道徳の教科書 心を型にはめぬよう

 2017年3月25日の朝刊の社説欄より、「道徳の教科書 心を型にはめぬよう」の引用。
 教科書は考えるための材料にすぎない。そのことを肝に銘じたい。来春から小学校で使われる道徳教科書の検定結果が出た。子ども一人ひとりを丸ごと受け止める先生の度量の広さが大切になる。
 一九五八年に教科外の活動として導入された道徳の時間は、二〇一八年度から小学校で、一九年度から中学校で道徳科に格上げされる。国の検定に合格した教科書が使われ、子どもたちは評価されることになる。
 重大な問題を押さえておきたい。
 国語や社会、算数、理科などのふつうの教科は、人文科学や社会科学、自然科学という体系的な学問を基にしている。対して、道徳は、ものの考え方や感じ方、言動や態度、規範意識を一定の価値や理想へと導く営みといえる。
 教科書検定では、国が学ぶべきものとして定めた学習指導要領に則しているかを主にチェックする。ふつうの教科では諸科学がものさしとなるが、道徳では国が指定した徳目がよりどころである。
 戦前、皇国の臣民が守るべき徳目として、明治天皇の教育勅語をトップダウンで強いた構図をほうふつとさせる。
 特定の価値観を押しつけるのではなく、子どもたちが自らに引きつけて考え、議論する授業を取り入れると国はいう。けれども、教科書には、国にとって望ましい人間像や生き方の型枠が示されていることを忘れてはなるまい。
 「節度、節制」「親切、思いやり」「規則の尊重」など、学ぶべき徳目は二十余りに上る。注意したいのは、社会が抱えている諸問題の根源に、人々のこうした道徳性の欠如があるととらえる風潮が強まっていることである。
 道徳の教科化の動きは、中学生のいじめ自殺が大きなきっかけとなった。なぜいじめるのか。どうしたら防げるのか。子どもたちは自らの心の持ちようの問題として懸命に考えるに違いない。
 でも、だからこそ身の回りでいじめが発覚したら、自らの至らなさを責めさいなむのではないか。
 いじめの背景にあるかもしれない学校の能力主義や家庭の貧困といった社会問題はそぎ落とされたまま、子どもたちの努力と責任ばかりが問われかねない。
 国や社会の矛盾にも視野を広げて、教科書を批判的に扱うことも重要である。子どもたちの成長ぶりを徳目のみに照らして評価するのは、価値観の押しつけに等しい。多様な価値を認めるなら、評価しないのも一案ではないか。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017032502000141.html
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