 「注意」しても「できない子ども」がいる。「やり方を教えれば、できる」のである。
 どなる教師の99%は「教えていない」のだ。
 どなることによって、発達障害の子どもの精神を破壊している。
 そのため、一生を棒にふった教え子は幾千、幾万人といる。
 私が出逢った十名以上の、小児精神科などの専門医は、全員「叱る、どなる」ことで良くなることはない。逆に子どもを悪くしてしまっていると発言している。
 これが、医学の現場からのドクターの発言である。
 「総合教育技術」誌は明らかに医師とTOSSの共同研究を批判しているので、いずれ全国から多くの事実を集めて大々的に反論する予定である。

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いじめ隠さない教員評価 文科省が初の通知

 2012年11月28日 21時27分のニュースに「いじめ隠さない教員評価 文科省が初の通知」というものがあった。
 これって、判断基準が難しいと思うんだけどな。
 文部科学省は28日、いじめの未然防止や早期発見ができたり、問題を隠さず適切に対応できたりした教員や学校をプラス評価するよう、都道府県教育委員会などに通知したことを明らかにした。いじめ対応を、教員や学校を評価する基準に加えた通知は初めて。文科省は「いじめが少ないと評価される風潮が隠蔽を生んできた。見逃さない努力をしてほしい」としている。
 通知は27日付。教員の勤務評定につながる「教員評価」では(1)日ごろから児童生徒を理解できている(2)いじめの未然防止や早期発見ができた(3)問題を隠さずに組織的に取り組んだ―ことを盛り込むよう例示した。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012112801001653.html

自閉症の人の脳 細胞が過剰作用 浜松医大研究チーム発表

 2012年11月27日 06時05分のニュースに「自閉症の人の脳 細胞が過剰作用 浜松医大研究チーム発表」というものがあった。
 将来、自閉症は治るというようになるのだろうか!???
自閉症
 陽電子放射断層撮影装置で調べた脳の断面写真。自閉症の人(下段)は、そうでない人に比べて光る点が多く、ミクログリアが活発に働いている(浜松医科大提供)
 自閉症の人は、脳内の免疫を担う働きをしているミクログリアという細胞が過剰に働いていることが分かったと、浜松医科大の研究チームが27日付の米医学専門誌電子版に発表した。原因がよく分かっていない自閉症の一端を明らかにする成果という。
 チームは、ミクログリアの働きを調べるために頭部専用の陽電子放射断層撮影(PET)装置を使って、薬物療法を受けていない18~30歳の自閉症の男性20人と、自閉症ではない男性20人を調べた。その結果、自閉症の人は、症状に関係するとされる小脳や脳幹などの部位のミクログリアが過剰に働いていることを見つけた。
 チームは、この現象はミクログリアの数が多いためと判断。数が多いのは、この細胞が脳内に定着する胎児の時期に増えたことが原因と推測している。
 浜松医大の鈴木勝昭特任准教授は「仕組みを明らかにできれば、予防法開発につながるかもしれない」と話している。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012112601001884.html

