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「教えてほめる」という教育の原理

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2010年1月号が届いた。その中からの抜粋引用。やはり、基本は教えないとダメでしょうね。「自主性」とか「主体性」とかは「基本」があって生まれてくるのでしょう。  詳しくは本誌をお読みください。  廊下に貼ってある絵の中で、保護者が足を止めて見る絵がある。学校の廊下に保護者たちが集まっている。絵があまりにも上手だからだ。隣のクラスの絵と比べると、比較にならないぐらい上手だからだ。段違いのレベルの差なのである。  それは「基本を習っている」か「何も習っていない」かの違いである。  水泳を例にとろう。スイミングスクールで、水泳を習っている子と、何も習っていない子と、どちらが上手に泳ぐだろう。フォームはどちらがきれいだろう。スピードはどちらが速いだろう。  決まっている。スイミングスクールで習っている子の方がきれいで速い。  サッカーをクラブで習っている子。野球を少年野球でやっている子。ピアノを習っている子。すべて同じである。習っている子の方が上手である。「基本」を学んでいるからである。  絵も同じである。授業の時に、先生が「基本」を教えてくれる方が上手だ。  「基本」とは「多くのプロによって作られた型」をまず身につけることである。  個性とか創造性は、基本を身につけてこそ生まれてくる。すべての芸術、すべての文化がそうである。  ところが、日本の小・中学校図工指導者の一部には「型を教えるのはよくない」といって「子どもに自由に描かせる」ことが良いものだとする人がいる。そうした子どもたちの描いた絵は悲惨だ。小学校高学年で、1年生のようなレベルの絵を描いている。  単なる思いつきを、子どもたちに押し付けているのだ。子どもたちは、自分の描いた絵に自信をもてないでいる。見せてというとかくす子がいっぱいいる。  酒井式では、どの子も、自分の作品に自信を持っている。授業で子どもに自信を与える、つまり生きていく力を与えるのは、何にもまして大切な教育効果だ。  教師の最も大切な行為は、次のことだ。  「教えて、ほめる」  このことにつきると言っても過言ではない。ところが「教えないで、ほっぽらかし」「教えないで叱る」教育が日本中の教室を支配している。  日本の長い長い伝統は、「子どもに優しい」「子どもを叱らない」ということだった。室町時代、江戸時代に、日本を訪れた20名ものヨーロッパ人が、日本人の子育ての素晴らしさを書き残している。  そして、教育の基本は「素読」であった。「素読」こそ日本の教育を作ってきた基本原理であった。それが明治維新による近代化を成功させた原動力だった。  「素読」とは型である。「型」であるから、日本中でできる。素読の「型」を更に発展させたのは、幕末、大阪の適塾であった。そこから福沢諭吉をはじめ、数々の俊才が誕生した。適塾でも、もちろん出発は「素読」である。  こうした質の高い文化を破壊したのは第二次世界大戦であった。戦後の教育は、こうした質の高い日本の伝統的教育システムを無視して「思いつき」に走ってきたのだ。だから、レベルが低い。その1つが算数の問題解決学習であったり、「絵を勝手に描かせる」学習なのである。根っこは、同じである。日本の伝統を足げにし、子どもの成長発達を無視して、数多くの子どもたちから自信を奪ってきた指導なのである。
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