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「子どもの貧困33」日本語を母語としない子どもたち①「児童労働」

 『月刊JTU』2012年8月号より、山梨県の今澤 悌先生の記事の引用。

 「先生、中学やめたよ」
 日系ペルー人の教え子からの、久々の電話での第一声だった。「先生や友だちはやさしくしてくれた。でも日本語で勉強、むずかしいね。だからやめた。今はお母さんと一緒に工場で働いているよ」そう話してくれた彼は、その時まだ13歳だった。
 私は日本語を母語としない子どもたちに、日本語を教える仕事をしている。その中で、子どもたちの厳しい状況を目の当たりにしてきた。「勉強が少しでもわかればがんばろうっていう気持ちになるよ。でも先生。本当に何もわからない。授業中ただ座っているのは、時間を無駄にしているようでつらい」こう話した後に登校しなくなり、母親の勤める工場で働き始めた中3の子もいた。
 日常生活に必要な言葉の習得に比べ、学習に必要な言葉の習得は非常に難しく、系統的に指導を受けても習得までに5~7年かかる(学習に使われる言葉の指導法は、あまり普及していない)。その間にどんどん授業は進んでいく。勉強が分からなければ授業はおもしろくない。その授業が毎日続く。日本に来て数年で、受験に立ち向かわなければならない。私たちが考える以上に必要な言葉の習得に悩んでいる。それをサポートできる体勢は、未だ十分ではない。
 「兄ちゃん14歳、お父さんと同じところで仕事している」「うちの姉ちゃんも13だけど働いているよ」という様な話をたくさん聞く。中には、12歳でレストランのバイトをしている子がいるという話も聞いた。NPOの日本語教室に来ていた人も「全然珍しくないよ。そんな子いっぱい」と。「児童労働」というのは、第三世界のことばだとばかり思っていた。日本の中で、それも自分の身近で児童労働の現実があるとは。
 子どもたちが中学を「やめていく」のは、言葉の問題だけではない。経済的な理由や人間関係、いじめや差別、その他様々な原因がある。もちろん私が接してきた子たちを受け入れている中学校では、それぞれの学校の状況の中では、それぞれの学校の状況の中で一生懸命子どもたちに関わっていた。日本語指導のための施策も、行われるようになってきている。
 しかし、現場の努力だけではどうにもならない状況がある。今の日本の公教育は、子どもたちにとって健やかな成長の場になりえておらず、「児童労働」が受け皿の一つになっているという事も現実なのである。ドロップアウトし、どこにも行き場がなく非社会的・反社会的行動に走る子どもたちもたくさんいる。「児童労働」はそれよりはいいかもしれない。しかし、学齢期の子どもたちが、認知的な発達、思考力や判断力、他者とのコミュニケーションの力、社会性等を身につけるには、しっかりとした学びの場が必要である。
 これらの子どもたちの「受け皿」=「豊かな成長の場」となるために、公教育が、そして私たちがすべきことは・・・。
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No title

かつてのイギリスの囲い込みによる少年労働者の歴史と徒定法を思い浮かべます。
あと個人的には多文化コミュニケーションがずいぶん増えたように思われます。そこらへんのケアやフォローが非常に大事なことかと。
少年少女たちがドロップアウトしないためにも、薬物やアルコール中毒にならないためにも子どもたちにきちんとした「教育を受けさせる義務」
が我々大人にあるんじゃないんでしょうか。
児童は労働のためでなく教育をする立場にあるというのを日本国家としてあるべき姿ということを再度認識する必要性があると思います

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