FC2ブログ

ぼくと魔法の言葉たち

 2017年3月28日の朝刊より「自閉症への理解高めて 少年の自立描いた米映画、来月公開」の引用。
映画「ぼくと魔法の言葉たち」の主人公・オーウェン
 自閉症の子が、ディズニーアニメを足掛かりに、コミュニケーションの力を伸ばし、自立へ歩んでいく姿を描いた米国のドキュメンタリー映画「ぼくと魔法の言葉たち」(ロジャー・ロス・ウィリアムズ監督)が各国で話題を呼んでいる。日本でも四月から東京、名古屋などで公開される予定で、支援者たちは「自閉症への理解と共感を高める作品」と期待している。 (編集委員・安藤明夫)
ディズニーアニメ足掛かり 成長の記録
 映画の主人公・オーウェンは、二歳のときに突然、言葉を発しなくなった。医師から自閉症の診断を受け「一生言葉を話せないかもしれない」と告げられた。しかし、オーウェンが六歳のとき、彼の意味不明のつぶやきが、大好きなディズニーアニメ「リトル・マーメイド」のせりふであることに父親が気付いた。
 父親がアニメに出てくるオウムの声色で語りかけると、オーウェンが返事をし、数年ぶりの会話が実現した。オーウェンはディズニーアニメの全場面を記憶していた。家族との会話が増えていくうち、自分の気持ちを伝えたり、相手の思いを察することも少しずつできるようになった。すべてアニメのキャラクターのせりふや表情から学んだことだ。個別支援教育を受けて入った大学では、ディズニークラブを主宰。卒業後は、障害者用アパートに一人で暮らし、働き、恋する喜び、別れのつらさも経験した。
 有名なジャーナリストでもある父親の著書「ディズニー・セラピー 自閉症のわが子が教えてくれたこと」に感動したウィリアムズ監督が二年間かけて撮影し、ディズニーの許可を得て制作した。今年の米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門賞の候補にもなり、話題を呼んだ。
 オーウェンのように、突然言葉を発しなくなる症状は「自閉症の幼児の一部にみられる」と、辻井正次・中京大教授(発達臨床心理学)。映画の見どころについて「成長するにつれて新しい課題が出てくるが、社会の支援の仕組みがあることで、両親が安心して育てることができるし、オーウェンの前向きさが周りを元気にしている。アニメの逸話だけでなく、自立に向けた記録として見てほしい」と語る。
 映画は四月八日から全国各地で順次公開される。劇場や日程は、「ぼくと魔法の言葉たち」のホームページ(HP)で紹介されている。世界自閉症啓発デーの二日午前十時からは、名古屋市中区のセンチュリーシネマで特別先行上映がある。自閉症の子を育てる作家堀田あけみさんらのトークショーも。参加費千五百円。申し込みは市民団体「アスペ・エルデの会」のHP内のセミナー申し込みサイトから。
◆2日に啓発イベント
 同日は、東京タワーや名古屋・テレビ塔などが、自閉症の国際的なシンボルカラーの青にライトアップされるほか、自閉症の社会啓発を図るコンサートなどのイベントが各地である。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201703/CK2017032802000163.html
http://www.transformer.co.jp/m/bokutomahou/
スポンサーサイト

図形識別に「お国柄」

 2017年3月26日の朝刊に、「図形識別に「お国柄」」という記事が出ていた。
 空間認知能力が、民族?言葉?により、違うんでしょうね!
 「英語ができない」という人のは、「文字が認知しずらい」すなわち「図形が認知できない」というのが、原因かも!!!???
日本とカナダ 視覚に違い 京大など研究

 京都大の上田祥行(よしゆき)特定助教(認知科学)らとカナダなどの国際研究グループは、図形の相違点を瞬間的に見分ける視覚の働きが、日本人とカナダ人で異なることを突き止めた。視覚の基礎的な働きはこれまで「文化圏が違っても変わらない」と考えられてきたが、実際は文化の差が影響している可能性がある。25日付の米科学誌に発表した。
 上田助教らは、短い線が並ぶ中から一本の長い線を見つける実験(図①)と、長い線が並ぶ中から一本の短い線を見つける実験(②)などを、同数の日本人、カナダ人を対象に実施した。
 カナダ人では、短い線の中から一本の長い線を見つける方が、その逆より時間が短かったのに対し、日本人ではどちらの実験でも、見つけるまでの時間はあまり変わらなかった。長短の識別については日本人の方が優れている可能性が示されることになる。
 一方、垂直の線が並ぶ中から一本の斜線を見つける実験(③)と、斜線が並ぶ中から一本の垂直の線を見つける実験(④)も実施。③では、日本人、カナダ人ともにほぼ差は無かったが、④ではカナダ人の方が日本人より早かった。
 研究グループは、「土」と「士」のように、漢字には部分的な長短で字の意味が変わるものがあると指摘。一方、アルファベットは「u」と「v」、「H」と「N」のように角度で識別する字があることから「字体体系」をはじめとする文化の違いが脳に蓄積され、知覚に差をもたらしている可能性がある」(上田助教)としている。

<フリースクールの今>(下) 子どもの自立、最優先に

 2017年3月12日の記事より、「<フリースクールの今>(下) 子どもの自立、最優先に」の引用!