日本の伝統的教育方法のすばらしい成果 伝統的子育て・教育を若い人に伝えるのは政治の仕事

 『教室ツーウェイ』2012年12月号より、金子保(さいたま市教育相談室長)の記事の引用。詳しくは本誌をお読みください。
 日本人の道徳性の高さは日常のマナーや大震災時の秩序の良さ、勤勉性、真面目さ、深い思いやりなどより、世界から称賛されています。しかし、その一方で今の若い父母には、幼児期の育児、家庭教育の方法を充分に教えられていないし、学んでいない、学校では規範道徳教育は行われていない・・・等から、日本の伝統的家庭教育は断絶しているのが現状です。それにより現代の子供たちには新しい問題行動が現われています。
1 断絶している日本の伝統的子育て
 子供を育てる方法は、親から自分が受けた育て方を参考にしたり否定したりして行うものですが、自分が乳幼児期に受けた子育てを記憶している若い父母は少ないでしょう。
 育児の方法については昔から祖父母達が計画的に教えていたものではありません。
 戦前は親が自分の弟や妹を育てる姿を見たり、自分の参加させられたりしました。また同居の祖父母から教えられたり、たとえ核家族であっても、近所の祖父母が多く訪ねて来て何気なく教えてくれたものでした。
 現代の若い父母はこららの経験をしていないでしょう。
 こうした生活のなかで、乳幼児の育児や子供の教育の断絶が見られます。これが現代の子供たちに新しい問題行動をもたらしているのです。
2 子供の心は生得的なものと接し方の複合で育つ
 多くの動物は生得的な行動、能力が強く、親の子育てがなくとも育つようです。しかし、人間は、新生児などは唇に触れたものをしゃぶるように生得的に反応し授乳できるのですが、経験することによって育つ心や、教えられないと育たない心も多いのです。
 言葉も生得的に現われるものではなく、すべて周りから学ぶものです。
 子供の教育というと、人との交わり方としての道徳教育や思いやりが課題になりますが、日本人の勤勉性、工夫性なども教育の結果で、これも重要な子育ての課題です。
 近年、言葉の発達しそびれの子供が大変に多く、2歳を過ぎても言葉がないか増えない様子を示す子もおります。それは小学生では学習障害といわれ、地域によっては15%程存在しています。
 これらは、米国の定義(DSM-4)で発達障害と判定され、一般には、要因は生得的であり、容易には治せないと言われています。
 定義には、「発症する」とあるのですが、日本のほとんどの事例は発達しそびれ事例であり、米国の事例とは異なるのではと思い、治し方の研究をしてみました。
 多くの子供は早期(2歳)に対処すれば言葉も多くなり、人格も発達することが分かり、予防の方法も分かってきました。
 言葉の発達しそびれの子供には「生得的で治せないという子供」と、「単なるつまずきで支援によって治せる子供」との2種類があるようです。
3 子供に現われた問題行動は伝統的子育てで予防が可能
(1)言葉のつまずき児への発達支援
 40年間にわたって2千人以上の発達障害と思われる子供に接したところ、言葉を学習しない原因が分かりました。まねる心が育っていないのです。
 まねる心は、思いっきり笑わせることで育っていきます。すると言葉も多くなり、遊具にも関心がでてきて、ままごと遊びなどが始ったり、競争心も芽生えてくるようになるのです。
 早期(2歳)に発見し、支援することで、ほとんどの子供は人格発達も健常児に近付きます。しかし3~4歳と年を重ねてからでは効果が小さくなり、発達の臨界期を感じます。
 相談に来られた子供の兄弟で、生後5~6ヵ月より小さい子に予防の方法を試みました。テレビなど文明の利器のない部屋であやし、笑わせ、言葉かけを多くしてもらったところ、言葉の遅れ等を示す子は見られませんでした。
 高橋史朗先生によれば、この方法は昔の日本の伝統的育児とのことです。
(2)多く現れた問題行動は伝統的育児の断絶による
 戦前には見られなかった子供の問題行動が近年、多く見られるようになり、治療の研究に取り組んでみますと伝統的育児の断絶を感じます。
 登校日の朝方に気分が悪くなるなどの情緒混乱型の不登校は、幼児期の交友関係と深い関係がありました。次の3つに分類した際、Aタイプの子供には不登校の子はまれなのです。
Aタイプ 友人の家に遊びに行き来する子
Bタイプ 友人が来れば遊ぶ子
Cタイプ 友人との行き来のない子
 不登校児がニート、ひきこもりになりやすいのです。
 戦前には問題になっていない過呼吸症、拒食症などの心的外傷ストレス障害なども、子供時代の交友関係のたくましさの未発達が一因となっています。
 食事嫌いも多くなっていますが、親が先に食べてみせる等の工夫が不足しているようです。
 園や学校において、声をだせなくなる「場面寡黙」の原因としては、1歳半から2歳半頃に他家の大人との会話経験の不足もあるようです。
 HQ障害と言われ、総合判断力、他人の目で自分が見られない、空気の読めない人も多くなっています。戦前は日本のほどんどの家庭で実施され、戦後はほとんどの家庭で行われなくなった教育がありますが、それと関連がありそうです。たとえば、4~5歳児に対して次のような言葉かけをしていました。
・友達に笑われるよ
・友達に馬鹿にされるよ
・友達に恥ずかしいよ
 これが人としての道徳教育の基本であったと思います。
 良心の呵責を感じない人が多くなって、悪事も知られなければ平気という心理です。
 宗教教育とも関連しますが、かつては2歳頃に獅子舞との遭遇がありました。各家庭を訪問し無病息災を願って獅子舞を受けるのですが、これが仕付けの方法として有効でした。悪いことをすると、「獅子舞がくるよ」と言ったものです。伊勢の大神宮には1000人を越える御師が民家を訪問し、地方の神社にもこの催しが多くありました。
4 伝統的子育て・教育を若い人に伝えるのは政治の仕事
 日本の伝統的育児・教育が良いとしても、今の若い父母は学ぶ機会もないし、教えられることもないのです。
 家庭生活、子育ては、各家庭の権利であり、義務なのですが、乳幼児期の育児情報や、子供同士で遊ぶ機会の提供、子供の社会性・道徳性の育成など、子供の教育についての情報提供や支援が政治に求められているようです。

領土という言葉

『月刊JTU』2012年11月号の、「なださんのメンタル・スケッチ」より、なだいなだ氏の引用。
 衆議院選挙が近いが、議員さんは、どう考えているのでしょうね?
(今度の選挙も、落下傘部隊がいるようですね。それで国民全体の民意を上げることができるのでしょうか???民意と言うより後援会の意見、「支持母体」の、後援を得た支持者が議員さんになるので↑???)
 ついこの間、札幌で3泊した。ホテルでテレビをつけてびっくりした。中国語のチャンネルが2つもある。それほど、中国からの観光客は多いのだ。駅には中国語とハングルが溢れ、それを読んで2ヶ国語を勉強できそうだ。というわけで、地方の観光には、中国人と韓国人観光客は、今や欠かせない大切なお客さんになっている。
 そのことを頭の回転のいい野田ドジョウ首相はわかっているはずだ。わかっていて、尖閣諸島の国有化をやったのだから、観光業なんて切り捨てるつもり、軍需産業の方が大切と判断したのだろう。尖閣諸島、竹島、と問題が立て続けに起こって、観光業はため息どころか、息を引き取ることになりかねない。
 19世紀までは、小さい島の領有権をめぐって戦争が起こった。紛争を解決する手段として武力が用いられた。20世紀になってからも、少なくなったが、起きた例がないわけでもない。フォークランド戦争が記憶に残る。しかし、もう19世紀ではない。20世紀でもない。21世紀なのだ。
 領土という考えからは戦争が起こる。だが、見方を変えて、貴重な自然と見てみよう。尖閣諸島は、沖縄で失われた珊瑚礁が、まだ豊かに残されている。それが絶滅危惧種の生物を生き残らせている。絶対に失いたくない、貴重な自然なのだ。
 だから、その自然を皆で守ろう、そのために周辺諸国が、協力し合おう。こうなれば、紛争の元ではなくなる。資源、開発、権利と考えていけば、行き着くところは戦争になる。小さな島のために何十倍もの自然を失うことになる。人命も財産も失われる。その馬鹿なことイギリスとアルゼンチンがやった。フォークランド諸島という島をめぐって。
 「領土を守ろう」は、もう古い考え方だ。領土を守るためには、軍備が必要だ。そのために膨大な赤字が出るかもしれない。新しい、自然を守ろうという考えには、軍備は要らない。お金も軍備ほどかからない。しかも周辺諸国が出し合えばいいのだ。
 経済は助けあいでなければやっていけないところに来ている。領土問題として問題をこじらせるより、失われかけている貴重な自然を共同で守ろうという運動をしたらいいではないか。こっちの方が賢いぞ。

ケースワーク「子どもの貧困」36 日本語を母語としない子どもたち④ 20年後は・・・?

 『月刊JTU』2012年11月号より、山梨県の今澤悌先生の記事の引用。
 つい先日、20年前に日本語教室で学んでいたという卒業生が、「懐かしくなって」と本校を訪ねてきた。当時勤めていた職員は誰もいなかったので、私としばらく話をした。現在彼は32歳で、原付免許の試験を受けに行った帰りだという。結果は不合格。「まら来月挑戦します」と明るい顔で答えた。日雇いの仕事をしており、正社員の口がなかなかない。あっても遠方が多く、車がないと難しい。まずは原付免許を取りたいということだった。本校卒業後は、中学校に進学。しかし卒業せず、途中で「やめた」そうだ。理由を聞くと「普段の会話は大丈夫だったんです。でも、どんどん勉強がわからなくなってしまって・・・。もうだめだと思って、やめて働くことにしました。その時、職を探しましたが、バイトで2~3時間の仕事しかなくて。しかたなくその仕事をしました。空いた時間はなんとなく過ごしてしまって・・・。正社員の職に就けたのは20歳の時でした。でも不景気になりやめさせられ、あとは日雇いを続けています。正社員の仕事は職安に行ってもないですね」。
 日本語がまだおぼつかない状況で中学を「やめた」彼は、30歳を過ぎた今も難しい道を歩んでいる。なんとか免許を取り、人生をよりよく生きようと努力をしている。彼の話を聞きながら、本誌連載の中に書いた内容を思い返した。児童労働、中学を「やめる」問題、そして日本語が不自由な中卒者の就職の厳しさ。彼が公教育を過ごした20年前と現在、状況は変わっていない。この先私たちが何もしなかったら、おそらく20年後も変わらないだろう。今、日本語を教えている子どもたちの20年後は・・・。
 できることに限りはある。しかしそれぞれの立場でこそ、できることがある。現在、日本語指導者共に、できるだけ学習に遅れを出さないように、授業を工夫すること。担任の立場では、授業中できるだけ子どもたちの日本語の不自由な状況を補えるような配慮をし、少しでも理解や表現をしやすいように工夫すること(図や絵、写真等具体物を豊富に、できるだけ単純な文法で単文にして話す、繰り返す、イントネーションを大きく、などのフォリナートークに心がける等)。日本語指導では初期段階からでも、できるだけ早く教科についていくための学習を取り入れていくこと。現場でできないこと、限界があることについては、行政に訴えていくこと。組合に相談すること。支援が困難な状況にあっても、除籍にしたり、支援を怠ったりする等その矛先を子どもに向けずに、行政や組織に子どもたちの状況を訴え、環境改善に努力すること、等々。
 厳しい状況の中に子どもたちがいる。その背中を支えていけるような学校でありたい。また、子どもたちや保護者の状況を、声なき声を丹念に拾い、施策や教育環境の整備に生かしていきたい。そして、子どもたちが生き生きと生活でき、明るい未来が語れるような学校、社会を創っていきたい。子どもたちが20年後、笑顔でいられるように。

野中流!学級経営&授業術(8)備品が壊されたり、物がなくなったりすることが多い

 明治図書より、メール。今号(11月第3週号)は、野中流!学級経営&授業術、研究会情報をお届けします!初任者指導のエキスパート、野中信行先生が、新卒や若手教師のつまずきやすい事例や悩みを徹底解決!
「備品が壊されたり、物がなくなったりすることが多い」つまずき場面
 学校の備品が壊されたり、クラスで使っている物がなくなったりすることが多くなりました。対処方法を教えてください。
1 考えられるつまずきの原因
 これは大変ですね。11月の段階でこのような状況が多くなるというのは、かなりクラスが深刻になっているということが予想されます。先生も、疲れ果てておられるのではないでしょうか。
 クラスが荒れるというのは、次のような段階を踏んでいきます。
レベル1 「ほころびの状態」
レベル2 「すでに崩れかかっている状態」
レベル3 「荒れてしまっている状態」
レベル4 「騒乱状態」
 学校の備品が壊されたり、クラスの備品がなくなったりする状態は、すでにレベル4の「騒乱状態」で頻発する事態です。
 率直に指摘しますが、今対処できることはかなり限られてきているということになります。 
2 対応法
その1 自分一人で何とかしようとしてはいけない
 もう先生一人で何とかできる段階を越えています。管理職と相談し、できればクラスを持っていない先生にT・Tでついてもらうことが必要かもしれません。
 絶対に、自分一人で何とかしようと考えてはいけません。周りの先生たちに助けてもらわなければいけないのです。
 それでもこの「学校の備品が壊され、クラスの備品がなくなる事態」は放置されることではありません。
 いじめが犯罪であるように、この事態も犯罪です。とにかく許せないということを子供たちに伝えなければいけません。そして、壊されたところはすぐに修復し、クラスの備品もきちんとした管理をしなければいけません。
その2 時間を守り、教室を整頓し、元気に振る舞う
 ここでよく先生たちは、学級会を開いたり、子供たちに本音で語らせたり、……さまざまな手立てを取ろうとされます。しかし、それらはほとんど問題を混乱させていくだけに終わってしまいます。じたばたしてはだめです。
 できることは3つです。3つだけと言えるかもしれません。
1つ目は、クラスの時間をきちんと守ること。
2つ目は、教室をいつもきれいな状態に保っていくこと。
3つ目は、先生からどんどん挨拶や言葉かけをして、元気に振る舞うこと。
 1つ目は、決まっている時間通りに進めていくことです。朝の会、終わりの会を短く簡単にすること。授業は時間通りに進め、始めと終わりをきちんと守ること。そのようにできるだけがんばることです。
 2つ目は、教室は荒れ放題になる恐れがありますので、きちんと整頓していくことを心がけて下さい。
 3つ目が大変です。先生は多分いつも怖い顔をしておられるかもしれません。ここが勝負です。元気に振る舞ってください。そういう先生に助けられる子供たちがきっといるのですから。
3 今回のポイント
 「時間を守り、教室を整頓して、元気に振る舞うこと」が、大変なクラスを凌いでいく方法です。
野中 信行(のなか のぶゆき)
1947年 佐賀県生まれ。
1971年 佐賀大学教育学部卒業。
 37年間横浜市立小学校教諭として過ごし、その後3年間初任者指導の仕事をする。主な著書に『新卒教師時代を生き抜く心得術60』、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(単著)、『新卒教師時代を生き抜く“2W”仕事術』(編)などがある。

国民的大運動「親守詩」実践の広がり 親子の絆を深め、家族の再生を目指したい

 『教室ツーウェイ』2012年12月号より、千葉大学教授の明石要一先生の記事。詳しくは本誌をお読みください。
 日本人にとって母親は特別な存在である。けっして悪く言わない文化がある。しかし、父親の存在は薄くなっている。今一度、母と同じように父親の存在を浮き彫りにする方法はないだろうか。それが「親守詩」(おやもりうた)である。このツールを通して親子の絆を深め、家族の再生を図りたい。
1 日本人にとって母親はどんな意味を持ったか
 『日本人と母』(東洋館出版社)という名著がある。これは故山村賢明氏(元筑波大学、立教大学教授)の博士論文である。山村氏は日本人の人間形成の中で母親は特別の存在であったことを、実証的な研究で明らかにしている。
 先ず、戦前の国定教科書に注目する。この中で描かれた母親はどのような存在であったか。
 戦前はどの時代の母親も子どもに尽くす、温かくて、働き者の姿を描いている。国が理想とする母親の顔が登場している。
 次に、TBSの日曜ドラマに登場する母親像がどのように描かれているか、に注目する。
 テレビにはモニターがいる。各番組の後のモニターの感想で、描かれた母親像に対するプラスとマイナスの言葉を分析する。母親をマイナスに描くとモニターから批判が多く出ている。
 三番目に著名人がラジオ番組で母親をどのように語っているか、に注目する。
 著名人のほとんどは母親を尊敬し、敬意を払っている。作家の今東光以外はみんな「おふくろさん」「母」という呼称で言っている。
 今東光は「うちのくそババア」といっている。しかし、10分間の語りの文脈を考えるとやはり母親に敬意を払っている、のが伺える。
 四番目に非行少年が父と母をどう見ているか内観法という手法で探っている。
 内観法は森田療法の1つで、1畳ぐらいの小さな部屋で「母」や「父」について振り返ってもらう。例えば、「あなたが乱暴を働いたとき母親はどうしましたか」と問い、それに対して瞑想しながら考えていくのである。
 すると、母には「申し訳ないことをした」「お詫びをしなければ」「合わせる顔がない」という罪意識や懺悔の気持ちが浮かんでくる。
 山村氏は本の中で日本人にとって母親は「罪意識としての母」、「動機づけとしての母」(励ます母)、「子どもに尽くす母」(自己犠牲の母)となっている。
 日本人は母親を決して悪く言わない。清らかで、純粋で、我慢をし、子どもと夫に尽くし、よく働く女性として映る。山村氏は日本人にとって母は「観音様」に近い存在になっている、ともいっている。
 だから、母親の存在が子どもの行動を規制する。励ましてモティベーションを高める。悪い方向に向かないようにコントロールする。
2 心に残る父の一言、母の一言
 社会教育関係団体の1つ修養団(SYD)という組織がある。「みんなで蒔こう!”幸せの種”」の運動を全国展開している。フィリピンではストリートチルドレンを支援するボランティア活動もしている。
 ここが全国から「心に残る父の一言、母の一言」を集めた。2534名の中から1771名の言葉が寄せられた。その中から、興味深いものを紹介する。
 心に残る父の一言
 ☆世界中の人が的になっても、お母さんとお父さんはおまえの味方だからな
(小さい頃、いじめがあって泣いて家に帰ったらこういってくれ、すごく嬉しくて、愛されているんだなーと思った。私を守ってくれるのはこのひとたちなんだなーと思った。ここにいれば絶対守ってもらえるし、私の居場所はここだと実感した)
 心に残る母の一言
 ☆私はあなたの一生の応援団長です
(受験に失敗、失恋、いろいろなマイナスの事柄が一時ピークを迎えときがあり、姉のような存在のお母さんが一筆、私の机の前に置いてくれた。涙が出ました)
 人生は山あり谷ありである。つまずかない人はいない。そのとき、励ましてくれたり、支えてくれたのが父と母であろう。
 そのとき、父と母はどんな言葉をかけたのだろうか。当時はあまり気にはかけなかったが、振り返ってみるとズシーンと重みを増す。劇薬的な効果を期待できないが、漢方薬的にジワジワ効いてくるのが父と母の一言ではないだろうか。
3 「親守詩」とは何か
 「親守詩」は高橋史郎氏(明星大学教授)が提案し、最初に香川県の教職員組合が実践した活動である。高松市では2007年から続けて、今年で6回目である。作品は俳句やエッセイでまとめられ、文集の形にされている。
 香川県を発祥地として、今や運動は大きな広がりを示している。神戸市は語呂合わせから8月8日に第1回の「親守詩」イベントを起こしている。854本集めている。
 今主流となりつつあるのが、上の句と下の句に分け子どもが上の句を作り、親が下の句を作る、バージョンである。
 TOSSの親学推進委員会(兵庫県事務局)が行った受賞作品をあげておく。
 おとうさん いつも りょうり ありがとう 大きくなったら いっしょに つくろうね
 おかあさん ことばをきくと うれしくなるよ ことばはね 人を優しくする 魔法だよ
 この他に、埼玉大会の実践もある。一番脚光を浴びるのが授業参観である。上の句と下の句に分けた「親守詩」は教室の中で実践しやすいツールである。
 形式はこだわらない。俳句もOK、短歌もOK、エッセーもOKである。とにかく、全国的に「親守詩」を広めることで、親子の絆を深め、家族の再生を目指したいものだ。

西洋人の常識を超えていた日本の子育て

『教室ツーウェイ』(明治図書)2012年12月号より、谷和樹先生の論文。詳しくは本誌をお読みください。
 明治維新前後に日本を訪れた数多くの外国人たち。彼らは日本の親の温かさと、愛情に溢れた厳格さに心打たれた。連綿と続いていた日本の子育てをとりもどそう。
 明治維新前後。
 多くの外国人が日本を訪れた。
 彼らが初めて見た日本の子育ての様子。
 それは当時の西洋人の想像を遥かに越えていた、驚愕の風景だった。
 以下、資料としてできるだけたくさん列挙してみよう。
1 エドワード・モース
 1877年に来日。大森貝塚を発見したアメリカ人の学者である。
①日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子どもにつくす母親はいない。
②母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない。
③私は日本が子どもの天国であることを繰り返さざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。
④世界中で、両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。
2 イザベラ・バード
 1878年に来日。女性旅行家であり紀行作家として有名である。
⑤私は、これほど自分の子どもをかわいがり、いつもいっしょにいる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手を取り、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れていく。子どもがいないといつもつまらなそうである。
⑥他人の子どもにそれなりの愛情と注意を注いでいる。
3 ラザフォード・オールコック
 1859年に来日。初代駐日総領事である。日本を紹介した『大君の都』の著書がある。
⑦江戸の街角や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕に抱かれているのを見かける。これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物を抱いて見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこちを歩き回る。
4 エドウィン・アーノルド
 1889年に来日。イギリスの詩人・ジャーナリスト。『ヤポニカ』を著した。
⑧街はほぼ完全に子どもたちのものだ。
5 ヴァーシリー・ゴローニン
 ロシアの海軍少佐。千島列島測量中に捕えられ、1811年から2年間松前藩で捕虜生活を送った。
⑨日本人は自分の子弟を立派に薫育てる能力を持っている。ごく幼い頃から読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一番大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧みに教え込むことだ。
⑩日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。
6 エメェ・アンベール
 1863年に来日。スイスの外交官。日本とスイスの通商条約の締結に尽力した。
⑪日本人の暮らしぶりで一番利益を受けるのは子どもたちである。
7 ローレンス・オリファント
 在日本英国公使館の一等書記官。1858年に来日した。
⑫子どもの虐待を見たことがない。
⑬日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民です。日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます。
8 ファン・フィッセル
 1820年に来日。オランダ商館員として9年間滞在。
⑭日本の親は子どものために捧げ続ける。
 こういった情報は枚挙に暇が無い。日本の伝統的な子育てからもっと学ぶ必要がある。次のような書籍もお読みいただきたい
(1)『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)
(2)『江戸の子育て』(中江和恵、文春新書)
(3)『「江戸の子育て」読本』(小泉吉永、小学館)

美しい国をつくる一番大切なのは教育

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2012年12月号より、安倍晋三先生の記事の引用。家庭が基本ですよね。詳しくは本誌をお読みください。
 衆議院が解散総選挙をするし、今後どうなるのだろう!???
 教育に対して、第一義的に責任を持つ家庭で充分に教育がなされていない場合は、学校において、さらに大きな課題をかかえていくことになります。家庭で、そして社会総がかりで、子どもを育てていくことが求められているるのです。
1 山口県親学推進委員会 発足
 4月16日、山口県親学し維新委員会が発足し、5月20日に、下関で発足式がとり行われました。私は、山口県親学推進委員会の名誉会長の辞令をいただきました。大変名誉な役だと思っております。
 また国会におきましては、超党派の親学議員連盟の会長を務めております。
 ご承知のように、親学につきましては、30年前からずっと、文科省あるいは政府におきましても、検討がなされてきたものです。
 もともと教育は、家庭教育・学校教育・社会教育の3本柱でした。戦後の1つの問題点は、この中の家庭教育がスポッと落ちてしまい、その存在が希薄化されてきたということにあります。
 様々な問題が起こり、それは全て学校に押し付けられてきました。本来ならば家庭でするべきところを、全て学校でするということになってしまいました。先生方も大変なご苦労が多かったのだろうと思います。
 保護者が保護者として教育を受けたり、あるいは情報を得たり、家庭教育支援の施策を推進していくように政府は努めていかなければなりません。今回の委員会発足は大変意義深いものであります。
2 山口親学推進セミナー 開催
 10月6日、山口県の親学推進セミナーを開催させていただきました。三連休の初日、千名以上の人が、海上に足を運んでくださいました。
 セミナーでは、TOSS代表の向山洋一先生に講師を務めていただきました。馳浩先生にはご講演をいただき、また桝屋敬悟先生も、ともにシンポジウムにご参加いただきました。セミナーの趣意にご理解をいただきましたみなさまにお礼を申し上げます。
 特に、TOSSの先生方におかれましたは、先生の技量を個人のものにしないで、みんなと共有していくことによって、子どもの育ちをより素晴らしいものにしていこうという活動を行っておられます。
 改めて敬意を表したいと思います。
 先生方は、まさに現場で様々な課題に直面しておられるのだろうと思います。先般も向山先生のお話をお伺いしました。学級崩壊の姿にびっくりしました。我々の子ども時代とは、全然違う状況になっています。これは、素人が勝手にその場で考えてもうまくいかない、現場のみなさんのお話を聞かなければならないと改めて思いました。
 今回、山口県において親学推進セミナーが開催され、たくさんの先生方、保護者のみなさまが参加してくださったことは、大変有意義なことだと思います。私は主催者側なのですが、本当にみなさまにお礼を申し上げたいと思います。
3 正しい教育へ
 今から6年前に総理大臣に就任した時、私は、美しい国をつくるという大きな目標を立てました。一番大切なのは教育だとし、教育再生制度を大きな柱として、掲げました。
 教育基本法を改正し、教育に対して、第一義的に責任を持つのは家庭であると位置づけました。
 その家庭教育を、国がちゃんと支援していくということについても、書き込んでいるわけですが、まだ充分に、具体的に実行されていないままでした。
 時代が変わって、家族の形もずいぶん変わってきました。先生方も大変なご苦労が多かっただろうと思います。
 かつては、おじいちゃんおばあちゃんがいて、おとうさんおかあさん、子どもたちや孫たちが一緒に暮らしていて、子どもを育てるということについても、世代を渡って、継承されていったわけです。その知見や技術も継承されていったのでありますが、残念ながら、今、子育ての形態がずいぶんと変わりました。しっかりと継承されているかと言えば、そうではないという状況になっています。
 そこで、この再生された教育基本法にのっとって、地域民間のみなさまや行政そしてさらには国がしっかりと、おとうさんおかあさんの子育てをバックアップしていくことが、求められているのです。
 充分に家庭で教育がなされていない場合は、学校において、さらに大きな課題をかかえていくことになります。学校だけではなく、家庭で、そして社会総掛かりで、子どもを育てていくことが求められているのです。中でも、家庭を、おとうさんおかあさんを支援していく体制を整えていくことが我々議員連盟の使命であると思います。
 今回、おかげさまで、第25代自由民主党総裁に就任することができました。まだ総裁であって、総理大臣ではないのですが、おそらく近いうちに解散が行われるだろうと思います。
 正しい教育をしっかりと前へ進めていくためにも、政権奪還を果たさなければならないという決意をしている次第です。
 今回の山口県のセミナーを契機として、しっかりとした家庭教育、家族教育がなされていくことを、そしてそれを地域で、県で、国で、支えていく体制ができていくことを祈念いたします。

「世界一幸せな子ども」と西洋人達がびっくりした日本の子育て

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2012年12月号より、向山洋一先生の巻頭の引用。家庭が基本ですよね。詳しくは本誌をお読みください。
(1)
 私の母親は、普通の「おふくろ」だった。土浦市の出身。本宅は真鍋小学校に隣接している。
 校庭の中心に巨大な桜の木々があり、毎年テレビで放映される。記念切手にもなった。百年前、そこまでの土地が母の本宅だった。母の父親は土浦市市長代理。
 私は母から叱られたことはない。体罰をされたこともない。ただ、泣かれたことが数回ある。つらかった。
 私の弟は、銀座の泰明小学校の校長で、全国小学校校長会長(2万3千人)の会長を2年間務めた。
 弟は小学校の時、給食を毎日残していた。1日も欠かさず、毎日残した。
 コッペパンの中味だけ食べ、そこにおかずを流し込み、ワラ半紙に包んでランドセルに入れて帰宅した。犬に与えていた。
 ランドセルはびしょびしょである。ドロドロである。
 それを母は、毎日ていねいにふきとっていた。毎日毎日である。
 教室には「給食残し」のグラフがはられ、弟はダントツのトップだった。給食主任だった担任の先生は、保護者会の時ごとにそのことにふれたらしい。
 しかし母は、弟を一度も叱らなかった。
 一度も「給食を食べなさい」と言わなかった。6年間である。
 一昨年、母が亡くなった。通夜の席で母の妹が、このことを話した。
 弟はキョトンとしていた。「俺、そんなことをしていたのか」というのだ。
 母親の毎日毎日のランドセルのびちゃびちゃそうじ。それを、弟は全く覚えていなかったのだ。
 それほど、母は弟を叱らなかった。
 小学校に入学した時、「ノートの書き方」はきびしく教えられた。乱雑だと全部消して、書き直させるのである。
 勉強についてはそれだけ。2か月。
 勉強をしなさいと言われたことはない。成績の良さは、ほとんど関心がなかった。「人に迷惑をかけない」「礼儀正しくする」「弱いものいじめをしない」「印刷物をまたがない」「仏壇の水、茶を毎日とりかえる」この5つぐらいを言われてきた。
 私は今も、朝・晩、仏壇の水、茶を入れるから60年続いてきたことになる。
 兄弟3人、みんなたたかれたことも、叱られたこともない。
 百人一首は、小学校低学年の時に母から教えられた。読み方は、関東地方の旧家に伝わる読み方である。
 それが「五色百人一首」の読み方だ。
 ごくごく普通の、当たり前の、日本に伝わってきた子育てだった。
(2)
 日本のかつての子育ての様子を、明治維新の前後に日本を訪れた百人近くの西洋人が書き残している。
 一言でいえば「ムチで育てられたヨーロッパの子ども」に比べて、日本の子どもは幸せだということだ。
 あるヨーロッパの校長は、1年間で2万回もムチで子どもを叩いているのである。
 『逝きしき世の面影』(渡辺京二、平凡社)には、西洋人の目から見た日本の親子の様子が紹介されているのでまとめてみよう。
 カール。ツュンベリ(1743-1823 オランダ長崎商館の館員。1775年来日)
-日本では親が子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなく、子どもからも不幸の言葉を滅多に聞かない。
 エドワード・S・モース(1838-1925 アメリカの動物学者、大森貝塚発見者。1877年来日)
-母親が赤ん坊に癇癪を起すところを見ない。子どもが泣かないのは刑罰もなく叱られないからでもあり、子どもも従順なので叱る必要もない。日本のように、両親を敬愛し老年者を尊敬する子どもは他にいない。
 イザベラ・バード(1831-1904 英国の探検家、紀行作家。1878年来日)
-日本は、赤ん坊の鳴き声や、言うことを聞かない子どもを見ない。英国は母親がおどかしたりすかしたりして子どもをいやいや服従させる。
 ジョルジュ・H・ブスケ(1846-1937 フランスの弁護士。1872年お雇い外国人として来日)
-日本の子どもは甘やかされいるがフランスの子どもよりよくしつけられている。
 日本のおもちゃから親子関係を見ている西洋人も多い。
 エドゥアルド・スエンソン(1842-1921 デンマークの海軍士官。1866年来日)
-日本のおもちゃ屋は種類が豊富で、仕掛けも絶妙。大人でさえ何時間も楽しめる。
 アレクサンダー・F・V・ヒューブナー(1811-1892 オーストリアの外交官。1871年来日)
-創意工夫にとんだおもちゃをつくって子どもは精巧さを評価できないが、日本では大人でも暇なときには子どものようにおもちゃで遊んで楽しむ。
 ロバート・フォーチュン(1812-1880 スコットランド出身の植物学者。1860年来日)
-おもちゃの商売が繁盛していることで大人が子どもを好いている度合いが分かる。
 家庭教育に関しては、次のようにも述べられている。
 メアリー・クロフォード・フレイザー(1851-1922 英国の外交官ヒュー・フレイザーの妻。1889年夫の赴任に伴い来日)
-日本人の子どもは罰を受けたり小言を言われなくても、親から注がれる愛情により好ましい態度を身につけていく。決して甘やかされているのではなく、子どもは嘘や過ちを隠したりせず、すべてを父母に話し、自分におきたこと一緒に喜び悲しむ。
 一方で、日本の子どもは独自の世界をもち、他の国に比べて自由だとも感じているようだ。
 エメェ・アンベール(1819-1900 スイスの時計生産者組合会長。1863年使節団として来日)
-親は子どもの玩具にも遊戯や祭礼にも干渉しない。
 イザベラ・バード
-遊びにおいて規則は絶対で、疑問が生じても子どもたちだけで解決し、いちいち大人を煩わせない。
 そして、日本の親にとって子どもの存在を、次のように見ている。
 イザベラ・バード
-日本人は自分の子どもに喜びをおぼえ、誇りをもっている。他人の子どもにそれなりの愛情を注ぐ。
 エドワード・S・モース
-日本の子どもほど行儀がよく親切な子どもはおらず、日本の母親ほど愛情深く子どもにつくす母親はいない。
(3)
 これほど西洋人に高く評価されていた日本人の子育ての面影はなくなった。
 子どもをどなり散らす親はたくさんいる。
 子どもをどなる教師もたくさんいる。
 いつか、子どもまで荒れてしまうようになった。
 それは、どこから始まったのか。
 戦争が終了した時からである。
 日本に進駐してきた占領軍は、当然のことながら、それまでの主要な日本の制度を破壊した。
 教育でいえば3つある。
 第一は、教師養成制度を破壊して、リベラルアーツの素人教師を養成した。
 授業を語れない教授が教員養成をすることになった。
 第二は、教育基本法から「家庭教育」の内容を削除した。数十年にわたり、「家庭教育」の方針のない教育政策がされた。
 更に、親の権利はあるが、法律のどこにも親の義務がない法が施行された。
 第三は、日本のすばらしさを教える教育が、ほとんどなくなってしまった。
 「日本をとりもどす」のが、教育界の大テーマなのである。

文科省はキャリア教育なんて言っているけど・・・!

 2学期のこの時期は、中学、高校が色々な事業所で仕事を体験する「職業体験学習」が行われていると思う。文部科学省も「キャリア教育」なんて言って職業体験学習を奨励しているようだ。
 でも、頼む学校も、受け入れる企業も困っていることがあるのでは・・・!!!???
 ほとんどの中・高校がこの秋の時期なので、学校側は実習を受け入れてくれる事業所の確保に大変だ。
 事業所も、この時期にはいろいろな学校がほとんど毎日のように、入れ替わり立ち替わり職場体験学習にやっている。本来の仕事と別に生徒の対応もしなければならない。さらに、事業所は、実習当日に訪問する教師の対応もしなければならない。本来の仕事が手薄になる・・・!?
 事業所が、ダブルブッキングして、あとから断りの連絡があるということもあった。(他の事業所にお願いしなければならなくなった・・・。)
 国は、企業は生徒を受け入れるのは「社会貢献だ」とか、きれいごとを言っているけれど、事業所は生徒を受け入れることによって、本来の仕事に多少なりとも支障があることだろう。
 毎年お願いしている事業所に、職業体験学習をお願いする時に、「うちは、もう受け入れていません!」と断られたこともあった。
 それなら、いっそのこと長期休業中にアルバイトを義務付け、生徒もお金をもらっているという認識の下の、真剣勝負にしたらどうなのだろうか!!!
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ニャン太郎

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