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問題解決的な発問で、楽しくてためになる道徳授業へ!

 「明治図書」より、メール、「問題解決的な発問で、楽しくてためになる道徳授業へ!」。
 岐阜大学大学院教育学研究科准教授柳沼 良太先生に、新刊『小学校道徳科 「問題解決的な学習」をつくるキー発問50』について伺いました。
*柳沼 良太(やぎぬま りょうた)
 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。早稲田大学文学部助手、山形短期大学専任講師を経て、現在、岐阜大学大学院教育学研究科准教授。中央教育審議会道徳教育専門部会委員、学習指導要領解説特別の教科 道徳編作成協力者、日本道徳教育学会理事。
―まずは本書の構成とねらいについて、簡単にご紹介ください。
 「考え、議論する道徳」を行おうと「問題解決的な学習」にチャレンジしても、なかなかうまくいかないことがあります。それは、子どもの「主体的・対話的で深い学び」を促すための、当意即妙な発問ができていないためです。
 そこで本書では、教師が道徳科で「問題解決的な学習」をするうえで有効活用できるキー発問を50精選し、その実践例とともに提示しました。本書を熟読して実践していただければ、より楽しくて充実した「問題解決的な学習」を展開できるようになります。
―本書では、授業で活用できるように8テーマ50の発問の事例をご紹介いただきましたが、特にイチオシの発問がありましたら、お教えください。
 「何が問題になっているのか?」「自分ならどうするか?」を問うことで問題を発見し、その解決に取り組む学習が成り立ちます。こうした問題の根本をとらえ、主体的に判断するよう促す発問が、授業の骨格をつくります。
 また、「相手の立場ならどうするか?」と他者の立場を考慮したり、「別の場面でも応用できるか?」と汎用性を吟味したりする発問もおすすめです。多面的・多角的な発問こそが、子どもの視野を広め、深く啓発していきます。
―本書の中で、「問題解決的な学習」を実践するにあたり、想定問答を念頭に入れることの重要性について挙げられていますが、もし教師が想定したものとは異なる子どもの意見が出てしまったときに、教師はどのように対処すればよいのでしょうか? 有効な対処法がありましたら、ぜひお教えください。
 「問題解決的な学習」では、子どもは自由な発想で多様な意見を出すものです。そういうときは、子どもの意見を共感的に理解し、柔軟かつ即興的に授業展開を組み立て直すことが大事になります。
 「どうしてそう思うの?」(理由・根拠)、「そうしたら、どうなるだろう?」(結果の予想)、「それで皆が幸せになれるか?」(互恵性)などのキー発問を適宜取り入れると、確実に収斂していきますので大丈夫です。想定問答との違いを楽しみつつ、納得できるまでとことん話し合いたいものです。
―本書は「特別の教科 道徳」に対応していますが、これからの道徳授業では、どのようなことを大切にしていけばよいでしょうか?
 道徳科では、口先だけの意見表明で終わらず、自己の生き方や人間としての生き方を根本から追究し、生きる指針を洞察する「深い学び」とすることが大切です。
 そのためには、子ども自身が問題を自分事としてとらえ、「現状はどうなっているのか?」と分析したり、「本当にそれでいいのか?」と批判したり、「本当ならどうしたいのか?」と本心で考えたりすることが有効です。こうしたキー発問は道徳教育全体とも響き合わせ、実効性を高めたいところです。
―最後に、読者の先生方へメッセージをお願いいたします。
 問題解決的な発問を取り入れることで、道徳科は楽しくてためになる授業へと質的転換します。発問が変わることで、授業の形態がアクティブになり、子どもたちの反応もポジティブに変わっていきます。
 ぜひ、本書で示したキー発問50や実践例を参考にして、使えそうな発問からどんどん気楽に取り入れて、クリエイティブな授業改善にお役立てください。まずは、先生方ご自身が道徳的な問答を楽しみながら、子どもたちと一緒に問題解決にチャレンジしていただきたいです。

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『スマホが学力を破壊する』川島隆太(集英社新書)799円

 著者が所長を務める東北大加齢医学研究所と、仙台市教育委員会が行った中学生らへの調査を基にスマートフォンが学力に及ぼす影響を解説。使用するアプリが多いほど学力が低いなどの実態を示し、使いすぎに警告を鳴らす。
 新書判、216ページ

