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「世界一幸せな子ども」と西洋人達がびっくりした日本の子育て

 『教室ツーウェイ』(明治図書)2012年12月号より、向山洋一先生の巻頭の引用。家庭が基本ですよね。詳しくは本誌をお読みください。
(1)
 私の母親は、普通の「おふくろ」だった。土浦市の出身。本宅は真鍋小学校に隣接している。
 校庭の中心に巨大な桜の木々があり、毎年テレビで放映される。記念切手にもなった。百年前、そこまでの土地が母の本宅だった。母の父親は土浦市市長代理。
 私は母から叱られたことはない。体罰をされたこともない。ただ、泣かれたことが数回ある。つらかった。
 私の弟は、銀座の泰明小学校の校長で、全国小学校校長会長(2万3千人)の会長を2年間務めた。
 弟は小学校の時、給食を毎日残していた。1日も欠かさず、毎日残した。
 コッペパンの中味だけ食べ、そこにおかずを流し込み、ワラ半紙に包んでランドセルに入れて帰宅した。犬に与えていた。
 ランドセルはびしょびしょである。ドロドロである。
 それを母は、毎日ていねいにふきとっていた。毎日毎日である。
 教室には「給食残し」のグラフがはられ、弟はダントツのトップだった。給食主任だった担任の先生は、保護者会の時ごとにそのことにふれたらしい。
 しかし母は、弟を一度も叱らなかった。
 一度も「給食を食べなさい」と言わなかった。6年間である。
 一昨年、母が亡くなった。通夜の席で母の妹が、このことを話した。
 弟はキョトンとしていた。「俺、そんなことをしていたのか」というのだ。
 母親の毎日毎日のランドセルのびちゃびちゃそうじ。それを、弟は全く覚えていなかったのだ。
 それほど、母は弟を叱らなかった。
 小学校に入学した時、「ノートの書き方」はきびしく教えられた。乱雑だと全部消して、書き直させるのである。
 勉強についてはそれだけ。2か月。
 勉強をしなさいと言われたことはない。成績の良さは、ほとんど関心がなかった。「人に迷惑をかけない」「礼儀正しくする」「弱いものいじめをしない」「印刷物をまたがない」「仏壇の水、茶を毎日とりかえる」この5つぐらいを言われてきた。
 私は今も、朝・晩、仏壇の水、茶を入れるから60年続いてきたことになる。
 兄弟3人、みんなたたかれたことも、叱られたこともない。
 百人一首は、小学校低学年の時に母から教えられた。読み方は、関東地方の旧家に伝わる読み方である。
 それが「五色百人一首」の読み方だ。
 ごくごく普通の、当たり前の、日本に伝わってきた子育てだった。
(2)
 日本のかつての子育ての様子を、明治維新の前後に日本を訪れた百人近くの西洋人が書き残している。
 一言でいえば「ムチで育てられたヨーロッパの子ども」に比べて、日本の子どもは幸せだということだ。
 あるヨーロッパの校長は、1年間で2万回もムチで子どもを叩いているのである。
 『逝きしき世の面影』(渡辺京二、平凡社)には、西洋人の目から見た日本の親子の様子が紹介されているのでまとめてみよう。
 カール。ツュンベリ(1743-1823 オランダ長崎商館の館員。1775年来日)
-日本では親が子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなく、子どもからも不幸の言葉を滅多に聞かない。
 エドワード・S・モース(1838-1925 アメリカの動物学者、大森貝塚発見者。1877年来日)
-母親が赤ん坊に癇癪を起すところを見ない。子どもが泣かないのは刑罰もなく叱られないからでもあり、子どもも従順なので叱る必要もない。日本のように、両親を敬愛し老年者を尊敬する子どもは他にいない。
 イザベラ・バード(1831-1904 英国の探検家、紀行作家。1878年来日)
-日本は、赤ん坊の鳴き声や、言うことを聞かない子どもを見ない。英国は母親がおどかしたりすかしたりして子どもをいやいや服従させる。
 ジョルジュ・H・ブスケ(1846-1937 フランスの弁護士。1872年お雇い外国人として来日)
-日本の子どもは甘やかされいるがフランスの子どもよりよくしつけられている。
 日本のおもちゃから親子関係を見ている西洋人も多い。
 エドゥアルド・スエンソン(1842-1921 デンマークの海軍士官。1866年来日)
-日本のおもちゃ屋は種類が豊富で、仕掛けも絶妙。大人でさえ何時間も楽しめる。
 アレクサンダー・F・V・ヒューブナー(1811-1892 オーストリアの外交官。1871年来日)
-創意工夫にとんだおもちゃをつくって子どもは精巧さを評価できないが、日本では大人でも暇なときには子どものようにおもちゃで遊んで楽しむ。
 ロバート・フォーチュン(1812-1880 スコットランド出身の植物学者。1860年来日)
-おもちゃの商売が繁盛していることで大人が子どもを好いている度合いが分かる。
 家庭教育に関しては、次のようにも述べられている。
 メアリー・クロフォード・フレイザー(1851-1922 英国の外交官ヒュー・フレイザーの妻。1889年夫の赴任に伴い来日)
-日本人の子どもは罰を受けたり小言を言われなくても、親から注がれる愛情により好ましい態度を身につけていく。決して甘やかされているのではなく、子どもは嘘や過ちを隠したりせず、すべてを父母に話し、自分におきたこと一緒に喜び悲しむ。
 一方で、日本の子どもは独自の世界をもち、他の国に比べて自由だとも感じているようだ。
 エメェ・アンベール(1819-1900 スイスの時計生産者組合会長。1863年使節団として来日)
-親は子どもの玩具にも遊戯や祭礼にも干渉しない。
 イザベラ・バード
-遊びにおいて規則は絶対で、疑問が生じても子どもたちだけで解決し、いちいち大人を煩わせない。
 そして、日本の親にとって子どもの存在を、次のように見ている。
 イザベラ・バード
-日本人は自分の子どもに喜びをおぼえ、誇りをもっている。他人の子どもにそれなりの愛情を注ぐ。
 エドワード・S・モース
-日本の子どもほど行儀がよく親切な子どもはおらず、日本の母親ほど愛情深く子どもにつくす母親はいない。
(3)
 これほど西洋人に高く評価されていた日本人の子育ての面影はなくなった。
 子どもをどなり散らす親はたくさんいる。
 子どもをどなる教師もたくさんいる。
 いつか、子どもまで荒れてしまうようになった。
 それは、どこから始まったのか。
 戦争が終了した時からである。
 日本に進駐してきた占領軍は、当然のことながら、それまでの主要な日本の制度を破壊した。
 教育でいえば3つある。
 第一は、教師養成制度を破壊して、リベラルアーツの素人教師を養成した。
 授業を語れない教授が教員養成をすることになった。
 第二は、教育基本法から「家庭教育」の内容を削除した。数十年にわたり、「家庭教育」の方針のない教育政策がされた。
 更に、親の権利はあるが、法律のどこにも親の義務がない法が施行された。
 第三は、日本のすばらしさを教える教育が、ほとんどなくなってしまった。
 「日本をとりもどす」のが、教育界の大テーマなのである。

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