空間認知能力

 2015年3月10日の朝刊「天才たるゆえん -強さを読み解く- (ミスターツイスト 白井健三)」より、引用。
見えてなくても見えている
 「天才」には理由がある。それは生まれ持った能力だけではない。来年のリオデジャネイロ五輪、2020年東京五輪を目指して世界を相手に戦う日本のエースは、なぜ天才と呼ばれるのか。本人や周りの証言から探る。
 17歳だった2013年、体操の世界選手権(ベルギー・アントワープ)種目別床運動で男子史上最年少の金メダルを獲得した白井健三(神奈川県・岸根高)は、海外の新聞で「ミスターツイスト(ひねり)」と称賛された。複数の技に「シライ」の名を冠し、才能を伸ばし続ける高校3年生の代名詞ともなった「ひねり技」の原点を追う。
   ◇

 なかなか床に就かず、中学1年n三男坊は机に向かっていた。「明日、起きられなくなるぞ」。たしなめながら手元をのこき込んだ父と母は、はっと息をのんだ。白井が取り組んでいたのは美術の宿題。小さな立方体が重なってできた大きな立方体が宙に浮くイメージを、陰影を付けながら見事に描いていた。
 正面から見えない部分を頭の中で正確に描けていないと、複雑な立体を平面で表現するのは難しい。横浜市で体操クラブを経営する父の勝晃(55)は4年後、息子が世界を制した後にこの作品の意味に気付いた。「息子に関する講演などで絵の話をすると、専門家に『空間認知能力に優れたアスリートならではの絵だ』と指摘された。
 体操の技の多くは、空中で縦に宙返りしながら横にもひねる。体がどの位置でどちらを向いているかを瞬時に把握できなければ、着地がおぼつかないだけでなく大けがにつながる。この能力にたけていれば恐怖心無く高難度の技を練習でき、習得も早い。
 今春に白井を迎える日体大の体育学部長で、ロサンゼルス五輪男子個人総合、つり輪金メダリスト具志堅幸司(58)は「生まれ持った部分もあるだろうが、健三の場合は幼少からトランポリンに親しんでいたことが大きい」と話す。
 脚力が無くても高く跳躍でき、着地の心配をあまりせずに空中技を試せる練習器具。白井は「気付かないうちに使っていた。ぜいたくな言い方をすると、僕の人生にあって当然だ」と言い切る。
 白井が生まれたころ、体育教諭だった勝晃は神奈川県・鶴見大付属中・高校の体操部監督を務め、妻の徳美(51)と一緒に地元の子どもたちも指導。白井はほぼ毎日、両親に連れられて体育館にいた。「体操の器具で安全なのはトランポリンぐらいだった」と徳美。幼児には遊び道具でもあり、揺り籠でもあった。勝晃は「毎日3、4時間は弾みっぱなし。私たちが帰るときには、真ん中ではなをたらして寝ていた」と笑う。3歳から本格的に体操を習い始めてからも、練習の合間の息抜きはトランポリン遊びだった。
 この遊びが実戦の強さに結び付いた一因は父親の工夫にあった。白井が中1の時、勝晃は学校を退職して体操クラブを設立。倉庫を改修した体育館に置いた床運動の練習トランポリン(タントラ)のばねを、既製品より短くした。「海外から輸入していた従来の品は、跳ぶ力が床運動のマットの50%増になる。床と感覚を近づけるには20%に抑えたかった」。国内メーカーに特注した「日本でうちが初めて」の一品だった。
 「普通のトランポリンで技をこなせても現実味がない。このタントラなら次の試合に入れたい技などを想像して練習できる」。白井は父に感謝する。2年後には、13年の世界選手権で国際体操連盟(FIG)に「シライ/ニュエン」と名付けられた後方伸身宙返り4回ひねりをものにしていた。
 世界選手権男子個人総合5連覇中の内村航平(コナミスポーツク)が幼少時、自由帳に技の分解図を書きながら覚えていたことはよく知られたいる。白井にはそうした経験はないという。「みんなは第三者から見たイメージをするそうだけど、僕は技をやっている本人の目線でイメージしている。そこは他の人と違う」
 客席やテレビなどからの視覚経験ではなく、実際に宙に舞うことから体操に触れ始めた18歳ならではの感覚なのかもしれない。
(鈴木智行)
■2013年世界選手権で認定された白井健三の新技
①シライ/ニュエン(床運動)後方伸身宙返り4回ひねり
②シライ2(床運動)前方伸身宙返り3回ひねり
③シライ/キムヒフン(跳馬)伸身ユルチェンコ3回ひねり
・白井が中学1年の時に手がけた美術の作品。立体が重なり合うイメージを巧みに描いた
しらい・けんぞう
 元体操選手の両親の下で体操を始め、神奈川県・寺尾中3年だった2011年全日本種目別選手権の床運動で2位。13年6月の同選手権床運動を制し、10月の世界選手権の種目別選手権の床運動で金メダルを獲得した。14年の世界選手権(中国・南寧)は銀。兄2人も体操選手で、長兄の勝太郎(23)はコナミスポーツクラブ、次兄の晃次郎(21)は日体大に所属。4月、日体大に進学予定。161cm。横浜市出身。

