高校で広がるAL(アクティブ ラーニング)

 2016年1月25日の朝刊より、「高校で広がるAL」の引用。
教師の役割 指導から「進行」へ?
 議論などを通して生徒が主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング(AL)」の形式を取り入れた授業が、高校現場にすこしづつ広がっている。授業のボールを生徒に投げかけ、やる気を引き出している。こうした活動を成績に反映させる評価のあり方を改める動きもある。教師の役割も板書中心の指導者から、生徒の活動の「進行役」へ変わるかもしれない。
(古池康司)
生徒主体でやる気アップ
 「洋食が食べたい」「私は和食」「和食は何が食べたいの?」「何でもいいけど」「じゃあ洋食にしようよ」「・・・分かった」
 愛知県立加茂丘高校(豊田市)の3年生の「国語表現」で、生徒6、7人の班が寸劇を交えた発表を始めた。
 ビジネス書「7つの習慣」を解説する漫画を題材に、優れたコミュニケーションについて考える内容。冒頭のやりとりは、片方の意見のみを押し通す悪い例だ。この班は双方が違いを尊重し、より良い結果につなげる「シナジー」が大切とし「和食も食べられるところへ行こう」との結論を導く寸劇も演じた。
 6班に分かれており、1つの班の発表が終わった直後に、ほかの班は発表内容が理解できたかを試す小テストを受ける。このテストの成績が悪いと、発表した側が再発表する”追試”がある。
 同校では、生徒が「どうせ無理」と考え、学習に取り組まないことが多かった。2014年度から文部科学省の「主体的・協働的な学び」を進める研究指定校になり改善を始めた。
 「生徒に自信を持たせたい」と担当の大窪のぞみ教諭(28)。頑張りが数字ですぐ跳ね返る小テストで目標を明確にし、やる気を促した。分かりやすく伝える寸劇を考え出したり、授業でひと言もしゃべらなかった生徒も発表したりと効果が表れた。すべてを発表やグループ学習にはせず、事前に前提知識を教えるのも必要という。「ALという形式ではなく、生徒の頭をどうアクティブにするか」と模索を続ける。
 同県立吉良高(西尾市)では、倫理などの社会科にディベートや発表を取り入れた。身近な問題について先哲の思想を踏まえて意見を述べる。例えば、地元の名鉄西尾・蒲郡線の存廃問題で、商業の社会的責任を説いた江戸時代の思想家、石田梅岩を引き、市民のためになる交通機関の存続を訴える-といった内容だ。
 教員の負担は増えたが、生徒自ら、まだ習っていない思想家を探して議論の材料にするなど、意欲が高まった。井沢和史教諭(40)は「教えたいという教師の欲求を抑えるのは大変だったが、生徒の新たな力を引き出せた」と言う。
 ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、高校生の平日の平均家庭学習時間は1990年から2000年代にかけて、特に偏差値50前後の中堅層で減少した。少子化で大学に入りやすくなったことなどが背景にある。最新の15年調査ではやや回復が見られるものの「受験圧力」だけで高校生を学びに向かわせるのは難しい。
 木村治生副所長は「知識の積み上げだけでなく、どう活用するか、どう学ぶかが重要になっている。教員は学び観、指導観を変えないといけないだろう」と話す。
成績評価も多面的に
 東京大と河合塾グループの日本教育研究イノベーションセンターが昨年実施した初の全国調査では、AL型で取り組んでいる教科があると答えた高校は75.5%に上った。文部科学省も推進する姿勢で、今後も導入が広がりそうだ。
 ただ、ALの成果は知識を問うだけの従来テストでは測りにくく、成績評価の方法も変える必要がある。吉良高では、読解力や課題解決力といった基準を生徒にあらかじめ示す「ルーブリック」と呼ばれる手法で、生徒が提出したリポートなどを評価している。愛知県立惟信高(名古屋市港区)も、同様の手法を英語のスピーチや英作文の評価に取り入れている。
 河合塾は、教科の知識とは別に、ALで育むことが期待される主体性や協働性といったさまざまな力を評価する新たなテスト「学びみらいPASS」を開発し、3月から高校向けに販売。文科省が検討する大学入試改善も、こうした力の「多面的な評価」へ向かっている。

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出版社が謝礼 教科書を汚すまい

 2016年1月23日の朝刊の社説より、引用。
 子どもの学びの土台は教科書である。その教科書選びの手続きが、発行元の思惑に左右されるのは許されない。教科書への信頼性が守られるよう、身勝手な振る舞いを戒めるルール作りが急務だ。
 昨年の秋に明るみに出た三省堂のと全く同様の不祥事が、教科書業界に広くまん延していた。
 小中学校教科書の発行元二十二社のうち、三省堂をふくめて十二社が二〇〇九~一四年度に、検定中の教科書を教員らに見せたり、謝礼として現金や図書カード、土産を渡したりしていた。文部科学省が発表した。
 閲覧させたのは延べ五千百人余り、対価を支払ったのは延べ四千人近くに及んだ。教科書を選ぶ権限を持つ教育長らに中元や歳暮を贈っていた発行元もあった。
 問題の広がりを考えれば、長年のあしき慣習とみるべきだ。教科書業界も、公務員である教員らも、倫理観がまひしていると批判されても仕方あるまい。子どもの前で恥ずかしい限りである。
 あらためて指摘したい。
 まず、文科省の検定ルールをたがえている。圧力や介入を招かないよう、検定中の教科書情報は外部に出さないという約束事だ。
 もっとも、教科書会社はルール違反を認識していたというから悪質極まりない。より良い教科書や指導書を作るため、教員らの意見を聞いたといった弁明が多い。
 しかし、貴重な意見を得られても、検定中の教科書に反映させるのは難しい。現場の声に耳を傾けることは大切だが、検定申請前にすませておくのが筋ではないか。
 さらに、多寡を問わず教員らへの対価の支払いは、教科書採択の公正さに疑念を生じさせる。殊に教科指導力のある教員らは、教科書選びに関わる可能性も高く、汚職の温床にもなりかねない。
 不祥事が発覚したのは、東京書籍をはじめ大手が目立つ。少子化に伴う市場縮小を背景に、旅費や謝礼を出してでも、教員らに売り込みたかった面もあるだろう。
 業界内の公平な競争が妨げられて、大手有利の傾向が強まれば、結果として教科書の多様性が失われる心配もある。不利益を被るのは公教育そのものである。
 発行元と教員らは、教科書の検定から採択までの間は水面下で接触すべきではない。検定前の教科書作りや採択前の教科書紹介は、文科省や地域の教育委員会の公認ルールの下で行うのが望ましい。
 税金が投じられる教科書は公共性が高い。汚してはならない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016012302000141.html

<大阪市立中>給食3割弱が食べ残し 全国平均の4倍

 毎日新聞 1月13日(水)15時0分配信の記事に「 <大阪市立中>給食3割弱が食べ残し 全国平均の4倍」というのが出ていた。
 「残菜調査」って、意味があるのかねぇ~?
 残菜を減らしたかったら、児童生徒に配膳する量を減らせばいい、法定基準のカロリーが足りなかったら、でんぷんや油を入れればいいなんてやっているところもあるんじゃないの?量が少ないのでお腹がすくから食べる、その結果残菜が少ないとか・・・。
 でも、そんなことすると、量が少ないからお代わりをしてカロリー過多になるよ・・・子供の肥満や成人病が多くなっちゃうよ!!!???
 もっと、子どものための施策をしてほしいな・・・。
 大阪市立中学校の生徒が給食の3割弱を残していることが市教委への取材で分かった。全国の小中学校平均の4倍に上る。残飯になった食材費は推計年5億円で、食材費全体の約25%だった。大阪市は仕出し弁当を配る「デリバリー方式」を採用し、食べ残しの多さが問題となっているが、実態が明らかになるのは初めて。
 市教委によると、16校を抽出し、今年度の1学期で月2回、おかず、米飯、牛乳の食べ残しの割合を重さで調べた。残飯になった年間食材費も推計した。
 その結果、おかずは30%が残され、無駄になった食材費は4億4000万円となった。米飯は17%で3700万円、牛乳は9%で3300万円だった。おかずは食中毒防止のため10度以下で保存され、生徒から「冷たい」「味気ない」との声が出ており、多く残ったとみられる。
 全体の残食率は3割弱だった。環境省の調査では、小中学校の全国平均は昨年度6.9%。大阪市と同じく調理を民間委託する名古屋市立中学校でも10.5%だった。大阪市の中学校給食は今年度、全1、2年生と一部の3年生の計約4万1300人が対象で、来年度からは全生徒(約5万6000人)に拡大する。
 給食の食材費は原則として自己負担(1食300円)。今年度は165日前後を提供する予定で、食材費の合計は約20億4400万円。一方、業者の調理・配送費用は市が支出しており、今年度は約18億円を計上している。
 市は校舎に調理室を整備する「自校調理方式」か、近隣の小学校でつくった給食を配膳する「親子方式」への移行を計画している。吉村洋文市長は2019年度までに改める意向を示しており、この問題は14日の市議会本会議でも取り上げられる予定だ。【平川哲也】
【ことば】大阪市の中学校給食
 欠食生徒が多いなどの理由から、橋下徹市長(当時)が2012年9月に「デリバリー方式」で導入した。当初は家庭弁当との選択制で、14年度から1年生を対象に全員給食に踏み切った。校内に調理室を設けず、業者が調理した仕出し弁当を学校の配膳室に届ける。米飯は65度以上で温蔵、おかずは10度以下で冷蔵する。昨年からは4校で「自校調理方式」や、近隣小学校で調理して運ぶ「親子方式」を実施している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000050-mai-soci