 学校外の学びの場の一つとして、不登校の子どもたちが通うフリースクール。今年二月、文部科学省の有識者会議が支援策をまとめた。重視されたのは、これまでほとんどなかったフリースクールと教育委員会や学校の連携。学校へ行く、行かないを迫るのではなく、子どもたちの「社会的自立」の支援に目を向けることを促す。
 「無理して学校に行かなくても…と思う半面、本音では行ってほしいと思ってしまう」「学校を休むと勉強が遅れてしまわないか」。昨秋、名古屋市内で開かれたシンポジウムで、不登校の子どもを持つ親たちが思いを吐露した。学校に居場所がない子どもはどうしたらいいのか、学校にはやはり行った方がいいのではないかと質問が相次いだ。
 これまで国の不登校対策は学校に戻ることを大前提としていた。しかし、不登校の小中学生は約十二万人と高止まりし、従来と同じ前提では、状況は変わらないことが明らかになった。一方で、「ここなら通える」と子どもたちがたどり着いたのがフリースクール。学校に代わる子どもの居場所を担っており、何らかの支援が必要ではないかという声が上がっていた。
 政府の「教育再生実行会議」は二〇一四年、フリースクールなどの位置付けを検討するよう提言。これを受け、文科省では有識者らが検討会議を開き、支援策を議論。今年二月、報告書をまとめた。
 その中で、フリースクールと、教育委員会や学校との連携を必要としている背景には、教委や学校がフリースクールの情報を十分に把握していないことがある。不登校の子どもは学校外の学ぶ場所を自力で見つけているのが現状だ。報告書では、教委の職員がフリースクールを何度も訪問し、スタッフと言葉を交わして子どもたちの活動の様子も見るよう求めた。
 「児童生徒への多様な知見を持つのがフリースクール。連携を図ることが子どもによいのではと考えた」。十年前から学校、フリースクールとともに連携協議会をつくる神奈川県で、子ども教育支援課の後藤幹夫指導主事が話す。きっかけは県内小中学生の不登校数が九千人を超え、全国最多となったことだった。
 連携協議会は将来に悩む不登校の子どもたちの思いをくもうと、年に七回、進路情報説明会を実施。不登校相談会も開く。後藤指導主事は「学校の先生も足を運んでくれ、フリースクールを理解しようという意識が浸透しつつある」と手応えを感じている。
 「最初からうまく連携できたわけではない」と当初を知るフリースクール「楠の木学園」の武藤啓司理事長(82)が振り返る。学校復帰を前提とする教委側の意識を変えるのは簡単ではなかった。フリースクール側も、施設によって「学校に戻ることが大事」「学校に行く必要はない」という考えがせめぎ合っていた。話し合いを重ね、大切なのは不登校の子どもが将来、社会的に自立することだという思いを共有した。
 「この理念を持ち、子どものことを第一に考えられる施設と連携している」と後藤指導主事。フリースクールの運営方針に立ち入ることもない。
 「一概に学校の先生が子どもたちにフリースクールを薦めればいいというわけではない」と武藤理事長。「子どもが見放されたと思うこともある。学校とフリースクールが連携し、その子にとって、どんな居場所があるのか考えるべきではないか」と話す。
◆連携する自治体は半数のみ
 学校とフリースクールが連携している自治体はまだ少ない。昨年の文科省の調査では、フリースクールがある二百八十八自治体のうち半数だ。「効果が明確でない」「児童・生徒などに関する個人情報の共有が難しい」とする教委の回答が目立った。また、フリースクールは全国に四百~五百カ所と少ない上、都市部に偏っており、通えない子どももいる。
 「学校へ行く意味・休む意味」の著者で学習院大の滝川一広教授は「学校かフリースクールかと二者択一で語られることがあるが、それだけではないだろう。将来につながることが学べる場を、社会にもっとつくっていく必要があるのではないか」と指摘する。
 (長田真由美)

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/kyouiku/list/CK2017031202000006.html

道徳の教科書 心を型にはめぬよう

 2017年3月25日の朝刊の社説欄より、「道徳の教科書 心を型にはめぬよう」の引用。
 教科書は考えるための材料にすぎない。そのことを肝に銘じたい。来春から小学校で使われる道徳教科書の検定結果が出た。子ども一人ひとりを丸ごと受け止める先生の度量の広さが大切になる。
 一九五八年に教科外の活動として導入された道徳の時間は、二〇一八年度から小学校で、一九年度から中学校で道徳科に格上げされる。国の検定に合格した教科書が使われ、子どもたちは評価されることになる。
 重大な問題を押さえておきたい。
 国語や社会、算数、理科などのふつうの教科は、人文科学や社会科学、自然科学という体系的な学問を基にしている。対して、道徳は、ものの考え方や感じ方、言動や態度、規範意識を一定の価値や理想へと導く営みといえる。
 教科書検定では、国が学ぶべきものとして定めた学習指導要領に則しているかを主にチェックする。ふつうの教科では諸科学がものさしとなるが、道徳では国が指定した徳目がよりどころである。
 戦前、皇国の臣民が守るべき徳目として、明治天皇の教育勅語をトップダウンで強いた構図をほうふつとさせる。
 特定の価値観を押しつけるのではなく、子どもたちが自らに引きつけて考え、議論する授業を取り入れると国はいう。けれども、教科書には、国にとって望ましい人間像や生き方の型枠が示されていることを忘れてはなるまい。
 「節度、節制」「親切、思いやり」「規則の尊重」など、学ぶべき徳目は二十余りに上る。注意したいのは、社会が抱えている諸問題の根源に、人々のこうした道徳性の欠如があるととらえる風潮が強まっていることである。
 道徳の教科化の動きは、中学生のいじめ自殺が大きなきっかけとなった。なぜいじめるのか。どうしたら防げるのか。子どもたちは自らの心の持ちようの問題として懸命に考えるに違いない。
 でも、だからこそ身の回りでいじめが発覚したら、自らの至らなさを責めさいなむのではないか。
 いじめの背景にあるかもしれない学校の能力主義や家庭の貧困といった社会問題はそぎ落とされたまま、子どもたちの努力と責任ばかりが問われかねない。
 国や社会の矛盾にも視野を広げて、教科書を批判的に扱うことも重要である。子どもたちの成長ぶりを徳目のみに照らして評価するのは、価値観の押しつけに等しい。多様な価値を認めるなら、評価しないのも一案ではないか。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017032502000141.html

<フリースクールの今>(上) 学びの形にとらわれない

 2017年3月5日の朝刊より、「<フリースクールの今>(上) 学びの形にとらわれない」の引用。
 不登校の小中学生数はこの二十年、十二万人超と高止まりしている。昨年十二月、学校以外の学びを初めて認めた教育機会確保法が成立し、不登校の子どもたちを社会で支援することが盛り込まれた。居場所の一つとして注目されるのが、フリースクールだ。名古屋市内にあるフリースクールを訪ねた。

◆不登校の子らの居場所に
 午前九時半。「おはようございまーす」という声とともに、名古屋市昭和区のフリースクール「まなび場」に男子中学生が入ってきた。一見すると普通の一軒家。室内は和室二間が続き、自宅にいるような雰囲気だ。小五から二十代まで二十五人が通う。
 主に不登校の子どもが通うフリースクール。全国に四百~五百カ所あり、約四千二百人が通う。学校教育法上の「学校」ではないが、学校長の判断で、参加日が出席扱いになる。
 活動内容は施設によって異なる。まなび場では、午前中が学習の時間。昼食を挟み、午後は自由。何をして過ごすかは自分で決める。読書をする子もいれば、雑談する姿も。屋外でのバーベキューや登山といった行事もある。行き先や内容は、話し合って決める。
 主宰する幸(ゆき)伊知郎さん(56)は元教師。十七年間、中学や高校で数学を教えた後、二〇〇二年にまなび場を開設した。「子ども同士の関係を大事にしたい」と言い、一歩引いて見守る。この日は、関心のあるテーマをお互いに持ち寄って考える「ゼミ」の時間があった。
 テーマは電池の仕組み。「面白そう」と六人が机の周りに集まった。今日の司会は高校三年生のダイスケ君(18)。「化学を勉強してて面白かったから」とこのテーマを選んだ。白板に図示しながら、化学反応によって電子が動くことで電気が発生することを説明した。
 「文系の自分には難しいかも」と頭をかきながらも、「どうして化学反応が起きるの?」と積極的に質問するカイ君(18)。「燃料電池はどうなってるのかな」と問うショウ君(19)の前では、サヤカさん(22)がスマートフォンで「燃料電池自動車」を検索していた。「水素と酸素を化学反応させる」と読み上げ、「水素って危なくないの?」と問いかける。二酸化炭素を出さない地球に優しい車と聞いて、「地球温暖化の原因は、本当に二酸化炭素なのか」とショウ君。次々と疑問がわき、盛り上がった。
 「最初に子どもが五分リポートして、次の二十分で話し合い。できるだけ子ども同士で教え合うようにしている」と幸さん。話し合いを通して、互いの考えを認め合う。対話ができる関係を心掛ける。
 教育機会確保法の影響や行方について、幸さんは静観する。ただ、「勉強が最優先」な今の学校の在り方には疑問を感じる。「学校に行く目的は勉強だけではないし、学びの形もさまざま。まなび場は人間関係に難しさやつらさを抱えていても、元気な子でも誰でも来ることができ、多様な子がいる場所。いろんな人に出会えることにも教育として意味はあるのではないか」
 (カタカナ名はすべて仮名)
◆「社会で支援」教育機会確保法に意義
 学校以外の場で行う「多様で適切な学習活動」の重要性を認めた教育機会確保法。京都教育大の本間友巳教授(教育心理学)は「不登校を個人の話にとどめず、社会全体で取り組むとした意義は大きい」と話す。
 学校に行かない子どもの居場所として、教育支援センターや、教育課程が弾力的な「不登校特例校」、フリースクールをはじめとした民間施設など多様な場があり、子どもの状況に応じた情報提供や支援をすることが明記された。
 経済的支援も盛り込まれた。フリースクールの運営は、主に保護者による会費でまかなわれている。月額三万円前後かかり、負担は大きく通うことを断念するケースもあるとみられる。付則では、必要な支援の在り方を速やかに検討し、必要な措置を講ずるとした。
 ただ、学校外の学びは義務教育として認められなかった。これを残念がる声や、法律によりフリースクールの多様性が失われないかと不安がる声が上がった。本間教授は「法律は一つの到達点。今後どう具体的に活用していくかが鍵となる」と話す。
 (長田真由美)

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/kyouiku/list/CK2017030502000003.html

画像が複数アップできない・・・!

 このブログの1つの記事に、画像を複数アップしようとしてもできない・・・なぜだ!!!???どうすれば、複数jの画像がアップできるんだ???