スポンサーサイト

育児と両立「もう限界」 一日平均12時間在校 忙しすぎる教諭

 2015年9月25日の朝刊より、「小中学校教諭の勤務実態 1日12時間、帰宅後も1時間半」の引用。
仕事と育児 厳しい両立
 文部科学省が七月に発表した公立小中学校の教職員の勤務実態に関する初の全国調査では、教諭は一日十二時間前後も学校にいることが判明した。自宅に持ち帰る仕事も一時間半あり、特に子育て世代の教諭らは、仕事と育児の両立の難しさを訴える。(細川暁子)

 「成績付けや提出物のチェックが終わらず、学校に寝泊まりしたことがある」。そう打ち明けるのは埼玉県内の中学校に勤務する三十代の男性教諭だ。中二の担任で、部活の顧問。朝七時半に出勤し、帰宅は毎晩九時半を過ぎる。
 いじめや不登校の調査を教育委員会に提出したり、放課後に友人関係で問題を抱える生徒や親と話し合ったり。「会議や書類作りに追われて、生徒が帰宅した午後六時以降にやっと授業の準備ができる」という。夏休みは三分の二が部活指導で家庭訪問にも回った。
 妻も中学教諭で、小学生と保育園の子ども二人がいる。「平日はほとんど子どもの顔を見られない。妻に育児の負担がのしかかっていて心苦しい」と話す。
 東海地方に住む三十代の元小学校教諭の女性は仕事と子育ての両立に悩み、今年三月に仕事を辞めた。
 昨年度は高学年四十人のクラスを担任。日本語がたどたどしい外国籍の子もいた。大変だったのは保護者への対応。課外活動費を払わなかったり、子どもを一週間無断欠席させたりする家庭には年に十回以上も訪問した。保護者が働いている場合は、、夜に訪問せざるを得なかった。
 帰宅後や土・日曜日も授業準備に追われた。部活の顧問として夏休みも指導。夫は勤め先の仕事が忙しく、育児はほぼすべて女性が担った。「ぐずって泣く自分の子どもを抱き締める力がないほど疲れていた」。先輩教諭に相談したが、補助の教員は付かなかった。「同僚はみんな、いっぱいいっぱいだった」
 退職直前の二カ月間は、県外の母親に自宅に住み込んで家事を手伝ってもらった。だが体調が悪化し、「もう限界」と辞表を出した。「子育てと両立できず、仕事を辞めた女性教諭は周りに多い」
OECD調べ 中学、日本が最長
 文科省が7月に発表した調査結果によると、6757人が回答した公立小中学校の教諭の1日平均在校時間は、小学校が11時間35分で、中学校で12時間6分。自宅に持ち帰る仕事もそれぞれ1時間36分、1時間44分あった。
 結果に合わせて、長野県信濃町の小中一貫校「信濃小中学校」の取り組みが業務改善例の一つとして挙げられた。同校では、小学1~4年のクラスに、担任に加えて教員免許を持つ常勤の学習支援員を配置。教材の作成など、担任の負担軽減を図っている。
 ただ、自治体や校内の努力だけでは〔問題は解決しないとの指摘もある。
 元さいたま市教育委員会教育長で、埼玉大教育学部の桐淵(きりぶち)博教授は「最近の子どもたちは家庭内の生活習慣に踏み込んだ指導が必要なケースが多い。教員の仕事は増える一方」と指摘。「国の将来が危ぶまれるほど、現場は苦しい状況。国の予算で教師を増やして少人数学級で対応するべきだ」と強調する。
 経済協力開発機構(OECD)による2013年の調査では、日本の中学教員の勤務時間は34カ国・地域のうちで最長。今回の実態調査は、この結果を受け止めて初めて行われた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2015092502000221.html