成人の日に考える 意志ある風になれる人

 2016年1月11日の朝刊の社説より、引用。
 ふと耳にしたその歌が、頭の中で鳴り響いてやみません。大人とは誰なのか。成人とは、はたまた主権者とは。難しい宿題のヒントが隠れているようで。
 さとう宗幸さんの新曲「だれかの風であれ」は、幼なじみの“はるちゃん”を歌っています。
 はるちゃんこと、千葉晴信さん(66)。東アフリカのエリトリアでは、独立運動の精神的支柱とされるヒーローです。
 今から三十八年前、エチオピアからの独立紛争真っただ中、はるちゃんは、日本人ジャーナリストの助手として、エリトリア人民解放戦線(EPLF)の解放区に分け入った。
◆はるちゃんは風だった
 はるちゃんは空手家です。いつ、どこから銃弾が飛んでくるとも知れない異郷の深い森の中、毎日泰然とけいこに励むはるちゃんに“サムライ”を見たのでしょうか。いつの間にか、若い兵士がその周りに集まってきて、教えを請うようになっていた。
 それから十数年、独立を勝ち取ったその国に、はるちゃんの姿はありませんでした。
 新国家の要職に就いたかつての“弟子”たちは大使館まで動かして、ジンバブエで道場主になっていた、はるちゃんを捜しだし、四年前の独立二十年式典に国賓として招待したのです。
 はるちゃんはこの春帰国して、今、長野県にいます。
 ジンバブエで受けた椎間板ヘルニアの手術が失敗し、下半身が完全にまひしてしまい、リハビリを続けています。
 昨年暮れ、さとうさんのもとに届いたメールには「自分の力で十歩歩いた」とありました。医師は奇跡と呼んでいます。
 はるちゃんのこの強い意志の力こそ、国をも動かす“風”だったのか。
 そんな、はるちゃんの足跡を、さとうさんは歌にしました。
 ♪どうか考えてほしいのです/わたしは何をなすべきかと…というサビの部分。
 ♪意志ある風になれ/すがたなき風であれ/だれかの風であれ…というリフレイン(繰り返し)。
 耳に残って離れません。
 愛知県大府市の至学館大学では「人間・社会と法」という四年生を対象にした一般教養の後期講座の中で、谷岡郁子学長による「主権者教育」を展開しています。
 多くの学生が就職を決めたあとにもかかわらず、大教室が満員になるから不思議です。
◆私、市長になりたいの
 谷岡さんは二〇〇七年から一期、参議院議員を経験した。
 「主権者を育てなければ、この国は変われない」
 六年間の議員経験が教育者である谷岡さんに課した宿題です。
 〇八年の米大統領予備選。谷岡さんは、テキサス州ヒューストンのバラク・オバマ候補の陣営でボランティアを体験した。
 そこに少女が一人いて、自分のケータイで「明日必ず投票してね」と有権者に呼びかけていた。
 谷岡さんは「あなた、いくつ?」と聞いてみた。「十一歳」。米国でももちろん、選挙権はありません。
 「誰と来たの?」「お父さん」。「お父さんのお手伝い?」「私の意志よ」。
 そしてさらに「なんで?」と問うと、彼女は少しムッとしながらも、理由を話してくれました。
 「私、将来、市長になりたいの。だからロースクールを出ておきたい。でもうちは貧乏なので奨学金がたくさんいるの。私の役に立ちそうなのは、候補者の中ではオバマなの-」
 選挙権はなくても主権者です。日本とはあまりに違う主権者像に、谷岡さんは打ちのめされた。
 「国際人権規約では、批准国に高等教育の漸次無償化を求めています。なのに日本は…」
 講義でこんな話をすると、学生から「もう、一票を絶対無駄にできない」と、率直な反応が返ってきます。知ることが、当事者意識の源です。
◆成人とは、大人とは
 選挙年齢が十八歳以上に引き下げられるのをきっかけに、谷岡さんは、主権者教育の拡充を図っています。
 付属幼稚園の保護者などにも講座を公開し、実際の選挙に合わせて、学生主催の模擬投票や、候補者による学内討論会を開きます。
 十八歳でもはたちでも、たとえ十一歳だとしても、主権者とは政治の主張に自分自身の未来を投影できる人、つまり当事者意識を持てる人。
 成人とは、大人とは、“私は何をなすべきか”、考え、知って、それをかたちにするために、一票を行使できる人、“意志ある風”になれる人-。
 はるちゃんの歌が、ぴたりと重なります。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016011102000132.html

教科書の選定 水面下で何をしている

 2016年1月9日の朝刊の社説欄より、引用。
 ひょっとすると、ぐずぐずに腐ってはいないか。公立小中学校を舞台とした教科書の売り込み合戦である。水面下で金品が飛び交うありようは、汚職を連想させてならない。うみは出し切らねば。
 三省堂と同様の不祥事が、東京書籍や数研出版でも発覚した。教科書業界全体に広がりそうだ。
 文部科学省に検定申請中の中学校教科書を教員らに見せたり、意見を聞いた謝礼として現金や図書カードを提供したりしていた。
 東京書籍は招いた教員らの宿泊費や交通費も負担していた。数研出版は教育委員会の教育長をふくめて中元や歳暮も贈っていた。
 恒常的な利益供与を疑われても仕方あるまい。教科書づくりの知恵を借りるという方便のもと、採択での有利な取り計らいを働きかけていなかったか。
 公立小中学校の教科書を選ぶ権限は、地元教委にある。教科指導の実績のある現場の教員は、選定資料をつくる調査員を託される可能性が高い。これら一連の職務に携わる人たちは公務員である。
 三省堂は検定中の教科書を校長ら五十三人に見せ、それぞれに五万円の謝礼を支払っていた。このうち二十一人はその後、地元での教科書選びにかかわっていた。
 構図は贈収賄そのものといえる。会社側も教員側も、倫理観の欠如ではすまされない面がある。
 手続きの公正を守るため、文科省は検定中の教科書情報を外部に知らせることを禁じている。圧力や干渉を防ぐねらいである。
 検定過程の透明性をどう高めるかという課題も残るが、不祥事の根っこは採択に向かって伸びている。これをどう断ち切るか。
 少子化に伴い市場は縮小している。四年に一度の選定を勝ち取れるかは、教科書会社の命運を左右するといわれる。業界のたがが緩みがちになる大きな要因だろう。
 教育現場の実情に適した教科書をつくり、中身を競い合う。そのためにも、会社側と教員側が意見を交わす場の確保は大切である。
 しかし、もはや問われているのは、水面下の浄化の仕組みをどうつくるかではないか。不正行為に対しては、採択機会の剥奪といった厳しさも欠かせまい。
 教委にも注文がある。教科書の採択理由を公表している市町村教委は五割、都道府県教委は三割にすぎない。情報公開を積極的に進めるべきである。風通しが悪いと、腐敗の温床になりかねないことを自覚してほしい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016010902000148.html

「学力」の経済学

 2016年1月4日の朝刊「費用対効果 考えた教育を」の引用。
「『学力』の経済学」著者 中室牧子さんに聞く
 とかく経験や感情論で語られがちな教育を、エビデンス(科学的根拠)を重視する経済学の切り口で分かりやすく解説し、話題となった「『学力』の経済学」。著者で慶応大総合政策学部准教授の中室牧子さん(40)に、矢継ぎ早に進む国の教育改革の是非や、理想の教育環境を聞いた。
(聞き手・築山栄太郎)
手段より目標が大切
-「教育経済学」とは聞き慣れない分野ですが、なぜ研究しようと思ったのですか。
 世界銀行で東欧や中央アジアの教育分析を担当して興味を持ち、以前いた米国のコロンビア大で再び学びました。日本に帰ってきて、世界の流れから取り残されていることに驚きました。
 教育実践や施策がどのような効果を持つのかという視点が、全く予算に反映されていません。政府の有識者会議でも自分の若いころの経験を話す人が後を絶たず、これが子どもたちの教育に反映されたら大変だ、と危機感を持ちました。
-日本の教育政策をどうみていますか。
 ICT(情報通信技術)教育の普及やグローバル人材の育成などの手段ばかり。子どもの何を良くしたいのかという議論が置き去りです。海外ではまず目標が立てられ、それを達成するためにどういう手段を取れば費用対効果が高くなるかを示すのです。
 もちろん子どもの社会経済的な背景や学力、興味や関心はさまざまで、地域に応じて使える資源も違います。だから、どういう子どもたちの何を改善したいのか地域や保護者の間で明確にし、複数の手段から最も費用対効果の高いものを選ぶのです。
 ところが日本では目標が明確でないまま、「2020年までに一人一台タブレット」などのように手段だけが議論され、しかも日本全体で平等に行われる。この結果、誰にどのような効果があったのか分からず、全ての子どもを対象にした「壮大な社会実験」をしているというわけです。
-日本の先生は忙しすぎるといわれ、増員を要求する文部科学省と削減を迫る財務省の構図が毎年のように報道されます。
 人が足りないのは教育だけではありません。警察官よりも、弁護士よりも、教員を増やしたほうが良い理由を証明できなければ、財務省を説得するのは難しい。十分なリターンもないのにどんどんお金をかけると、子どもたちの代に借金のツケだけを負わせることになってしまいます。
-先生が増えて少人数教育になれば、一人一人の子どもを丁寧に見えてもらえる気がするのですが。
 少人数学級は、米国の実験では費用対効果が低いことが分かっています。でも貧困層の子どもには効果が高い。全ての子に一様に良い教育なんてありません。
 海外では、習熟度別の授業がうまくいっている国や地域もあります。しっかり検証し、地域ごとにお金のかけ方を考えるべきです。
-最近では、貧困の連鎖による学力格差も問題になっています。
 子どもの学力には就学前に既に格差があります。親の所得や学歴は子どもの学習意欲に影響します。そういう知見を無視して「自己責任」「機会の均等」と言ってしまうと、格差は拡大していく一方です。
 平等は「頑張れば報われる」ことが前提にあるわけですが、今の社会は本当にそういう前提条件が成り立っているのでしょうか。6人に1人が相対的貧困に陥っているといわれる格差社会の中で、子どもの貧困は社会全体で解決していかなければならない問題です。
-対策を打っている自治体は成果を上げていますか。
 子どもの貧困は市場メカニズムによる解決が難しい「市場の失敗」です。ここにこそ、政府や自治体が果たす役割がある。しかし、自治体間競争が激しくなる中で、自治体は子どもの貧困よりも、ICT、グローバル人材などを懸命にアピールする傾向がみられます。こうした教育はどちらかといえばもともと学力が高い子どもを念頭に置いた施策で、政府が本来力を入れるべき貧困層の子どもたちを対象にしているとは思えません。
 貧困の子どもへの投資を行うと、将来の税収の増加や貧困の世代間連鎖の解消などを通じて、社会的収益率が高くなることが数々の研究で示されています。もっと格差を解消するような方向で、政策が行われるべきではないでしょうか。
-日本の教育界に何を望みますか。
 個人の経験談ではなく、エビデンスに基づいて、効果を明確にしながら教育政策を実施していくために、一番必要なのはデータです。しかし、日本政府は教育データの情報開示には消極的。現在では全国学力・学習状況調査(学力テスト)さえ、研究者が分析できません。個人情報は適切に保護されなければなりませんが、拡大解釈してデータを分析しないのは、教育のためにも、社会科学発展のためにも決して良くありません。
 現場の先生や保護者の言うことに一定の真実があると思います。それをデータに基づいて検証していくのが、私の役割だと思っています。
なかむろ・まきこ
 1975年、奈良県生まれ・慶応大を卒業後、米コロンビア大で博士号を取得。日本銀行、世界銀行を経て2013年から現職。専門は教育経済学。昨年6月に出版した「『学力』の経済学」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、20万部を超えるベストセラーに。10月からは政府の教育再生実行会議の委員も務めている。


 「「学力」の経済学」中室 牧子(ディスカヴァー・トゥエンティワン)1,728円
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