親が子どもにうっかり授ける「裏の教育」「人格否定しなければ叱っていい」は大間違い

 「東京経済オンライン」より、「子育ての“常識”のせいで、愛情が空回り」の引用。
-親野先生は今の子育てにどんな問題があると思われますか?
 子育てや教育ってね、親や先生のなかに「太古の昔からの思い込み」みたいなものがいろいろあるんですよ。みんなそういうものに縛られているせいで、せっかく愛情があるのに空回りしていることが多いです。
 私が小学校の先生になったとき、子どもたちのいいところを伸ばそうと、いろいろ働きかけていたんですけれど、そうするとぐんぐん伸びていく子と、あんまり伸びない子がいるんですよ。
 なんでかな、と思っていて、あるとき気が付いた。親のなかには、子どもをものすごく叱ってるお父さん、お母さんがいるんだよね。
 たとえば、私が「○○くん、これがんばったね。よくできてるじゃん、自信もって!」といくらほめて帰しても、家で「あんた、これ何やってんの、ダメじゃない、○×▲※□……」と叱られ続けている子がけっこういる(笑)。ここだな、と思いました。
 とにかく親は、「また何々して」「なんで何々してないの??しなきゃダメじゃないの」と叱ることが非常に多いんです。
 親は「人格否定の言葉じゃなければ、いくら叱ってもいい」と思っているけれど、これは勘違いです。よく雑誌や本なんかにも「人格否定や存在否定はいけませんよ。“物事について”叱りましょう」と書いてあるけど、そんなことはない。
 もちろん、人格否定っていうのは最悪ですよ。「また片付けしてない。本当にお前“ずるい”ね」とか、「また妹を泣かして。あんたお姉ちゃんのくせに“意地悪”だね」とか、相手の能力・人格をまるごと否定する言い方をするのは、絶対によくありません。
 存在否定は、それ以上に悪いです。「おまえなんかいないほうがいい、目障りだから消えろ」とか、「おまえなんか、本当は産みたくなかった」とかね。これは一番最悪で、言われるとトラウマになってしまいます。
 大体の人は、そういう言葉は言わないんですけれど、そういう人でも、「物事についてなら、いくらでも叱っていい」と思っているんです。
 でも子どもの立場になってみると、結論としては同じなんですよ。何度も言われ続けると、「ああ、僕ってダメな子だな~」になるんだよね。
 そうすると、自己肯定感がぼろぼろになっちゃうんだよね。勉強でも運動でも生活習慣でも、遊びでもなんでも、「わたしはできそうだ」と思えなくなっちゃう。やる気が出てこないから、チャレンジしなくなるよね。やったとしても、ちょっと壁があると乗り越えられない。「やっぱりダメだ、どうせおれなんかダメだ」って、すぐあきらめちゃう。
 逆に自己肯定感がある子は、何事においても「できそうだ!」と思えるから、チャレンジをする。ちょっと壁があっても、「大丈夫、わたしはできるはず」っていう頑張りが利いて、乗り越えられるから、どんどん伸びていける。自己肯定感があるかないかって、非常に大きい差なんだよね。
 「叱る」の弊害は、たくさんあるんですよ。たとえば、子どもは親に対する愛情不足感や不信感から、不安でたまらなくなる。それで、愛情を確認したいという衝動にかられて、試すような行動に出てしまう。
 だから、親にわざと心配をかけるような「やっちゃいけないこと」ばかりしてしまいます。たとえば高いところから飛び降りるとか、お店のものを盗っちゃうとか、火遊び、落書き、ものを壊すとか。あるいは、弟や妹、クラスの弱い子をいじめるとか。
 そういった危険なこと、反社会的なことをやると、親が心配するから。その姿を見て「ほら、こんなに心配してくれてるから、自分は愛されてるんだ」と確認して、安心したいんだよね。
子どもが身につけるのは、意図しない「裏の教育」
 あとは、叱ることによって子どもが「裏の教育」を身に付けてしまうという弊害もあります。たとえば子どもがいくら言っても片づけをしないときに、「何度言ったらできるの!」って、いくら叱っても治らないんだよね。その代わりに子どもが身に付けるのは、「なにかできていないことがあるときは、それを理由に、相手をとがめていいんだ」ということ。子どもって、言うことは聞かないけれど、やることはまねるから(笑)。
 そうすると、何かをできていない友達を見つけると、とがめたり責めたりするようになってしまう。弟や妹に対しても、同様です。親が意図した「表の教育」は身に付かなくて、意図しない「裏の教育」だけが身に付いてしまう。「裏の教育」っておそろしいんですよ。「勉強しないとおやつ抜きだよ」とか「片づけしないと、テレビ見られないよ」って言う「罰則型」の親御さんも多いですけれど、あれも同じです。それで勉強とか片付けとかをするようにはならないんですね。代わりに何が身に付くかというと、「罰則型」の言葉です。お友達に対して「何々しないと、遊んであげないよ」とか言うようになる。そうやって必ず、意図しないものが伝わるんだよね。
忘れ物する子は叱っても直らない
 それからよく「子どもが忘れ物をしても、ほうっておけばいいんだ。困ったほうが、自分で懲りて直るから」っていう親御さんがいるけれど、これも間違いです。わたしの経験だと、こういう「自業自得方式」で直った子はひとりもいません。忘れ物が直るって、簡単な話じゃないんですよ。まず自己管理力が必要だし、整理整頓能力、段取り力、意思力とか、いろんな能力が総合的に必要なことだから。それに、モチベーションも重要です。「忘れ物しちゃいけない!」って強烈に思うこと。子どもは、そういうのがないんだよね。ほうっておいて直るとしたら、もっとずっと大きくなってからですよ。忘れ物をして「ああ、おれは本当にこのままじゃ困るな。今のうちに直さなきゃ、おれの将来真っ暗だ」と思うような経験をして初めて、強いモチベーションが生まれてくるので。その代わりに子どもは「自業自得方式」を身につけます。たとえばお友達が忘れ物をしたときに、そういう子は助けてあげない。だって、それで困ったほうが本人のためになる、と思っているから。無意識的に、そういう行動になってしまうんです。
-なるほど。では忘れ物が多い子の親はどうすればいいんでしょう?
 手伝ってあげて、いいんですよ。「手伝ったら、自分でできるようにならないからダメ」なんていう人もいるけれど、そんなことはない。そういうのも、親や先生の太古からの思い込みのひとつですよね。最初は親がいっしょに準備をして、やり方を教える。次に「自分で準備してごらん」と言って横で見ていて、最終チェックをしてあげる。次の段階は、決まった時間が来たら自分で準備をさせる、といった具合です。ステップバイステップですよね。三歩進んだら二歩下がるかもしれないし、それでも直らない子はいるんだけど(笑)、「ほうっておけば直る」ってことだけは絶対にありません。
-手伝ってあげていいと聞いて、なんだかほっとしました。叱る必要はないわけですね。
 そうです。「何々しなきゃダメじゃん!?なんでしないの?」なんてとがめる必要は全然ない。そうじゃなくて、もっと工夫してください、というのが私が一番言いたいことです。
*親野 智可等(おやの ちから)/教育評論家。長年の教師経験をもとにメールマガジン「親力で決まる子供の将来」を発行。読者数は4万5千人を越え、教育系メルマガとして最大規模を誇る。『「叱らない」しつけ』(PHP研究所)など、ベストセラー多数。人気マンガ「ドラゴン桜」の指南役としても知られる。全国各地の小・中学校、幼稚園・保育園のPTA、市町村の教育講演会でも大人気。 ブログ「親力講座」もぞくぞく更新中(撮影:梅谷秀司)