非行少年の立ち直りを30年以上支援

 2018年4月15日のニュースに、「非行少年の立ち直りを30年以上支援 呉山 良雄さん(76)」というものがあった。
 滋賀県湖南市で30年以上、非行少年の立ち直りを支援する「青少年指導支援の会」を率いる。愛称は「呉山のおっちゃん」。県内の中学校教諭や主婦ら13人とともに、補習の勉強会や清掃活動などを通して若者に寄り添う。
 地元の石部中学校のPTA会長だった時、住民と教諭が開いてきた非行少年向けの勉強会を引き継いだ。週1回開くとともに、勉強会に参加する生徒の自宅を何度も訪ねて悩みをじっくり聞いた。
 分かったことは、親が生活で精いっぱいで子どもの面倒まで見きれない現実。「このままでは子どもが大きく道を踏み外してしまう。何とかしてやれないか」。そんな気持ちから活動にのめり込んだ。
 2003年からは、コンビニや公園でたむろしていた暴走族に声を掛け、JR石部駅周辺の清掃活動を始めた。現在も続く月1回の活動には、かつて勉強会に参加した少年の姿もあるという。
 「本心から心配し、しかってあげる。将来を本気で考えてあげる。そんな大人がいると分かれば、子どもは素直になる」。寄り添ってきた子たちが、いつか会の活動を引き継いでくれることを待ち望んでいる。
(成田嵩憲)

妊娠した生徒 学業支援

 2018年4月15日の朝刊に「妊娠した生徒 学業支援」という記事が出ていた。「おやまぁ!」だね。
文科省通知 体育実技 代替可能に
 文部科学省は、妊娠した女子高校生の学業継続支援を強化する。体育の授業で実技の代わりに課題リポートの提出や見学を認めるよう、都道府県・政令市の教育委員会などに通知した。母子ともに安全な環境で学習しやすくするため、現場の創意工夫による柔軟な対応を促している。
 通知は、体を動かす授業では代わりの方法を用意するほか、保護者と話し合って本人のニーズを踏まえながら、スクールカウンセラーによる心のケアなど十分な支援を求めた。
 妊娠で退学を決めた生徒のサポートも要請。既に退学した生徒については、過去数年にさかのぼって実家に進路状況を問い合わせ、復学を望んでいれば、授業料に充てる就学支援金を案内するなど、情報提供の充実を想定している。
 文科省は高校生の妊娠と退学に関する実態調査を初めて実施。2015、16年度の2年間で、妊娠や出産を理由に学校から退学を勧められ、自主退学したケースが計32件あった。うち18件は学校生活の継続や休学などを希望しており、同省は安易に退学を勧めないよう求めている。

ディスレクシアと合理的配慮①

 『内外教育』2018年4月3日より、「ディスレクシアと合理的配慮」第1回、「読み書きが困難とは?」の引用。
 ディスレクシアはギリシャ語のDYS(できない)とLEXIA(読む)をつなげた医学用語である。書くことが困難なディスグラフィア、計算が困難なディスカリキュアなどと並んで、発達障害の中の学習障害(LD)の中核症状といわれている。
 LDは発達障害の中でも一番大きな部分を占めているにもかかわらず、見た目では困難さが分からないことや、社会性や行動の問題が顕著に出ないため、保護者や教員、さらには本人も気付かずにいることが多い。
 文字ができて数千年、世界を見回せばまだまだまだ識字率が低い国や文字を持たない文化もある中で、日本は識字率こそほとんど100%だが、実際には読み書きの困難を示す児童生徒の数がは意外に多い。文部科学省の調査でも通常学級にいる児童生徒の4.5%が学習に困難を示しているとされている。
 先天的な脳の機能の問題といわれているので、ただやみくもに音読の練習を重ねたり、漢字をひたすら何百回も練習したりしてもほとんど身につかず、教師も保護者もがっかりすることが多い。しかし、一番がっかりしているのは本人である。叱咤したり、課題の量を増やしたりしたのでは埒が明かない問題である。
 発達障害者支援法、障害者差別解消法や教科書バリアフリー法など数々の法律ができ、施策もそろってきているが、まだまだ現場では混乱が多くみられるのが現状である。教材や教え方を調整・変更すれば対応でき、本来の力を発揮できるはずなのだが、まだそこまでいっていない。
 教師もディスレクシアかどうかを見分ける方法を持っている人はほんの一握りで、発達障害の専門家も自閉症スペクトラムやADHDなどの社会性や行動面における問題については対応できても、ディスレクシアへの対応ができる人はそれほど多くない。
 まずは理解をして、大変さに気付き、その程度や表れ方のアセスメントをし、できることをうまく使い、環境整備をして一人一人のニーズに応えることが大切だ。そうすれば本人は、学習内容を理解して、自分なりの表現方法を使用していくことで、「障害」を「強み」に代えていくことができる。
 ディスレクシアがある人たちを苦しめるのは、外見で分からないということである。スポーツができ、発言もしっかりとしていて、友人もいるし、ルールも守っているとなると、支援の対象として挙がることは少ない。自分でも他の人と自分はどうやら何か違うようだとは感じているのだが、それが何だか分からないまま時が過ぎていく。ディスレクシアのほとんどは通常学級に在籍しており通級に行っても対応がされないことが多い。
 保護者からの訴えで多いのは、ディスレクシアの診断を受け、合理的な配慮を求めても、学校からは「前例がない」「1人だけ特別なことができない」「自分できちんと周りに説明ができたら」「何をしたらいいか分からない」など、実にさまざまな理由をつけて、対応がされていないということである。
 これから1年にわたって、ちょっとした工夫、ニーズに合った教材、人材、指導方法、支援やスキルを紹介し、このような現状を少しで変えることができたらと思う。
(藤堂栄子=認定NPO法人エッジ会長)

道徳の教科化 心を枠にはめぬよう

 2018年4月2日の朝刊の社説より、「道徳の教科化 心を枠にはめぬよう」の引用!
 これまで教科外の領域とされてきた道徳が今春から小学校で、来春からは中学校で正式な教科となる。国が定めた価値観が押し付けられないか気がかりだ。子どもの自由に考える心を尊重したい。
 道徳の教科化を警戒する声はいまだに根強くある。なぜか。
 かつて、教育勅語に基づく修身科を核とした軍国主義教育が、戦争に国民を駆り立てる役割を果たしたからだ。国が指定した価値観を注入するというやり方での道徳教育は危うい。それが歴史の教訓だった。
 戦後七十年余。再び徳目主義による道徳教育が強められた。
 「節度、節制」「感謝」「家族愛」といった徳目の価値を検定教科書で学ばせ、その成果を評価して通知表などに記述する。愛国心をはじめ、教育勅語でうたわれたほぼ全ての徳目が含まれている。
 子どもの道徳性を高める学びは大切だ。しかし、国が望ましいとする人物像に照らして成長ぶりを見取り、評価しては、国にとって都合の良い国民性ばかりが育まれることになるのではないか。
 道徳の教科化は、二〇一一年に大津市で起きた男子中学生のいじめ自殺が契機になったとされる。
 一七年度の全国学力・学習状況調査では、小学六年生、中学三年生のいずれも九割以上は「いじめは、どんな理由があってもいけないこと」と答えている。それなのに、後を絶たないのはなぜか。
 徳目の価値を説き、子どもの心のありようを規制しても実効が上がるとは思われない。心の問題として捉えさせるあまり、いじめの背景に潜んでいるかもしれない家庭や学校、社会の矛盾がかえって覆い隠されては困る。
 道徳教育の強化により、社会的課題に対する批判精神を欠き、現状を安易に追認、順応するだけの子どもが増える事態を恐れる。
 国は「考え、議論する道徳」を掲げて、そうした懸念を否定している。物事を多面的、多角的に考え、主体的に行動する基盤となる道徳性を養うという。
 だが、学ぶべき価値観が決められていては、議論する意味合いは薄れるだろう。評価を気にする子どもは、本音と建前を使い分けて振る舞うかもしれない。
 国語や算数などの教科とは異なり、道徳は科学ではない。道徳性とは本来、具体的な暮らしや人間関係を通して備わるものではないか。抽象的で画一的な徳目にこだわらず、個々の子どもの実情や境遇を踏まえた教育を望みたい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018040202000155.html
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