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「全国学力・学習状況調査」を全員参加にして何の意味があるの?

 今年から、再び「全国学力・学習状況調査」が全員参加となった。
 しかし、実施日が修学旅行中などで実施できないと後日の実施となる・・・しかし、実施された翌日の水曜日には、問題が新聞に発表されている・・・後から受ける児童・生徒には問題がバレれいる・・・これで、全員実施にして何の価値があるのだろう???
 これで、市町村別や都道府県別に正答率が発表されても何になるのだろう???
 「全国学力・学習状況調査」の意義が理解できない。
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非行と携帯電話

 次のようなことを聞いた。どこの調査なのだろう?警察の調査だろうか?
 「携帯電話やスマートフォンを持っている生徒の100%が問題行動を起こすわけではない。しかし、問題行動を起こした生徒の100%が携帯かスマートフォンを持っている。」
 携帯電話の持たせ方を、親子で考えさせたいものである。

痴漢冤罪ゲーム

 「上沼・高田のクギヅケ」というテレビで「痴漢冤罪ゲーム」というのがあるとやっていた。
 電車の中で、痴漢などされていないのに、突然「きゃぁ~!!!痴漢!!!」と言って座りこみ泣きわめくらしい。周りは当然、痴漢だと思うだろう。そして、示談にしてお金をせしめるという。
 こんなことが許されていいのだろうか!?!!?
 こんなに規範意識のない日本人にしてしまったのは誰なんだろう???
 暴走する若者は、「キャンプ場に連れて行き、赤身の魚と玄米を食べさせる」などと言っていた。その前にもっと根底からやることがあるでしょう!
http://www.ytv.co.jp/kugizuke/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%B4%E6%BC%A2%E5%86%A4%E7%BD%AA

ケースワーク「こどもの貧困」38【日本語を母語としない子どもたち 子ども・家庭への支援(後編)】

 『月刊JTU』2013年3月号より、加山 ハナ(小学校教員)氏の「ケースワーク「こどもの貧困」38【日本語を母語としない子どもたち 子ども・家庭への支援(後編)】」の引用。
 「ダブル・リミテッド」という言葉がある。二重に制限されている状態を意味する言葉だが、日本に暮らしている外国籍の子どもたちに関して、日本語も母語もどちらの力も限定的である状態をいうときに使われる。
 日本生まれ、日本育ちの子どもたちの中には、親から母語で話しかけられて日本語で返事をするという子がいる。また、お母さんとはスペイン語、お父さんとはポルトガル語、きょうだい同士は日本語で会話しているという子もいる。この子たちは、複数の言語を習得しているといえるのだろうか。
 私たちは、外国籍の子どもたちが日本語で会話ができると、ついつい「この子の日本語は大丈夫」と思ってしまいがちだ。しかし、日本語で日常会話ができることと、日本語で教科学習に参加できることは、大きく異なるはずである。日本語「を」学ぶことと、日本語「で」学ぶことは異なるからだ。
 私は、自分の興味から英語・韓国語・ポルトガル語を学習したことがある。海外旅行に出かけ、覚えた言葉を使ってみたこともある。しかし、英語で数学を勉強したり、韓国語で理科を学んだりしようとしたことはないし、できるとも思えない。ましてやポルトガル語でブラジルの歴史を勉強しろと言われたら、途方に暮れてしまう。
 日本に暮らす外国籍の子どもたちは、そんな状況に身を置いているだけでなく、親と複雑な会話をすることも難しい。そのことを忘れてはいけないと思っている。しかも、この子たちは自分の意思で日本にいるわけでもない。それでも、進学したり就職したりするために必要な、日本語の力をつけていかなければならないのだ。
 一方、自分の意思で日本に来たであろう親にとっても、日本の学校生活を理解するのは容易ではないだろう。理解してもらいたいのはやまやまだが、理解してもらうためには、こちらからの働きかけが欠かせない。欠席や遅刻が多い子どもの家にはその都度連絡をする。電話に出てもらえなければ家に行く。迎えに行けば登校できるなら朝から起こしに行く。必要書類は翻訳版を渡しただけでは提出してもらえないことがある。学校生活に関する書類だから、もしかしたら読んだだけでは内容を理解するのが難しいのかもしれない。翻訳版の書類を渡すだけよりも、家庭訪問して日本語で直接説明する方が、わかってもらえることもある。その場で、こちらが手伝いながら必要書類を書いてもらうこともできる。
 何度も足を運ぶうちに、「学校の先生はしつこいな」と思ってもらえたらいいと思う。本当は「熱心だ」と思ってもらえると報われるのかもしれないが、とにかくあきらめない姿勢を見せることが大切だと思う。そして、学校とはそういうところなのだと思ってもらえればいいと思う。それが学校への理解の第一歩になることを期待している。

基本法はやり

 『月刊JTU』2013年3月号の「なださんのメンタル・スケッチ47」より、「基本法はやり」の引用。
 「バカ」はぼくの口癖だった。最近注意している。でも、出る。癖なのだから仕方ない。
 これはほとんど間投詞なのだ。まさか、そんなことも分からないのか、と驚くときに発する「声」なのだ。ぼくの時代には常識になっていて、今では常識でないことがある。そういう常識の「ずれ」を感じるとき、自然に「バカ」という声が出るのだ。相手はそんな必要がないと思っているから、知らなくて当然だと思っている。だから、バカといわれると「バカとは何だ」と思うだろう。関東で「バカ」、関西で「あほ」が一種の間投詞であることを、柳田國男はちゃんと知っていた。関西と関東では、この言葉を巡って摩擦が起きることもある、と指摘までしている。
 自民党の「いじめ防止対策基本法案」を報じた朝日新聞によると「学校に在籍する児童らと一定の人的関係にある者が行う心理的または物理的な攻撃」と定義されるという。ぼくが先生で、生徒に「バカ、こんなことは常識だぞ」といったら、いじめにされるかもしれない。かつて、軟口蓋という字をナンコウブタ」と読まれた時「バカ、それはナンコウガイだ。豚が驚くからブタと読むな」といって若い女性をいたく傷つけた。その女性にいわれるまで傷つけたとは思わなかった。その程度の冗談を言われたくらいで傷つくな、ぐらいの気持ちでいた。今では、あんな難しい漢字の身体部位の専門用語を持つ日本の医学に反省を求めたい気持ちでいる。日本語に「のどちんこ」がある。これを学名にしたらいい。いや「ちんこ」はいけないという人がいるか。ともかく、ぼくは口から「バカ」が飛び出すので、今の世の中では、先生には不向きなようだ。
 美輪明宏は「よいとまけの歌」で、出てきた歌手だ。あの歌はいじめられた少年が、いじめにくじけず、エンジニアになって母ちゃんを喜ばすという歌だ。60年前に、いじめがどんなふうに受け止められていたかがよく分かる歌だ。今でもまだ感動させる力が残っている。なんでも法律で罰すればいいというものではない。教育力を持った先生がいれば、法律などはいらない。いじめを話題にして人間教育だってできる。札幌農学校のクラーク博士は規則の嫌いな人だった。規則で教育はできないと寮の規則さえ作らせなかった人だ。いじめ防止基本法のことを聞いたらなんというだろう。

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