http://toyokeizai.net/articles/-/150043

全国学力テスト10年 ①不可解な問題

 2017年2月5日の朝刊より、「全国学力テスト10年 ①不可解な問題」の引用!
自分の将来像に模範解答
 【あなたは、2020年の日本は、どのような社会になっていると予想しますか。また、その社会にどのように関わっていきたいと思いますか】
 こんな質問をされたら、どう答えますか?自由作文や大学入試の小論文ならともかく、これは15年に行われた「全国学力テスト」(学テ)の中学3年生に対する中学校国語Bの設問。「東京五輪・パラリンピック組織委員会のホームページ」「日本の人口推移のグラフ」「生活を支援するロボットの開発」について資料が示され「80字以上、120字以内」の解答が求められた。
十人十色を認めず
 答えは十人十色になるのが一般的な感覚だろう。だが、これには”正解”がある。文部科学省が示す正答例はこうだ。
 「オリンピック・パラリンピックの影響で様々なスポーツに注目が集まるだろう。今後増えていく高齢者もスポーツに関心をもつと思われる。そのような社会に、私は、スポーツ関連のボランティアをすることで積極的に関わっていきたい。」
 「おそらくオリンピックの開催に向けて技術開発が進み、様々なロボットが開発されています。私は、そのような社会に関わっていくために、大学で科学技術に関する研究をしたいと考えています」
 他に「若者の代表として努力し、オリンピックでメダルを取る」「今よりも安全で性能が高いロボットを開発する仕事に就きたい」など、計6例の模範解答がある。
 「正答例は、要するにテストを作った大人が思い描く『良い子』の事例じゃないですか」
 滋賀県内の中学校で教える50代の男性教諭が納得できないのは、採点方法が「○」が「×」しかないことだ。
 「子どもたちの将来像はまだ漠然としているんですよ。だから漠然とした答えしかない。なのに、生徒自身の考えが答えに合わないと、それがすべて不正解になってしまうんです」
 将来を具体的に描くことは大切だろう。でも、5年後の自分の人生を描いた作文が内容によって「×」だなんて、おかしくないか。私自身を振り返っても、15の春にそこまで具体的に将来を決めていなかった。ましてや、五輪にどう関わるか、考えている中学生がどれだけいるのだろうか。
 学テは国語、数学(算数)とも基礎知識を問うA問題と、応用力や読解力をみるB問題の二部構成で、文科省はB問題の狙いを「知識や技能などを実生活で活用する力を求める」などと説明する。だが、結局は優等生的な解答を誘導し、「大人の言葉」が分かる成績上位者しかまともに記述できない問題だ。
 批判が渦巻く理由には、学テが現場の多忙感をますます高めていることもある。
 全国のほとんどの小中学校では答案を文科省側に返送する前に、教育委員会の指示で教師らがコピーし”自校採点”する。文科省が、学テの狙いを「学習成果を検証し、指導の改善に役立てること」と打ち出しているため、一日も早く自校の出来を知る必要があるからだ。
学生バイトが採点
 滋賀県では、採点結果を県教委に集計システムに入力しなければならず、ある中学校では、学テの日から連日、職員室の明かりは深夜までついたままだった。「特に、B問題で正解不正解を判断するのに、すごく時間がかかる」(50代教諭)からだ。ベテラン教師でも悩む問題を、文科省側では誰が採点しているのだろうか。
 「学生バイトだそうですよ」
 教師たちから聞いたその答えを、にわか信じ難かったが、調べると本当だった。
 問題を作成する国立教育政策研究所などによると、4月のテスト終了から二カ月間、文科省から委託を受けた業者が大学生や大学院生らを雇い、解答パターンに沿って採点している、というのだ。ベネッセコーポレーション、教育測定研究所などの業者にはテストの配送なども合わせ、16年度は計47億8千万円が支払われた。
 教育者でもない学生が採点した結果に基づいて、現場の教師たちが「指導の改善」を迫られる-。おかしな話ではないか。
 「そもそも普段の授業や教科書とは関係のない別教科のようまもの。このようなテストを全員に受けさせる意味があるのですか」
 40代のある女性教諭は疑問を投げかけ、疲れた顔でこう言った。
 「一体何のために、誰のために続けているのか、分からない」
 なのに、、順位を上げるための対策が全国で加熱する。
     ◇
 10年を迎えた全国学力テスト。日本の教育現場にひずみを広げつつある問題の根源を、5回にわたって考えたい。

教員も なくそう 長時間労働

 2017年1月23日の朝刊より「教員も なくそう 長時間労働」の引用。
ゼロのつく日は ノー部活動デーに
 長時間労働は、教育界でも問題になっている。特に教員の残業や過労原因として指摘されているのが部活動だ。政府が「働き方改革」に取り組む中、文部科学省は今月、教員の負担減を目的に全国の教育委員会に部活動の休養日を適切に設けるよう通知。専門家も一斉に部活を休む「ノー部活動デー」の推進を提唱する。
(細川暁子)
提唱の学習院大学教授「校内に同調圧力」
 「部活が雨で休みになればいいと、心の中で雨乞いをしたことがある」神奈川県内の公立中学校でサッカー部顧問を務める20代の男性教諭は打ち明ける。
 教諭はサッカー経験がないが、昨年4月、前任者の異動に伴い校長に指名されて顧問になった。平日は週五日練習。週末も大会や顧問が集まる役員会、審判講習会などが入って月に3、4日しか休めない時もある。夏休み中も毎日練習があり、8月末には過労が募り朝起きた時に動悸がして大量の冷や汗が出るようになった。ちょうど台風が来て雨が降り、やっと練習を休みにできた。
 「子どもや保護者の期待があり、顧問の自分からは練習を休みたいとは言えない。『長く練習をすることが美徳』という空気が職員室にも流れていて、部活が長時間労働の温床になっている」と教諭は話す。冬場は午後5時、夏場は午後6時半まで部活を指導。その後に授業準備をし、特に約120人分のテストの採点が重なると帰宅が午後10時を過ぎてしまう。
 そもそも部活は教育課程外の活動で、教師に顧問を務める義務はない。だが実際にはほとんどの教師が半ば強制的に部活顧問を担わされているのが実情だ。「学校内には、教師は熱心に部活指導をするべきだという『同調圧力』がある。保護者や世間も、長い時間部活指導する教師ほど『子どもに尽くすいい先生』だと評価しがち」。私立中学での教員経験がある学習院大(東京都豊島区)教育学科の長沼豊教授は言う。
 長沼教授は、企業は「残業を減らしても、利益や売り上げが落ちなかった」などの業務改善礼を示しやすい一方で、教師は「部活の練習日数を減らしても、大会でいい成績を収めた」などの成果を示しにくいと指摘。教師は部活の活動内容を縮小しにくい環境に置かれていると強調する。
 長沼教授は、覚えやすいように毎月ゼロの付く「10」「20」「30」日は部活を休む「ノー部活動デー」にすることを提唱。職員室に貼れるようにと作ったロゴマークを、自身のホームページで印刷できるようにもしている。「一斉に休んで『部活動改革』に取り組み、長時間労働を解消してほしい」と話す。
https://naganuma55.jimdo.com/
文科省「休養日を」/週休2日の教委も
 政府が長時間労働を改善する働き方改革を進める中、文科省も今月6日、中学校の運動部の休養日を適切に設定するよう求める通知を教育委員会に出した。
 スポーツ庁は昨年初めて国公私立中学を対象に部活の休養日に関する調査を実施。9534校が回答し、22.4%が1週間のうち固定した休養日を設けていないことが分かった。設けていない学校の割合を都道府県別に見ると東京が63.8%、神奈川45.4%、三重39.1%、愛知20.4%、福井0%と地域差が大きい。
 こうした中で三重県桑名市教育委員会は昨年11月、中学校を対象にした独自の部活動ガイドラインを策定。運動部だけでなく文化部も対象で、休養日を週2日設け、少なくても土日のいずれか1日を休みにすることが望ましいとしている。

人を育てる教育に戻して

 2017年3月12日の朝刊より、「人を育てる教育に戻して」の引用。
全国学力テスト10年 番外編「美しい国へ」?
 誰が言い出したのか、今となっては知るよしもない。生徒たちは「田植え」とひそひそ話で言い合ったそうだ。少し前かがみで席を回り、生徒の答案を指で押さえる姿が、そう見えたからだという。
 「わたしらの先生はテストの時にぐるぐる回ってきて、間違っていたら、黙って指で押さえて教えてくれた」
 およそ半世紀前の1961~64年、文部省(当時)主導で行われた「全国学力テスト」。全国1位を競った香川県と愛媛県で起きた問題を、大学教授らが調べた報告書「『学テ教育体制』の実態と問題」には、当時の出来事が克明に記録されている。
モラルなき”田植え”
 愛媛県の事例では・・・。
 答えを書いた紙片を見えるようにヒラヒラさせて教室を歩き回る先生。「今度は(平均点を)86点ぐらいにしましょうか」と聞く教師に「それでは高すぎて困る。78点ぐらいにしておいてくれ」と応じる校長。東京の週刊誌記者に「不正ではないか」と”田植え”について問われ、「善意の行為は不正とは考えない」と答える教育長に、「先生も子どもも懸命なのだから”善意の勇み足”でしょう」と言い添える自民党の県連幹事長ー。
 狸校長や赤シャツ教頭が出てくる漱石の「坊っちゃん」の舞台だからでもないだろうが、想像を超える人物像で笑わせてくれる。
 一方の香川県では、毎日の授業時間帯の前後1時間ずつ、学テ対策のプリントを解かせる対策漬けに。同県の教師らが書いた「学テ日本一物語」では、学テが近づくと、1日8~9時間のテスト準備の授業に加えて土日も登校、宿題も山のように課された実態が、生徒の声とともにつづられている。
 「学テあって教育なし」と言われた当時を知る香川県内の元教師大林浅吉さん(94)は「汗の香川、涙の愛媛と例えられた。二度も同じ過ちを犯したらあかん」と平成の学テの行方を心配する。
 半世紀前の失敗を省みず、なぜ再び学テが登場してきたのか。もとをたどると、安倍晋三首相が2006年に著した「美しい国へ」の一節に行き当たる。そこで首相は「喫緊の課題は学力の向上である」と訴え、こう続ける。
 「全国的な学力調査を実施、その結果を公表するようにするべきではないか」
 さらに、「結果が悪い学校には支援措置を講じ、それでも改善が見られない場合は、教員の入れ替えなどを強制的におこなえるようにすべきたろう」。そこには、点数だけで教師たちを評価し、強権で締め付けようとする意図が赤裸々だ。「この学力テストには、私学も参加させる。そうすれば、保護者に学校選択の指標を提供できる」という言葉からは、まるで教育の基準が点数にしかないようにさえ読み取れる。
 そして、首相がもくろんだ通り、教員も学校も教育委員会も学テの結果に戦々恐々とし、平均点を上げるために必死になっている。
 「美しい国へ」には、その先がある。
 「郷土愛をはぐくむことが必要だ。国にたいする帰属意識は、その延長線上で熟成されるのではないだろうか」
「森友学園」を生む流れ
 著書発刊の5ヵ月後に教育基本法が改正され、愛国心条項が盛り込まれ、18年度以降に小中学校で道徳が教科化されることも決まった。今、国会で焦点になっている大阪市の学校法人「森友学園」の問題も、この流れと無縁とは思えない。過去の失敗に学ぼうともしない一政治家の、短絡的な点数主義と、特定の思想教育へのこだわりが教育現場に深刻な混乱をもたらしているとすれば、空恐ろしい、としか言いようがない。
 報告書に描かれた半世紀前の愛媛県には、こんなシーンがあった。
 「母親大会で、ある母親が『うちの子供は文科省テストの日、先生が休みなさいと言った。いくら成績の悪い子でもひどいではないか」と発言した。すると担任の女教師が立ち、私たちもそんなことはしたくありませんけれども、文科省テストが近づくと校長室へ担任が呼ばれ、『平均点を必ず上げてもらいたい。そのためには多少の犠牲もやむを得ない』と厳しい口調でいわれ、その日から各クラスで猛烈な準備が始まり、何とかして平均点を上げたいと、つい子どものことは頭からはなれて、成績の悪い子は、いなくなってくれればよいという気持ちになるのです、と発言した」
 教育は国家百年の計と言われる。一朝一夕に学力が伸びるはずはないし、そもそも学力とは何なのか。点数による序列化でも、思想教育がその中心でもないはずだ。教室で先生たちが、一人一人の生徒と、その能力に応じた向き合い方ができる、そんな教育現場に戻してほしい。
(大津支局・浅井 弘美)

虐待危険度に判定基準

 2017年3月10日の朝刊より、「虐待危険度に判定基準」の引用。
警察庁、全国に表作成指示
 増加の一途をたどる児童虐待。子どもたちが悲惨な事件の犠牲になるのを防ぐため、警察庁は2月、全国の警察に対し、虐待の通報があった際に危険度を判断するための要素をリストアップした「アセスメント(評価)表」の作成を促す事務連絡文書を出した。
 診療を要する頭部の外傷、身体拘束・監禁、裸体の撮影・・・。警察庁はこの文書の中で、虐待の判断要素となる「具体的事実」を例示。担当者は「この中の一つでも該当するものがあれば、確実に児童相談所への通告となる」と説明する。
 警察庁は、具体的事実について①緊急性が高いもの②状況によっては緊急性のあるものーに分けて説明。①は「幼児を投げる・揺さぶる・踏みつける」など約20のの事実を例示し、一つでも該当すれば児相通告となる。「不自然な部位の傷」「食事・着替えをさせない」など35例ある②では、複数が該当すれば児相通告の対象としている。

『釜石の”奇跡” 子どもたちが語る3・11』(NHKエンタープライズ)7,500円+税

 もうすぐ、3.11。
①想定にとらわれるな
②最善をつくせ
③率先避難者たれ
 津波てんでんこ
*片田敏孝(群馬大学大学院/広域首都圏防災センター長)
http://www.nhk.or.jp/sonae/mirai/program_sp01/watch03.html

発達障害児向けに学習塾 学校の支援態勢に不安

 2017年2月17日のニュースに、「発達障害児向けに学習塾 学校の支援態勢に不安」というのがあった!!!
 発達障害児を対象にした学習塾が増えている。講師が生徒に一対一で教えるなど、発達に違いのある子どもの特性に合わせて工夫を凝らす。学校での支援が不十分なことに不安を持つ保護者が多いことが、塾増加の背景にある。
 名古屋市千種区にあるステラ個別支援塾星ケ丘校。「うーん。分かんない」。二坪ほどの小部屋で、小学校一年生の女児が鉛筆を額にあてながら考え込んだ。平仮名の「はひふへほ」の練習中だが、形が難しい「ふ」の字が書けない。
 向かい合って座った講師の女性が「じゃあ、ここに三つ書いてね」と言い、蛍光ペンで白いプリントに三つのマス目を作った。女児はそのマス目に、お手本を見ながら書いていく。講師は「わくを書いている間に字の形をよく見させ、ゆっくり集中して書くようにしている」と話す。
 女児は小学校に入ってすぐ、授業についていけなくなった。学校では昨年五月から週一回、一時間だけ別の教室で平仮名を学ぶ通級指導を受けているが、母親(41)は「それだけでは足りない」と感じて、入塾を決めた。
 昨夏から隔週一回のペースで通う。母親は「私が家で教えようとすると、泣いたり甘えたりして大変。ここでは好きな塗り絵の時間をつくるなどして、うまく集中するように指導してくれる」と喜ぶ。
 塾を運営するのは株式会社GUTS(ガッツ、同市中区)。二〇一三年に初めて発達障害児向けの塾を開設し、今は名古屋市内と愛知県豊田市に計四校を展開している。小中学生を中心に各校五十~八十人の生徒がいる。
 同社は、保護者から子どもの性格や成績、興味関心などを聞き取った上、運動や言語の発達段階をみるため、医療機関などで使われている発達検査を希望者に実施。子どもの特性をつかんで支援計画を立てて、授業をしているという。責任者の鶴原悟さん(36)は「学校と違って一人一人に向き合って時間をかけて教えられるのが強み」と話す。
 関東と関西で同様の塾を運営する業界大手「LITALICO(りたりこ)」(東京都目黒区)によると、発達障害児向けの学習支援の塾は全国的に増加傾向。同社は一一年から発達障害児向けの塾事業を始め、現在七十四教室に八千人の生徒が通う。現在は定員いっぱいの状況で、入塾待機が五千人いるという。
◆「つまずきの原因知り、特性に合った指導を」
 発達障害児向けの塾が増えていることについて、奈良教育大の大西貴子特任准教授(発達障害心理学)は「本来は学校でしっかり支援態勢をつくることが望ましいが、現状では難しい。保護者が塾に支援を求めるのは理解できる」と話す。
 塾であっても、子どもの発達に詳しい臨床心理士らが発達検査を通して、子どものつまずきの原因をまずはっきりさせることが必要と指摘。例えば、勉強に集中できない理由が読み書きの障害のためなのか、周囲に気になるものがあるからなのかを見分けておかないと、丁寧に教えても効果は上がらないためだ。
 しかし「保護者の話から、支援態勢が十分でない塾もあると感じる」という。
 「塾の指導者は、つまずきの原因に基づいて、子どもに合った方法を柔軟に工夫をしながら指導してほしい」と要望する。
 (寺本康弘)

http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2017021702000003.html

「明るく、優しく、公平で、知性的な、教師に!」

 「東京教育技術研究所」のメール vol.3 2017.1.25に「■「明るく、優しく、公平で、知性的な、教師に!」■」という記事が載っていた。引用します。
 向山洋一の今月の一言が動画で見られます!メルマガ読者限定 スペシャル動画にアクセス!
◎スペシャル動画(撮影日 2017年1月20日)

https://www.youtube.com/watch?v=Cc0Qg00waNY
 今月は、教師のあるべき姿についての一言です。
 「教師は、子供の前では明るく、優しく接することが大切だ」と向山先生は話されています。さらに、「ただ優しく接するだけでもダメで、時には子供を叱ることも必要だ」とも付け加えています。
 向山先生は、叱る時の場面は二つだけだと言います。一つは命にかかわるようなことを行ったとき。もう一つは大事な約束を破ったとき。人と人とのつながりの中で「約束を守る」ということは大変重要なこと。約束を破った時は「叱る」というより「諭す」という教育的な叱り方をすることが大切で、それ以外のことはそんなに目くじらをたてるほどのことではないと言います。
 「公平さ」については、向山先生が大森第四小学校に勤務していた時代のエピソードが語られています。同僚の先生のやんちゃな子供への対応に感動したという話です。詳しくは、ぜひ、動画にアクセスして、ご自分の目でお確かめください。向山先生の直筆の「一言」の色紙もご覧いただけます。
 教師以外の方も「明るく、優しく、公平で、知性的な、教師に!」の「教師に!」を自分の立場に置き換えてみてはいかがでしょうか。例えば「明るく、優しく、公平で、知性的な、母親に!」や「明るく、優しく、公平で、知性的な、サラリーマンに!」などなど。(by Misaki) 
◎色紙の言葉の原典 
≪新書版≫向山洋一教育要諦集 全15巻セット22,500 円(税込)  第2巻

http://www.tiotoss.jp/products/detail.php?product_id=2267

いじめの調査 公開してこそ役に立つ

 2017年3月2日の朝刊の社説欄より、「いじめの調査 公開してこそ役に立つ」の引用。
 自殺や不登校に追い込まれた重大ないじめを調べながら、結果を伏せる自治体が目立つ。責任逃れではないかとの疑念さえ湧く。社会全体で反省点を共有しなくては、再発防止にはつながるまい。
 いじめが引き金となって、子どもの生命や心身、財産に深刻な被害が生じたり、不登校を余儀なくされたりしていると疑われるケースを重大事態という。
 教育委員会や学校法人、または学校は、第三者委員会のような組織を置いて事実関係を調べ、被害者側に情報を提供しなくてはならない。いじめ防止対策推進法はそう定めている。
 看過できないのは、調査結果の公表に後ろ向きな自治体が多いことである。隠ぺい体質の仕業とすれば、いじめの根絶は難しい。
 共同通信の二月の集計では、公立学校での重大事態を受けて二〇一五年度に設けられた第三者委による調査で、結果がまとまった三十八件のうち、公表されたのは十六件にとどまり、十八件が非公表とされた。四件は不明だった。
 中には、被害者側の意向を確かめないまま非公表にしたり、委員の身元さえ明かさなかったりした自治体もあるという。一体、誰のため、何のために調べるのか。
 これでは調査の公平性、中立性に疑問符がつくだけではなく、単なる行政上の儀式に堕しかねない。失態を隠して、問題を矮小(わいしょう)化する意図があるのではないかと受け取られても仕方あるまい。
 例えば、福島原発事故で、福島県から横浜市に自主避難した中学生が、小学生時代にいじめられて不登校になった問題である。
 昨年十一月、被害者側が世に問うてようやく、学校側を「教育の放棄に等しい」と批判した調査報告書の一部が公表された。
 大津市でも、小学生が不登校になった問題を巡り、昨年五月にまとまった調査報告書を公表するよう被害者側が望んでいる。「加害側を生み出す土壌を放置した」と学校側を指弾している。
 無論、被害者、加害者双方のプライバシーへの配慮は欠かせない。けれども、それを盾に説明責任を避けるようでは、教育現場への不信は増すばかりだろう。
 中学生が自殺した問題を調べた名古屋市は昨年九月、学校名や生徒名を伏せた調査報告書を公表し、ホームページに載せた。こうした事例を幅広く共有して、いじめを防ぐ知恵を出し合いたい。
 子どものいじめは大人の映し鏡である。社会全体に責任がある。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017030202000139.html
プロフィール

ニャン太郎

Author:ニャン太郎
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
COUNTER
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR