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ケースワーク「子どもの貧困37」日本語を母語としない子どもたち 子ども・家庭への支援(前編)

 『月刊JTU』2013年2月号より、山加 ハナ氏(小学校教員)の記事の引用。
 「『外国籍の子どもたちが、授業中にちっとも落ち着いて席に座っていないから困る』と思うのは、あなたが日本人だからですよ」多文化共生教育の研修会で講師はそう話した。「机と椅子のないところで勉強している国だってあるのですから」。
 「なるほど」聞いたとき、目からウロコだった。しかし、目の前の子どもたちと日々関わる中で疑問も生まれた。「この子たちは日本生まれじゃないか。日本の学校しか知らないはずなのに、文化の違いを感じるのはどうしてだろう。家庭の影響はやはり大きいのだろうか」と、つい考えてしまう。あるケースを紹介したい。
 小学6年生の兄と4年生の弟。両親ともペルー人の、日本生まれ日本育ちの兄弟である。二人とも幼稚園のときから落着きがないとされ、支援員がついていた。小学校に入学してからも、じっと座って授業を受けることは難しく、教室の後ろで寝転がったり、教室から飛び出したりしていた。また、席に座っているときも、兄は両手に一本ずつ鉛筆を持ち、まるで鉛筆どうしを闘わせるかのように、カチカチカチカチと鳴らし続けていた。計算能力は高く、一枚の算数プリントを前に、四十分半泣きでぐずり続け、残り五分ですべて解いてしまうということがよくあった。弟は机を叩きながら「(リズムよく)やり・たく。ない!」と言って何もせず、ママに迎えに来てほしいときは、手足をバタバタさせながら泣いていた。
 彼らの両親は、来日してからもうずいぶん経つのだが、日本語の力はごく限られている。日本語を覚えたいという気持ちや、日本の習慣についての理解も、あまり感じられない。しかし、母国には「絶対に帰りたくない」「ペルーに帰ったら生きていけない」という。兄弟はしょっちゅう学校に遅刻したり欠席したりするが、家庭からの連絡はない。こちらから連絡しても、電話に出てはもらえない。迎えに行くとママが寝ている・・・。
 兄弟は、幼い頃から保育所に預けられていて、両親と母語による十分なコミュニケーションを持つ前に、日本語の環境に放り込まれてしまった。しかし、両親とは日本語で話せない。だから母語も日本語も限られている。この子たちは物事を考えるときに、何語で考えるのだろう。言葉がなければ、考える力を育てることも難しいのではないだろうか。
 兄も弟も、それぞれ三年生のときに特別支援学級に入級した。本校だけでなく、近隣の学校でも特別支援学級に入級する外国籍の子どもが増えているが、彼ら彼女らの抱えている困り感は、日本語の力と切り離して考えることはできないように思われる。このような子どもたちへの支援・家庭への支援を考えるとき、どのようなアプローチができるのだろうか。次回で考えていきたい。

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賢い国

 『月刊JTU』2013年2月号より、「なださんのメンタル・スケッチ 46」より「賢い国」の引用。
 選挙の最中に、政治家の口にする言葉を観察した。日本を「再び強い国に」「馬鹿にされない国に」というスローガンが多かった。だが、「日本を賢い国に」というスローガンを掲げる政治家はいなかった。強くなりたいと思うのは勝手だ。でも、強さは相手があってのこと。賢くなるには、相手などいらない。自分が相手だ。昨日の自分より、少しでも賢くなる努力をすればいいのだから。
 強い国になる競争をすれば行き着くところは戦争だ。賢い国になれば、戦争なんて馬鹿げたことは避ける工夫をする。ロシアと中国は、長い国境で隣り合う国だったが、国境線が確定しないところがあちこちにあった。そこで、同じ社会主義国であったのに、砲火を交えることもしばしばあった。大戦争に発展する寸前まで行ったこともある。
 だが、プーチンが登場すると、すぐに国境を確定しようと中国に呼びかけた。そこで、お互い、半分この原則で、賢く折り合った。どちらかといえばロシアが譲ったところが多い。でも、もうドンパチやる心配がなくなったのだ。国境線の防御に、金と労力をかけないで済む。そちらが得策。国境というもの、なかなか譲れるものではない。でも、未来を考えて、そろばんを弾いた。プーチンさん、なかなかやるじゃない。賢いねえ。
 長い、忍耐力の必要な交渉を通して、妥協に漕ぎ着けたのは、プーチンと胡耀邦だった。どちらも、北方領土と、尖閣諸島で、日本が国境問題(領土問題という呼び方もあるが)の相手としなければならない国々だ。
 両方共、日本には一歩も譲らないという強硬姿勢を示している。でも、ほぼ十年前、賢く国境問題を解決したという過去を持っている。交渉によっては賢い選択の出来る国だ。日本のどこかの政党、ぼくの「日本を賢い国に」というスローガンを買ってくれないかな。国民が一生懸命に働いて、創り出した富を軍備になど使ってしまうのは、賢くないねえ。同じ富を生み出す国でも、格差が大きい社会は、ギスギスした空気を社会にもたらす。賢くないねえ。

視野狭窄

 『月刊JTU』2013年1月号の「なださんのメンタル・スケッチ 45」よりの引用。
 緑内障の症状として視野狭窄がある。
 緑内障は、ついには失明する病気で、できることなら失明は避けたい。そのためには早く病気に気がついて医者のところに行き、治療を受けることだ。
 既に起きてしまった視野の欠損は、元には戻らない。でも進行を止めれば、失明は免れる。ところが視野に狭窄があったり欠損があったりしても、人間は意外と気がつかない。だから厄介だ。
 これと同じくらいに厄介なのが、精神的な視野の狭窄だ。比較的にあの人は視野が狭い、というふうに使われる。こっちは視野が欠けているのではなくて、最初はだれも精神的視野が狭い。しかし大人になり、勉強をしていくと、視野が次第に広くなる。様々な視点からものを見ることができるようになる。だからこっちの視野狭窄は成長によって治る。でもそれにはまず狭窄に気づかねばならない。
 大人になってからの精神的な視野狭窄は、困った病気だ。しかも政治家がこの病気にかかって、その人に国政が委ねたりするのは、絶対に避けたい。
 例えば円安になると喜ぶ人がいる一方で、円安を喜ばない人もいる。広い視野を持てば両方が視覚に入る。ところが視野が狭いと、一方しか目に入らない。輸出産業は円安がいいという。ものが売りやすい。輸入業者は円安になれば損をする。同じものを買うのにより以上に払わなければならない。そして、輸出と輸入が大まかに半々と考えれば、喜ぶのも半分で、困るのも半分だ。円安を単純に喜ぶ政治家は視野が狭い。
 2パーセントのインフレにすれば、2パーセントの成長を見込めるという政治家もいる。二つを両の目で見れば、それが名目上の成長でしかないことがわかる。個々に見れば、物価が2パーセント上がって、給料が据え置きなら、これはデフレそのものだ。これでは消費者マインドは冷え込むばかりだ。視野の狭い政治家にはそれが見えないらしい。
 本当の緑内障の場合だが、視野の欠損を、自動車事故を起こしてから気づく場合がある。視野の狭い指導者が、事故を起こしてから、国民がそれに気づいても、それでは遅すぎる。

『利休にたずねよ』山本兼一(PHP文芸文庫)

千利休
 天下をうごかしているのは、武力や銭金だけではない。
 美しいものにも、力がある。
 天地を震撼させるほどの力がある。
 高価な唐物や名物道具だけが美しいのではない。
 枯れ寂びた床に息づく椿の蕾の神々しさ。
 松籟を聞くがごとき釜の湯音の縹渺。
 ほのかな明るさの小間で手にする黒楽茶碗の肌の幽玄。
 なにげない美を見つけ出し、ひとつずつ積み重ねることで、一服の茶に、静謐にして力強い美があふれる。

携帯電話 体罰

 次のようなニュースがが出いてた。

 三重県名張市の市立中学校で昨年12月、男性教諭が女子生徒の頭をたたいていたことが14日、同市教育委員会への取材で分かった。女子生徒にけがはなく、市教委は男性教諭を口頭による厳重注意とした。市教委によると、女子生徒が授業中に携帯電話を触っていたため、授業をしていた別の教諭が注意。女子生徒が言うことを聞かなかったため、授業終了後、男性教諭が呼び出して注意している際に女子生徒の頭を平手で1回たたいた。男性教諭は「素直に非を認めなかったので手をあげた」と話している。(産経ニュース)
 これって、一方的過ぎませんか?変じゃあありませんか?
 授業中に携帯電話を触っていたことや指導に従わなかったことは問題にされず、そのことを指導した先生が問題にされている。
 指導に従わない生徒はさておき、ちょっとのことでも体罰だ、体罰だと騒ぎ立てる。今の日本、体罰に過剰過ぎませんか?
 指導が通らない世の中になってしまいますよ・・・。
 指導に従わない生徒の実態をニュースにした方がいいんじゃあありませんか!???

『ゼロトレランス-規範意識をどう育てるか-』加藤十八編著(学事出版局)


 ゼロトレランスの考えを取り入れた生徒指導。


「体罰全否定 教育できない」

 2013年2月10日の朝刊に、元文部科学大臣の伊吹文明氏の「体罰全否定 教育できない」という記事が出ていた。皆さんは、この記事にどうお考えですか?
体罰全否定 教育できない 衆議院長講演で、保護者批判も
 伊吹文明衆院議長(75)は九日、岐阜市内で「体罰を全く否定して教育なんかはできない」と述べ、スポーツ指導や教育現場での体罰を一部容認した。
 自民党県連主催の政治塾で、政治家を目指す二十三人の前で講演し、女子柔道の暴力問題をめぐる質問に答えた。
 「この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか」と保護者批判もした。
 さらに、英国のエリートを育てる私立校では教師がむちを持っていると説明。日本では「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていないから問題になる。立派な人間、選手になってほしいという愛情をもって体罰を加えているのか判然としない人が多すぎる」と語った。
 伊吹氏は2006年9月から07年9月まで安倍内閣で文部科学相を務めた。衆議院長に就任に伴い、無所属となっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013020901001493.html

365日、日々是決戦

 『勝つ部活動で健全な生徒を育てる』塚本哲也(黎明書房)2,050円よりの引用。
 いいかげんにゴロゴロ過ごしても、中学校時代は過ぎていってしまいますし、へとへとになりながら、毎晩泥のように眠るほど努力しても、同じだけの時間が流れていきます。そして、3年後の巣立ちのとき、やりきった生徒たちの顔は、新たな夢と希望に向かって、輝き始めるのです。その顔を見るために我々教師は3年間、生徒たちに真剣に立ち向かっているのです。
 1年365日、3年で1095日、1日も無駄な日はないのです。毎日が自分との戦いなのです。その戦いに勝った者だけが、親からも教師からも本当の自立を手にすることができるのです。

(中略)
 生徒たちは誰でも、自分を燃やせる場所がほしいのです。教師は、生徒たちにエネルギー発散の場を与え、存在感や自己有用感を味わわせてやらなけらばならないのです。

ただ歩いているだけではたどりつけない

 『勝つ部活動で健全な生徒を育てる』塚本哲也(黎明書房)2,050円よりの引用。
 よく、負けた後に生徒たちを集め、「よくやった。しかしなぁ、君たちのここにいたるまでの取組はすばらしかったぞ。先生は満足だ」と話している場面を見かけます。考えてみてください。取組がすばらしかったら負けないはずです。先生が満足しているだけで、生徒たち不満足に違いありません。
(中略)
 今、世の中は多くの情報が飛び交い、子どもでさえも、多くの知識をもっています。私は、それが多くの子どもたちから夢を奪い去り、いい言葉で言えば、現実主義者として生きていく社会を作っているように思えてなりません。自分の能力の限界に挑戦することをせず、最初からあきらめ、ほどほどの力で、のらりくらりと生活していこうとする傾向があるように感じています。

足し算の法則

 『勝つ部活動で健全な生徒を育てる』塚本哲也(黎明書房)2,050円よりの引用。
 昨今、加点法という考えが生徒指導の主流になってきています。良いところや良い行いを認めて、褒めていこうという考えです。とても素晴らしい考えだと思います。ただ、悪い部分は見ないように、良い部分だけを足していこうという考えには賛成できません。きっちりと悪い部分は、引き算をしてやるべきです。

生きる力を育てる教育

 『勝つ部活動で健全な生徒を育てる』塚本哲也(黎明書房)2,050円よりの引用。
 「生きる力を育てる教育」が叫ばれて久しいです。でも、(中略)テストがある限り、生徒たちは、いい点数を取りたいのです。点数が取れれば、さらにやる気になるのです。「生きて働く力を育てる」という題目ばかりを強調しても、今の教育システムの中では、点数が取れなければ、生徒の意欲は間違いなく減退するに決まっているのです。

体罰の報道

 やっぱりだ!・・・体罰の報道がマスコミに取り上げられてから、スポーツ指導のみならず、規則を守らなかったから、「平手打ちされた・・・体罰だ!!!」という報道がテレビでされるようになった。もともと、この事件は、スポーツの「勝利至上主義」からきたことでしょう。
 そもそも「体罰禁止」は、軍事主義からきたことなのではないでしょうか!?

 言って聞かせても分からない子ども、決まりを守らずに教師の指導に反抗する子供の指導ってどうすればいいのだろう???
 以前に報道されていたいじめ自殺事件の加害者って、教師の指導に従わなかった子供なのではないかと思えるし。
 きれいごとだけではうまくいかないことってあるのではないのか???

 対教師暴力の事例もある。教師の指導に対し教師を殴っておいて、「お前が殴ると体罰だ。お前、クビになるぞ!」と脅すような生徒も出ているらしい・・・。わがままをし放題の子供が増えてしまうのではないか???

 (警察に拳銃を持たせずに、拳銃を持っている相手に「言って聞かせろ」と言って事件が解決しますか?????)

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 とは言っても、自分は体罰をしている訳ではありませんが・・・。。。

 荒れている学校の一般の生徒は、規則を守らず好き勝手している生徒に対して、先生方が殴ってもいいから何とかしてほしい、治安を守り、安心して学習や生活ができるようにしてほしいと思っていると聞く。

 マスコミに登場し、発言をしているようなえらい先生方や政治家さん、官僚さん、体罰関連のことを報道して視聴率を上げようとしているマスコミの方々は解決策を明示してほしいと思うのである。

「我慢」と「厳しさ」を省いた教育

 『勝つ部活動で健全な生徒を育てる』塚本哲也(黎明書房)2,050円に、次のような一節がある。
 現状の教育がうまくいっていない理由もここにあるのではないでしょうか?
勝つ部活動で健全な生徒を育てる
 年々教育界への風当たりが強くなってきています。いつしか、学校教育も、サービスだと考える保護者が多くなってきているのです。サービスには、「我慢」だとか「厳しさ」という言葉はありません。「我慢」だとか「厳しさ」を生徒に課せば、それは、クレームの嵐となって返ってくるのです。このままで、日本の将来は大丈夫なのでしょうか。日本の将来を担う生徒たちに、「我慢」と「厳しさ」を省いた指導をしていても、自立した健全な生徒はできません。フリーターやニートの問題を考えたとき、理由は明らかです。
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ニャン太郎

Author:ニャン太郎
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