合唱指導のワンポイント・アドバイス

 明治図書より、メール。(2015/7/1)「合唱指導のワンポイント・アドバイス」。
 秋だから、もうすぐ合唱コンクールが始まりますよね。
1 指示は「具体的」に
 合唱指導の場面で、
「何度言ったらわかるんだ?」
「話にならない!」
などと言ってしまったらアウトです。それは、「どのように指示したらよいかわからない…」と言っているのと同じことになってしまいます。
 すべての指示は、「具体的」である必要があります。
「今◯◯な声が出ていて、それは◯◯が原因なので、身体のこの部位を◯◯してください。」
「今◯◯が問題になっていて、◯◯の方がよいので、◯◯してください。」
 イメージで伝えることも時には有効ですが、ほとんどの場合、身体の部位をどのように動かすかを「具体的」に指示した方が確実に伝わります。
2 「誤った対処療法」と克服するための具体例
(1)フォーム(姿勢)の重要性
 日本の多くの教育現場において、「音程」という言葉が、「音高 pitch」と「音色 tone」の概念を区別せずに使われています。
 「音高」は声帯の振動数によって決まりますから、喉仏から下のフォーム(姿勢と筋肉の収縮のバランス)によって決まります。
 「音色」は声道(声帯~唇までの空間)の形状によって決まります。
 姿勢が悪く、「音高」がフラット気味な(低くなってしまっている)児童、生徒に、
「音色を明るくするように。」
と指示してしまうと、「音高」はフラット気味なまま、平べったい「音色」になってしまいます。
(2)「開いた喉」とは?
 例えば、「開いた喉」を得るために、喉仏を下に移動させたり、口の中の奥の方を広く開けさせたりする指導がよく見られます。残念ながら、これらの指導では、曲種に応じた自然な歌声は生まれません。
 したがって、音高を保ったり喉を開けたりするために、奥歯の距離を奇妙に操作したり、眉毛を持ち上げたりする指導は、「誤った対症療法」です。残念ながら、その結果は奇妙な表情になって、何と歌っているかわからなくなるだけです。
 同様に、びっくりした外国人の顔をして喉を開けようとするのも、臭い匂いを嗅いだ顔で明るい音色を得ようとするのも、「誤った対症療法」です。そのような顔では「びっくりした外国人の歌」や「臭い匂いを嗅いだときの歌」は歌えても、曲種に応じた自然な歌声を生み出すことはできません。一時的なきっかけにはなるかもしれませんが、そのようなことをしなくても、正しいフォームと正しい共鳴の調整を行うことはできます。
(3)克服するための具体例
 音高がフラットしてしまうのは、正しいフォームを身に付けていないことが原因です。そして、喉が閉まってしまうのは、誤った姿勢と、誤った呼吸法による、支えの不足と低すぎる腹圧が原因です。
 そこで、次の「実践するべき正しいフォーム」と「実践するべき正しい呼吸」を行うことで、音高がフラットすることを避けることができ、喉は自然に開いた状態になり、上記の「誤った対処療法」を克服することができます。
・実践するべき正しいフォーム
1 足を開き過ぎない
 くるぶしの間にこぶし一つ分の隙間を開ける。肩幅では広過ぎて、正しい骨盤の位置にならず、また、横腹の筋肉の支えを使うことが難しくなります。
2 下腹を引き、背筋を伸ばす、軽く胸を張り、あごを軽く引く
 「身長が一番高くなる姿勢」になります。
3 息を吸うときも吐くときも肩を動かさない、視界を動かさない
 肩や視界が動いてしまうと、いわゆる鎖骨呼吸になってしまい、音高が不安定になります。
・実践するべき正しい呼吸
「吸う」
 肩を動かさずに肋骨を横に開きます。第8?10肋骨に拡張を感じます。このときに猫背にならないように気を付けます。正しいフォーム(姿勢)を保つと、吸気時にも下腹(丹田の辺り)はあまり広がりません。脇腹の辺りが一番広がります。
「吐く」
 鼻をかんだり、細いストローに息を吹き込んだりするように腹圧を高め、肋骨の拡張を保ちながら息を吐きます。決して吐きすぎないように。
※上記の「実践するべき正しいフォーム」「実践するべき正しい呼吸」は連動しています。これらのテクニックを「アッポッジョ」と呼びます。
■参考書籍
『上手に歌うためのQ&A―歌い手と教師のための手引書』リチャード・ミラー(著),岸本 宏子(翻訳),長岡 英(翻訳)音楽之友社,2009
『歌唱の仕組み―その体系と学び方』リチャード・ミラー(著),岸本 宏子(翻訳),八尋 久仁代 (翻訳)音楽之友社,2014
■参考動画
Nコン課題曲「メイプルシロップ」研究(YouTube)
http://jp.youtube.com/watch?v=haPFbC1FLTE
黒川 和伸(くろかわ かずのぶ)
 合唱指揮者。1979年生まれ。千葉県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。現在東京藝術大学大学院修士課程(音楽教育専攻)在籍。VOCE ARMONICA指揮者として第66回全日本合唱コンクール全国大会一般混声の部銀賞受賞。現在15の合唱団にて指揮者。日本合唱指揮者協会会員。千葉県合唱連盟理事。松戸市合唱連盟理事長。

敬老の日に考える 父の戦争、語り継ぐ

 2015年9月21日の朝刊の社説より、引用。
 戦争のこと、教えてください。戦争の時代のことも、聞かせてほしい。真実を知れば知るほど、平和とは何かが分かる。私たちはその価値を語り継ぐ。
 神戸市にある先端医療振興財団臨床研究情報センター長の福島雅典さん(66)は、わずか五十ページ足らずのその小冊子に、このごろひときわ厚みと重みを感じています。
 福島さんの父二郎さんはおととし六月、九十三歳で亡くなった。
 福島さんは、父親が古希の記念にのこした手記や写真をまとめ、自らの編集後記を添えた「私の思い出 マレー俘虜(ふりょ)記」=写真=を一周忌の参列者に配布しました。
 銀行員の二郎さんは、二十二歳の時に応召し、シンガポールやインドシナを転戦した。
 一九四五年九月、マレー半島南部のクアラルンプール(現マレーシアの首都)で武装解除され、二年間の捕虜生活を強いられた。特設自動車一六大隊本部に所属する、兵器担当の将校だった。
 <アゴであしらわれて作業現場まで連行され、そして、こき使われた。まるで鞭(むち)打たれてあえぐ牛馬のように! それは、筆舌に尽くし難い屈辱の日々であった>
 <敗者に正義はなかった。道理も通らなかった。ただ終戦の詔勅の『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』を地でゆくより仕方がなかった>
 一日十時間。激しい憎悪に満ちた強制労働…。二郎さんは、元銀行マンらしくむしろ淡々と、虜囚の日々をつづっています。
 そして<毎年開かれる戦友会に欠かさず出席しては、苦楽を共にした戦友と語らいながら、亡き戦友のご冥福と、二度と戦争の起こらないことを祈り続けている>と結んでいます。
◆後ずさる時代を憂う
 福島さんと二郎さんは、ふだんあまり親密な会話のない、つまりよくある父と子でした。
 戦争のことは話したがらない父だった。爆弾の破片にえぐり取られたすねの大きな傷痕だけは何度も見た。収容所での身分証などは大切に保管されていた。
 二十五年前、送られてきた手書きの原稿に初めて目を通した時には、勝ち目のない、いくさに走った世の中を、ばかばかしいと思う気持ちもわいた。
 ところが、憲法の不戦の誓いを軽んじ、破り、再び戦争ができる国へと向かうこの国の時代状況が、福島さんの心を変えた。
 声高に反戦を唱えたことも、憲法擁護を訴えたこともなかった父親の、ぬぐってもぬぐい切れなかったであろう鮮烈すぎる記憶の重みが、自分の中で増していく。
 医師である福島さんは常々感じていた。
 医者にもしょせん、患者の気持ちはわからない。患者の立場に立てるというのも幻想だ。気持ちも立場も分からないという前提で、患者の話を、よく聞くべきだと。
 恐らくそれと同じこと。今ここで、父親たちが体験した戦争への理解はおろか、イメージするのも不可能だ。だから、重すぎる父の記憶を、そっくりそのまま引き受けよう。敬意を込めて記録にとどめ、考えよう-。
 福島さんは、小冊子の編集後記を自作の漢詩で結んでいます。
 想敗戦之日
 満蒙執着開戦火
 戦線拡大不能止
 求停戦而失機会
 国破惟残不戦誓
 不戦の誓いを失うな-。亡き戦友に捧(ささ)げた父親のその祈り、受け止めたというあかしでしょうか。
 “戦争を知らない政治家たち”が民主主義のルールを踏みにじり、不戦の誓いをおとしめるがごとき安保法を、数の力で成立させました。
 国民の命を守るためにと言いながら、戦火に散った命への敬意が感じられません。存立危機事態が迫ると言われても、想定される“戦場”に現実感はありません。
◆あなた自身の戦争を
 だからでしょうか。長い間、口を閉ざし続けた戦争体験者の皆さんが、明らかに物語りを始めています。無数の「私の思い出」が、受け止める人を探しています。
 あの暗く悲しい時代を生き抜いた、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さん…。
 聞かせてください、あなた自身の戦争を。私たちはそれを書き留め、伝え続けます。皆さんが築いてくれた平和という宝物、もう二度と見失うことがないように。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015092102000160.html

週のはじめに考える “文系不要論”の愚かさ

 2015年9月13日の社説より、引用。
 教員養成の学部がなくなってしまったら、教員の養成はどうなるのですか???それで、質の高い教育が行われますか???教員養成をどうやってするのですか???
 国立大学改革に伴って持ち上がった“文系不要論”の衝撃は大きかった。文部科学省は「誤解」と否定していますが、それでも疑念は拭えないのです。
 文科省が去る六月に全国の国立大あてに出した通知が発端でした。教員養成系や人文社会科学系のリストラを求めたのです。 確かに、社会の変化はすさまじい。子どもの人口は先細りですし、地方は過疎化が進み、都市との格差は広がる一途です。人間活動は情報化、グローバル化し、国際競争はし烈を極めています。
◆成長戦略下の大学
 大学はレジャーランドでは許されない。それなりの教育研究の成果を社会に還元しなくては、存在意義さえ問われます。時代の情勢に見合った組織への脱皮は急務という文科省の理屈は分かります。
 では、そのような改革がどうして“文系不要論”と映るのか。
 それは政府の成長戦略と連動しているからでしょう。産業界の利益追求や社会的有用性に奉仕する学問を優遇し、成果を競わせるという発想が読み取れるのです。
 科学技術振興やイノベーションの土台となる理系人材の育成はいうに及ばず、文系人材の育成でも職業能力の開発や実践力の向上に主眼が置かれているといえます。いわば、稼ぐ力の強化という視点のみからの改革というほかない。
 とすると、実利実益との結びつきが見えにくい人文社会科学は切り捨てられるという懸念が強まるのも当然です。これは学問の自由にかかわる問題でもあるのです。
 幕末の開国以来、激動期の為政者は国家の命運を科学技術に託してきた面があります。
 「高等生徒を訓導するには、之(これ)を科学に進むべくして、政談に誘うべからず」。明治の元勲伊藤博文の言葉です。西欧列強に対抗して近代化を急いだ時代でした。
◆文系の「有害無益」論
 大戦中には、文系の高等教育機関は理系への転換を強いられ、科学技術の即時戦力化が推進されました。学徒出陣で戦地に送られたのは、主に文系の学生でした。
 「文系の学問は国にとって有害無益なのでしょう」と手厳しいのは、滋賀大学長で経済学者の佐和隆光さん。「社会にどう役立つかで学術的価値をはかる、あしき慣行が国にはある」というのです。
 高度成長期の一九六〇年、岸信介内閣の松田竹千代文部相は、国立大は理系を担い、文系は私立大に任せたいとの意向を示したという。多くの国立大文系の学生が安保闘争に参加していたという背景があった、と指摘しています。
 「文系の学識とは批判精神です。それで自由や民主主義も守られてきた」と説くのです。
 とすれば、昨今の異論排除の風潮と文系軽視の風潮とは、必ずしも無縁ではないのかもしれません。国家が知的資源を一元管理して成長戦略に投入する姿は、開発独裁体制すら想像させます。
 科学技術はまた独り歩きする面もあります。その日進月歩ぶりを目の当たりにして、夏目漱石は大正期に著した小説「行人」で登場人物にこう語らせている。
 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。(中略)どこまで伴(つ)れて行かれるか分(わか)らない。実に恐ろしい」
 現代にも通じるような話です。ITやロボット、人工知能、遺伝子工学…。利便性や効率性ばかりを追求した果てに、どういう社会が待ち受けるのか。全ては科学技術の赴くままにという実情です。
 最近では、このような将来予測も公表されています。
 ・二〇一一年度に米国の小学校に入った子どもたちの65%は、大学卒業時にいまは存在しない職業に就く(米ニューヨーク市立大学のキャシー・デビッドソン氏)。
 ・今後十~二十年程度で、米国の雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い(英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏)。
 しかし、科学技術文明には公害や環境破壊、地球温暖化、大量破壊兵器といった負の遺産を生み出してきた歴史がある。その功罪を含めて人間の生存や社会の発展、継承のための「知」を探究するのは人文社会科学の使命なのです。
◆学問を市民の手に
 名古屋市で先週、市民手づくりの哲学カフェが開かれました。教育をテーマに、見知らぬ人同士十人余りが意見を交わした。結論を出すのではない。互いの違いを認め合い、思索を深めるのです。
 今やこうした「対話の場」は全国に広がる。稼ぐ力ではなく、本物の「知」に飢えているのではないでしょうか。本来、学問は国家のものではなく、市民のもの。無論、理系と文系を隔てる垣根など最初から存在しないのです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015091302000138.html

中3の1年間の伸びしろは無視?

 『内外教育』2015年8月7日の「普通の教師が生きる学校 モンスター・ペアレント論を超えて」より、「中3の1年間の伸びしろは無視?」の引用。
小野田正利(大阪大学大学院教授)
Point
①全国学力テスト結果を高校入試に活用しようという、大阪府の意向をめぐっての混乱
②絶対評価と言いつつ、学校ごとに相対評価をした内申点の基準設定が必要と言い出す
③そもそも中3の4月に受けた結果が、1年後の入試を縛るって、どういうこと?
相対評価から絶対評価へ
 全国波及の可能性もあるので、いまはローカルな話題ではあるが、きっちんと言及しよう。全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を使って、内申点の絶対評価の「公平性」を図ろうとする大阪府教育委員会の施策だ。まずは2名のコメントから(7月10日付、朝日新聞朝刊)。
 《大阪市教育委員長の大森不二雄・首都大学東京教授(教育社会学)の話 相対評価を絶対評価に変えるだけでは、5段階評価の「5」を生徒の過半数につける学校が出てくる一方で、1割未満しかつけない学校も出るなど理不尽な不公平が生じうる。生徒の人生を左右する高校入試の内申評価にふさわしくないのは明らかだ。絶対評価にはテストによる各校共通の評価尺度が必須。大阪の方針は理にかなう》
 《小野田正利・大阪大学大学院教授(教育制度学)の話 大阪方式は、生徒個人の関心・意欲・態度を考慮するという絶対評価の本来の目的があまりに軽視されている。目標の達成度が評価の尺度になるはずなのに、今まで以上にテストが重視されてしまう。点数主義に陥らず、子どものやる気を引き出そうという一番大事な部分が欠けてしまっているのではないか。府教委は絶対評価の意義をきちんと見つめ直すべきだ》
 公立高校の入試では、通常は中学3年の3月の学力検査(入学試験)と、所属する中学からの調査書(内申書)などが考慮され、その比重は都道府県によって異なっている。調査書の教科ごとの評価方法は、かつて相対評価が用いられてきたが、2002年からは絶対評価へと変更された。
 背景には中学の場合、すでに1992年に旧指導要領が改定され「評定」のほかに「観点別評価」の記載が求められ、A、B、Cによる「目標に準拠した評定(いわゆる絶対評価)」へと変わっていたことがある。そこでは「知識・理解」が後ろに引っ込み「関心・意欲・態度」が前面に躍り出たことで「学力観の転換」を意味するものだと喧伝されたのは有名な話である(私は「新学力観」を疑問視するが、ここでは置いておく)。
 その後、98年の学習指導要領改訂および中教審答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(99年12月)を経て、教育課程審議会答申「児童生徒の学習と教育課程の実施状況の評価の在り方について」(2000年12月)が出された。ここでは「これからの評価の基本的な考え方」として「イ 観点別学習状況の評価を基本とした現行の評価方法を発展させ」、絶対評価を「一層重視するととみに、児童生徒一人一人のよい点や可能性、進歩の状況などを評価するため、個人内評価を工夫することが重要である」と明言される。
 従来型の「集団に準拠した評価(いわゆる相対評価)は、集団の中での相対的な位置付け」で評価するものであるため「基礎的・基本的な内容を確実に習得し、目標を実現しているかどうかの状況や、一人一人の児童生徒のよい点や可能性、進歩の状況については直接把握することには適」さず、「児童生徒数の減少などにより・・・客観性や信頼性が確保されにくくなっていることも指摘されていつ」と答申は批判した。そこで、文科省は01年4月に指導要領の改善通知を出して、02年以後の中学の評定は「絶対評価」に切り替えたのである。
 しかし、大阪府だけは唯一、学校内で他の生徒と比較する「相対評価」(10段階)を続けてきた。そのこと自体は「異様」とはいえるものの、不法なものではない。先の教課審答申でも「指導要領と調査書とは作成の目的や機能が異なるものであることから」各教科の内申点を絶対評価にするか相対評価にするかどうかの具体的な取り扱いは「従来どおり、各都道府県教育委員会等の判断において適切に定めることが適当と考える」とされていた。
「国に倣え」と主張したのは橋下氏
 歴史をきちんと振り返ろう。もとはといえば、3年前にさかのぼる。知事から市長に鞍替え当選後の12年5月に、橋下氏がツイッターで「相対評価を大阪が死守しているのはおかしい。他県と同じように絶対評価にしろ。文科省の考え方に賛成だ」と批判し、松井一郎知事もこれに共鳴した。「改正」の動きはこの頃から始まった。
 だとすれば「そのように改正」すればいいのに、今度はなぜか「絶対評価にすると、入試の『公平性』が保障されないではないか?」と言い出した。その中心となったのが、冒頭の大森委員長(元・文科官僚)である。絶対評価では中学の教諭の判断で、制限なく良い評価をつけることができ、学校によって評価がばらつく恐れがある-と当然のことである。もともと絶対評価は、その学校・学級集団に準拠して「5」から「1」をつけているのではなく、目標準拠方式なのだから。
 【来年(16年)の入試から「変える」って決めて触れ回っちゃったよ。しまったなあ!!あっ、そういやあ、文科省の「学校評価及び指導要録の改善等」の通知(10年3月)の中にQ5として「評価の結果が進学等において活用される都道府県等の地域ごとに、一定の統一性を保つように努める」ったあったよな。そうだ!大阪府下の中学生全員対象の学力テストをやっちゃえば、それは絶対評価を補正する指標に使えるぞ。生徒たちだけでなく、学校にも是正勧告もできるしなぁ】
 こうして自治体独自の統一テスト結果を高校入試に結び付けるという全国でも例のない「チャレンジテスト」が、今年1月14日に中1・中2を対象に実施された。府教委は「入試を控える3年の1月は負担が大きい」と来年からの中3の実施は見送ったが、大阪市教委は「3年生こそ必要だ」と市独自のテストをする構えを見せ、そこで両者は「全国学テがあるじゃないか!あるものは使おう」と合意に達する。これをめぐって7月7日に文科省の専門家会議で、当然のことだが、「趣旨から逸脱している。入試選抜に活用すべきではない」と結論が出された。しかし、松井知事は「文科省は上から目線」で「専門家会議はピンぼけ」と批判し、大森委員長も認められない場合は「法的手段も検討する」と息巻いている。
 この一連の騒動の原因は、そもそも言い出しっぺ側に「歴史経過についての見識がなく」「定見と見通しがない」ことがあるように思う。加えて、かつて大阪には4つの学区(06年までは9学区)があったが、橋下氏自らが14年から撤廃し1学区にしてしまった。ここではたと、534の中学校、257の高校という無茶な「戦国時代」を招いてしまった中では、妥当なコントロールが利かないことに気が付く。今回の騒動のもとは、見境なく「国に倣って絶対評価にするぞ!」「学区はいらないかrみんな競争しろ!」と言い出した人と、それに付和雷同したことにあると私は考える。
なんで4月の結果で決めちゃうの?
 この騒動の中で、当事者なのに蚊帳の外に置かれたのは中3生であり、その親たちである。この数年で、実に目ぐるましく変わる入試制度(日程も選抜方法もおもちゃのように扱われた)に翻弄された犠牲者たちには「いいかげんにしてくれ!」という気持ちが渦巻いている。
 3つの疑問がすぐに湧く。①入試は中3の冬なのに、なんで4月21日の全国学力テストを使うの?それって3年生になってからの勉学の伸びしろを考慮せず、中2段階で固定してるってことじゃないの?②全国学力テストは国・数・理の3教科だけなのに、中学校の9教科全体を見渡した成績や能力を見ることができるの?③絶対評価にするって言いながら、今度は大阪府下の私学を含めた「約534校という学校ごとを対象にした相対評価」を始めることじゃない?学校の評価が、個人の評価と連動するの?だって松竹梅で言うと、A中は松だから5の評価は15人で、B中は竹だから10人で、C中は梅か並だから5人っていうことなんでしょ?(府教委は5段階の評定平均の目安を±0.30にするという)。

家庭訪問の縮小傾向と保護者対応トラブル

 『内外教育』2015年6月5日の「普通の教師が生きる学校 モンスター・ペアレント論を超えて」(第220回)より、「家庭訪問の縮小傾向と保護者対応トラブル」の引用。
小野田正利(大阪大学大学院教授)
Point
①児童個人票(家庭連絡票)から得られる子どもの家庭状況についての情報が激減
②家庭訪問の形態が変化し、廃止したり、所在確認のためだけになってしまっているところも
③学期初めの段階で担任が得る親の情報が少なくなったことと、保護者対応トラブルの増加や深刻化には関連性があるか
保護者の背景事情の理解が困難に
 保育のガイドラインを定める「保育所保育指針」(厚生労働省)には2008年の改訂以降「保護者に対する支援」が加わった(本連載第186回=2014年8月29日号=を参照)。そこで保育園関係者の間では、子育ての悩みを抱える保護者の理解をどう進めていくかが研修のテーマになることが増えてきた。預かる子どもとおなじぐらい保護者のことを知っておかないと、保護者の養育態度や意識の変化にただ戸惑うだけになるからだ。
 「わが子との向き合い方で、せめて保護者はこのぐらいはしてほしい」という期待する水準とかけ離れた事態が生じるほど、保育士もまた「なんて親だ!」と腹をたてることも多くなる。その場合に、園側にとって都合良い保護者かどうかがポイントになってしまって「そういう行動しかとれない(ように映る)」背景には何があるのか、困惑している別のものがあるのではといった視点が消えていき、保育士と保護者の関係づくりが難しくなることをベテラン保育士は嘆いている。それでも保育園は、子どもの送り迎えの際に、直接に保護者と話す機会が多少はあるため、なんとかいくつかの接点を活用して「保護者支援」の前提となる「保護者の背景事情の理解」をしようと努力している。つまり子どもに向きあう以上は、その親も理解しようという意識は割と強くある。
 一方、小学校以上の学校ではそのチャンスを少しずつ失いかけている。家族構成や職業といった背景事情を理解することは、個人情報保護が声高に叫ばれるようになって以後、かなりの難しさを抱えた。小学校入学後や新年度に渡される「児童個人票(家庭連絡票)」から職業欄は消えたし、家族構成の欄もなくなったところがある。固定電話のない家庭も多くなったので空欄も多くなり、携帯電話の番号を書くか書かないかも保護者側の判断に委ねられている。
 新担任には前担任から引き継がれる特設の申し送り事項以外は、年度初めの段階で保護者の情報が入りにくくなった。極端かもしれないが、その学校の児童生徒のきょうだいが、どこの園や学校に通っているのかもよく分からないこともある。前担任や学校側の先入観によって一方的な見方がそのまま引き継がれることもあるし、途中段階での家庭環境の変化も正しく反映されないこともある。これと対照的に保護者たちには、学校や担任の情報が、携帯電話やLINE(ライン)を通してやりとりされ、相当数入っていくようになった(事実以外のうわさも含めて)。
様変わりする家庭訪問
 加えて近年では、年度初めの「家庭訪問」の縮小が顕著になってきたことで、児童生徒の理解がより難しくなっている。学校ごとの判断で、かつてはゴールデンウイーク前後に1週間ほど授業は午前中までとし、午後から受け持ちの数人ずつのクラスの子の自宅を訪問し、養育者と面談しながら「子どもの家庭環境を知り、指導に役立てる」「保護者からの疑問に答え、学校や学級への理解を求める」「通学路の安全点検をすr」ことなどを目的としておこなわれてきた。家で待つ保護者(時には子も)も「湯茶やお菓子」「居間や勉強部屋の片付け」など何かと緊張を強いられ、担任は緊張と気苦労の連続。家庭訪問は法令で定められているものでもないし、指針もない。ただ「長居はしないように」とか「湯茶は勧められたときだけ飲む」といった訪問時の作法は学校ごとに受け継がれる。
 この恒例行事は、いまでも地方によって続けられているところもあるが、大都市部では20年ぐらい前から実施形態が相当に変化してきた。5月3日の毎日新聞記事は「家庭訪問 変わるスタイル『玄関先訪問』も」との見出しで、福岡市の小学校で「玄関先訪問」という方式がとられたことに戸惑う教師と保護者の状況を示していた。変更の要因は「働く保護者への配慮」と「訪問日程調整の難しさ」である。この場合の主たる目的は、保護者と話をすることよりも、緊急時に備えた自宅の場所確認と通学路の把握に置かれる。
 1家庭20分程度はあった時間が数分程度という滞在時間の減少からはじまり、居間どころか家の中に通されず玄関で、さらに扉を閉めた玄関先で、といったように場所も変化し、実際に顔をあわせずに「地域訪問」という名称で、子どもの家の所在確認だけで済ませているところも多い。すでに東京都では6割の学校で家庭訪問を廃止したという。そこには「互いにプライバシーに配慮する」意識の高まりがあるが、他方で2000年前後からの授業時間数確保との関連で、家庭訪問ウィークが設定できにくくなったことも関係している。
 ある県では訪問先で「教師はメモをとるな!」がルールになっていると聞いて驚いた。「上から目線の不快感を与えるらしいから」と聞いたが、それは態度の問題であって、せっかく保護者があれこれと話をしているのに、メモをとらずしてどうやって記憶しておくのかという疑問がわく。
 ある県では担任が何のために家庭訪問をするのかをよく理解しておらず、そこで保護者を逆なでするような行為をしたために、クレーム・トラブルに発展してしまい「ベテラン教師にすら家庭訪問の仕方を教えなければならないのか」と管理職が頭を抱えていた。聞けば5月の家庭訪問を廃止していた都市から、家庭訪問を大事にしている地方に人事異動で転勤したため、「作法」がよく分からなかったことが原因だという。
トラブルの増加との相関は?
 前記のことはコミュニケーションの取り方の問題が大きいように思えるが、何もない平時の段階で、双方が偏見をもたずに「どんな人なのか?」「子どもは家庭で(親からすれば学級や学校で)どんな育ち方をしているのか?」「子どもに願っていることは何か?」といった担任と保護者の接点が減り、最初の出会いが「不幸な場面」となることが多くなった。「個人面談」を7月中下旬の夏休み前後に、保護者に学校に来てもらう方式で実施している学校が増えたが、いわゆる保護者対応トラブルは、それ以前に起きることも多い。つまり問題(トラブル)事案が発生した後で、初めて両者が顔を合わせざるをえないことになり、戦時に近い緊張した場となっていく苦しさが担任と保護者の双方にある。
 実は保護者と教師の間のトラブルの顕在化には、このような現象の変化と相関があるのではないかと私は考えている。「どんな担任?」「どんな保護者?」がある程度双方につかめている場合は、一度は顔を合わせて1対1で話したという前提の上で、課題解決に向け、どういう行動をとるべきか、比較的考えが浮かびやすいが、それがない場合には、相手に対して一方的で攻撃的な感情を持ちやすくなる。相手への配慮が少なくなり、いきなり対立関係になりやすいのではないか-残念だがそれを実証する材料はいまはない。
 ただ、私がトラブル事案の相談に乗ってきた経験の中では、あまりにも教師が保護者の情報を掴んでいないことが多い。子どもの家庭環境、親の行動様式や性格がある程度まで分かっていれば「虎の尾を踏む」ミスをすることはなかったのではないかと思うことも多い。早期の段階で、担任が得ている情報が確実に少なくなっている。
 先の毎日新聞記事は次のように結んでいる。《家庭訪問自体を一時なくした学校もある。福岡市内のある小学校は3年間、年度初めの自宅確認と必要に応じた個別訪問だけで対応してきた。しかし、学校と家庭とのつながりが希薄になりかねない状況に、担任たちから「短時間でも親と会って話をしたい」という意見が出たため、昨年度から家庭訪問を再開した。当時の男性校長は「顔見せの訪問では後の学級経営につながらない。短時間でも親との有意義な情報交換の機会にすることが大事だ」と家庭訪問の必要性を指摘した》

プロフィール

ニャン太郎

Author:ニャン太郎
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
COUNTER
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR